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中原中也の詩に出てくる「人名・地名」21(まとめ)

中原中也の詩に現われる「人名」のうちの日本人を見ていますが
面識があった人物のうちの
 
【河上徹太郎】
【内海誓一郎】
【阿部六郎】
【青木三造】
【昇平】
――の5人は同人誌「白痴群」のメンバーでした。このうちの3人【阿部六郎】【青木三造】【昇平】は、いわゆる「成城ボーイ」です。【青木三造】は安原喜弘、【昇平】は大岡昇平であることは言うまでもありません。
 
【関口隆克】は1904年生まれ1987年死去ですから、中也より3歳上の人。昭和3年春、旧友の石田五郎と北沢の1軒家で自炊生活をしていたところへ中原中也が転がり込んだというのが二人のなれそめでした。「スルヤ」の諸井三郎が中也を関口の住まいに連れてきたのです。文部省の役人を務めた後、開成学園中学そして高校の校長になります。生徒たちから「りゅうこくさん」と親しまれた教育畑の人です。中原中也について幾つかの文章を残しています。その一つ「北沢時代以後」は、昭和12年「文学界」の12月号に載せた追悼文です。中から、少しだけ抜粋(ばっすい)しておきます。
 
 
(略)3人の生活と云っても、一切は五郎さんがやった。朝早く炭火を熾す焚付けの煙が家中に流れていて、井戸のポンプを押す音の中に低い五郎さんの口笛が聞えるのを、隣合せのベットの中に寝ている中原は大きな眼を開けて聞いていた。晩方になると3人が3人で夕食の材料をぶらさげて帰ってくる。中原はみつばのしたしが好きで毎日それを買って来たが時期によって値段に高低のあることに気付かなかったので、20何円か八百屋に支払った月があった。中原は料理には知識もあり自信もあったが、当座の用にはたたなかった。五郎さんが黙っててきぱき調理している傍で、中原は次ぎ次ぎに失敗をしては、何の手助けも出来ないのを悲しんだ。ただ、葱の刻んだのを水に晒してソースをかけて食べる料理は中原の発明で、それを作るのは中原に限ることになっていた。布片にくるんで長いこと氷の様に冷たい井戸水の中に入れてもんで、きらきら光る白い葱の山を皿にのせて運んで来る時に、中原は嬉しそうであった。(略)
(※「新編中原中也全集・別巻(下)」より。「新かな」に直してあります。編者。)
 
 
中也の満足そうな顔が見えるようです。詩作品には見られない「とろけるような幸福の時」が関口によって書き残されました。
 
【諸井三郎】(1903年8月7日~1977年3月24日)は、「スルヤ」をリードしていた作曲家で、後に幾つかの交響曲やオペラなどを発表、その名を音楽史にとどめました。内海誓一郎と同じく中原中也の「朝の歌」「臨終」「老いたる者をして」に曲を付けました。中野の「炭屋の2階」で中原中也から作曲を頼まれたシーンを回想する口ぶりは、内海とまるで同じです。諸井と内海と関口と……が、「炭屋の2階」へ案内され、「山羊の歌」の「初期詩篇」の書かれた原稿用紙の束を読んだのです。
 
諸井の回想「『スルヤ』の頃の中原中也」を少し読んでおきましょう。
 
 
中也と私との出会い、これは今でもはっきりと憶えている程印象の強いものだった。そのころ中野駅の近くに住んでいた私は、ある日、買物をしようと家を出た。少しいった細い道で、まことに変った格好をした一人の若者とすれ違った。一目で芸術にうつつを抜かしているとわかるような格好だったが、黒い、短いマントを着、それに黒いソフトのような帽子をかぶった、背の低い、小柄なその人物は、一種異様な、しかし強烈な印象を与えずにはおかなかったが、お互になにか心にひっかかるのを感じながら、その時は、そのまますれ違ってしまった。
 
買物をすませて家に帰り、しばらくして家で休んでいると、玄関に人の声がする。出て見ると、そこにはさっきの黒ずくめの青年が立っている。私は用件をたずねると、彼は一通の紹介状を出した。それは河上徹太郎の書いたものだったが、それによって、私は彼が中原中也なる詩人であることを知ったわけである。この日から、約半年間、中也は毎日私の家に来ていた。彼は、大通りをへだてた私の家と反対側の炭屋の2階に住んでいたが、毎日夕方になると私の家にあらわれる。そして、まず煉炭ストーブの用意をし、それから芸術の話をする。夕食をいっしょにしてから、たいてい夜中の2時頃まで語り合い、そして帰っていくのだった。半年間は、これが彼の日課だったわけで、今考えると、よく話すことがあったものだと思う。(略)。
(※「新編中原中也全集・別巻(下)」より。「新かな」に直してあります。編者。)
 
 
「半年間、毎日」というのが大げさでない、詩人と音楽家のぶつかり合いが髣髴(ほうふつ)としてきます。
 
【青山二郎】は、新宿・花園アパートの主(あるじ)。ひとときは、「梁山泊」もしくは「鬼の棲み家」に喩えられるほど様々な人間が出入りしました。大岡昇平はここを「青山学院」と呼びました。中也も孝子夫人と生まれたばかりの長男文也とともにここの2階に住んでいたことがあります。

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