「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・11「港市の秋」
その1
「港市の秋」は
海の見える町を散策する詩人が
市井(しせい)の暮らしのあまりにも平和なたたずまいを見て
自身の暮らし(生き様)との隔絶感を歌った詩です。
◇
港市の秋
石崖に、朝陽が射して
秋空は美しいかぎり。
むこうに見える港は、
蝸牛(かたつむり)の角(つの)でもあるのか
町では人々煙管(キセル)の掃除。
甍(いらか)は伸びをし
空は割れる。
役人の休み日――どてら姿だ。
『今度生れたら……』
海員が唄う。
『ぎーこたん、ばったりしょ……』
狸婆々(たぬきばば)がうたう。
港(みなと)の市(まち)の秋の日は、
大人しい発狂。
私はその日人生に、
椅子を失くした。
◇
昭和4年に「生活者」第9号第10号に発表され
「山羊の歌」の「初期詩篇」に収録された詩は
これでお仕舞となります。
「生活者」発表の詩は「山羊の歌」ばかりでなく
「在りし日の歌」に「春」と「夏の夜」が収録されました。
詩人は「生活者」発表のすべての詩を未発表とせず
江湖(こうこ)に問うたことになります。
◇
「港市の秋」は
「横浜」を題材にした詩群の一つです。
これを「横浜もの」と呼びます。
「山羊の歌」には
「港市の秋」のほかに
「臨終」
「秋の一日」
「在りし日の歌」には
「むなしさ」
「未発表詩篇」には
「かの女」
「春と恋人」
――という「横浜もの」があります。
◇
横浜は
母フクが生まれ(明治12年)
7歳まで過ごした土地であった関係もあり
詩人はよく遊びました。
(略)横浜という所には、常なるさんざめける湍水の哀歓の音と、お母さんの少女時代の幻覚と、
謂わば歴史の純良性があるのだ。あんまりありがたいものではないが、同種療法さ。
――などと、友人の正岡忠三郎に宛てた大正15年1月の手紙に記しています。
◇
はじめは「むなしさ」が
「在りし日の歌」の冒頭詩であったことはよく知られたことです。
「横浜もの」に込めた詩人の思いは大きなものがありますが
「初期詩篇」に「港市の秋」「臨終」「秋の一日」の3作を配置していることも
それを物語っていることでしょう。
「港市の秋」は
「生活者」から「山羊の歌」へという流れを示す
唯一(ゆいつ)の詩です。
◇
「横浜もの」には
いずれも「孤独の影」のようなものが漂います。
◇
その2
「山羊の歌」の中の「横浜もの」は
「臨終」
「秋の一日」
「港市の秋」
――の3作品です。
「都会の夏の夜」(初期詩篇)や
「冬の雨の夜」(初期詩篇)や
「わが喫煙」(少年時)なども
横浜っぽいイメージが描写されていますから
「横浜もの」に入れておかしくはないのですが
積み重ねられた研究では
そうとはみなされていません。
◇
「臨終」は
なじみの娼婦の死を悼んだ作品(大岡昇平)といわれ
彼女の死の「行く末」を思い
自らの魂(死)の行方を案じる詩人のこころが歌われます。
「秋の一日」は
「港市の秋」と同じく秋の朝を歌い
場所が異なる風景を歩きながら
その風景との距離を感じる詩人が
詩(の「切れ屑」)を探す決意を述べる詩です。
詩人が港町の風景を眺める眼差しは
嫌悪や侮蔑といったものではなく
かといって愛情あふれるものでもなく
「いまひとつ」なじめないものなのです。
にもかかわらず詩語は
その風景から拾います。
◇
「港市の秋」には
「秋の一日」にある晦渋さや
高踏的な言葉使いは後退しています。
会話が挿(はさ)まれるのは「秋の一日」と同じですが
平易な詩語に満ちているのは
制作が後だからでしょうか。
港町への懸隔感(けんかくかん)は
いっそう明確になり
「大人しすぎる町」に
詩人の座る椅子はありません。
椅子がないことに
詩人は気づいてしまったのです。
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