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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和8年5月25日ほか

安原喜弘の見た「詩人の魂の動乱」は終焉し
今度は安原のほうが「動乱」の渦中に入ったといえるような時期がきました。
 
一時は、「高尾山籠城」を報じる社会面のニュースにもなった「成城騒動」へ
第1回卒業生として小原国芳支援に回った安原を
詩人は遠巻きに見ているだけで精一杯です。
 
詩人は、
「成城の方で忙しい由聞きました。」
「成城の方がすみましたらお知らせ下さい、御身御大切に」(5月25日)
「貴下には猶成城学園の方で御多忙のことと思いますが、その方が済みましたら、御来駕の程、待侘びます。」(5月30日)
「成城の方は一先ず落付いたようですね」(6月19日)
――と、「挨拶代わり」のようにして安原を気遣いますが
騒動内容への発言はありません。
 
 
この頃、詩人の魂は動乱を脱したものの
今度は肉体の病と闘っていました。
 
それは、「手紙56」への安原のコメントに
 
この頃彼は次々と内臓関係の発疹とか排泄機関(尿)の故障を訴えたのであるが、私も亦彼の肉体のこのような故障は彼の魂の恢復には密接な関連のあるもののように考えられてならなかった。
 
――と記されていることとも対応しています。
 
 
安原が成城騒動にかまけている間の詩人の手紙は
こうして、日常生活を報告した内容が多くなりますが
「手紙59 5月31日」では
 
腎臓炎になり、2、3週間絶対安静を命じられた旨の報告の上に、
 
熱がある時にひどくけだるい以外には、苦痛といって左程ありません。ただ顔はヒドク腫れて、日によっては目が細くなります。
――と結んでいるほどの病状を訴えています。
 
「手紙56 4月25日」で、
教えているうちにも、みるみる、からだ中赤くなり、痒くなりました、
――とジンマシンを報告して1か月余が経過しています。
 
 
しかし、
「手紙60 6月19日」には、
お酒はやめています 出掛けたりしても、翌日はムクンだりします 毎日毎夜籠って、持っている本が少しずつ読まれてゆくというのがたのしいという、いたって無事な暮しです、此の分ですと借金も、8月一杯には全部キレイになってしまいます
 
「手紙61 7月3日」には、
その後まだ1度も外出しません。夕方大岡山まで歩いたっきりです。からだは、極めて徐々に回復しています。自然に対する感性が少しずつ帰ってくるので、そうと思われます。
――と、はじめの方で書いて
 
まだ手足の力がちっともありませんので、当分外出は控えようと思います。少しまた元気になりましたら、伺います。
――と、終わりの方で、また病に触れ、慎重な姿勢が述べられます。
 
 
今から100年近く前の医療環境の中では
病気に対する感覚は現代と異なっていたことが想像できますが
腎臓病とかジンマシンとか
「急性の」「軽度な」ものだったのでしょうか
深刻な響きが伝わってこないのは
詩人が自己管理に集中し
肉体の病が回復基調にあると受け取ってよいからなのでしょうか。

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