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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和7年2月5日

昭和7年(1932年)2月5日に安原喜弘に宛てた速達の葉書は
この年に安原に宛てた手紙としては3番目のものです。
言うまでもなく現存する手紙を数えてのことです。
 
京都帝国大学に在学して京都に住んでいた安原は
正月に帰京中で目黒の実家にあり
詩人は千駄ヶ谷874隅田方にいます。
 
 
昨日は留守をして失敬しました
明土曜夕刻(7時半頃)伺います
(今夜は高森と一緒に辰野さんの所へ出掛ける約束です。もしよろしかったら渋谷駅に8時に来て下されば、辰野の所へ行きましょう。1時間くらいいるつもりです。)
                  怱々
 
 
このわずか5行の葉書が
色々なことを想像させます。
 
明日が土曜日なのですから
今日は金曜日で
この葉書は金曜日の早いうちに速達として投函され
金曜日の夕方までには安原の元に届けられるという計算がありました。
 
郵便上手な詩人は
この速達便が金曜日夕方までに目黒の安原に届くことを知っていました。
 
木曜日に安原が千駄ヶ谷に訪ねて詩人は留守だったが
土曜日夕方には自分がそちら(目黒)へ行く。
ところで今夜金曜日、辰野先生の住まいを高森と一緒に訪問するけれど
君も行かないか、という内容です。
 
辰野は、東京帝大仏文科の教官、辰野隆(たつの・ゆずる)、
高森は、宮崎県出身で年下の詩人・高森文夫のこと。
 
この葉書に安原は次のようなコメントを加えています。
 
 
 2月の初旬私の帰京中、辰野隆教授宅訪問の速達の誘いである。詩人は辰野教授のもとへは時々思い出したように訪れている。私も一二度彼に伴れて行かれた。この頃後の「歴程」の詩人高森文夫が彼の唯一の詩人としての友であったであろう。中原は晩年の一時期を除き終生、同時代の詩人達とは殆ど深い交渉を持たなかったようである。
 高森は当時成城高校生、この年東大仏文科にすすむ。
 
 
高森とは前年末に知り合い
詩を書く地方出身の年下の青年という境遇が性にあったのか
やがては高森を生地山口の湯田温泉へ招き
そのまま高森の実家がある宮崎県の臼杵を訪ねたり
共に長崎県天草地方への旅をしたり
帰京しては高森の叔母の住む東京・北千束へ転居したり……
親しく交流を続けることになります。
 
 
二人は創作上の話などもよくしたようです。
この会話の中に
詩集についての話題がなかったということも考えられないことです。
 
 
大岡昇平は詩集のタイトルについて、
校正の段階になっても
「山羊の歌」と「修羅街輓歌」のどっちにしようか、と高森に相談していたことを記述しています。
(新全集第1巻 解題篇)

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