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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和6年7月24日

昭和6年は中原中也24歳の年。
2月16日付けで安原喜弘に書簡を出したとき
詩人は「千駄ヶ谷」に住んでいました。
 
千駄ヶ谷といっても
神宮球場をかかえる現在の千駄ヶ谷のあたりではなく
小田急線が「千駄ヶ谷新田」の駅名だった頃の現・南新宿の近く
小田急線北側の一帯で、
新宿駅から小田原方面に向かえば右手にあたる住宅地、
そこが、東京都豊多摩郡代々幡町代々木山谷112近間方、という住所でした。
 
この地に昭和5年9月初旬に住みはじめて
およそ1年が経とうとしていたときの7月25日
近くの東京都豊多摩郡千駄ヶ谷町千駄ヶ谷872高橋方へ引っ越し
さらに12月下旬には、千駄ヶ谷874隅田方へ引っ越しています。
 
代々幡(よよはた)町に代々木山谷はあり
千駄ヶ谷町に千駄ヶ谷があって
これら三つの住所は目と鼻の先にありましたからややこしいのですが
昭和8年3月に東京外語専修科を卒業するまでのほとんどを
この一帯で暮らしました。
※「新編中原中也全集」別巻(上)より。
 
高森文夫と知り合った昭和6年末以降に
転居の意識が芽生えたのか
高森の伯母の住む荏原郡馬込へ引っ越すのは昭和7年8月です。
 
 
昭和6年7月24日付けの安原宛の葉書は
代々木山谷からのものです。
 
 
 御病気はどんなですか、知らせて下さい。
 
 僕の今度の下宿、先達教えたのよりもっと近道がありました、千駄ヶ谷新田駅ワキの小田急事務所の裏について廻ると直ぐドブです。それを渡ればすぐそこに高橋秀男の板の表札があります。四方に窓があって、あたりは静かです、明日越します。
                          怱々

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