中原中也の詩に出てくる「人名・地名」11
「地名」の解説を続けます。
◇
日本以外の地名を拾ってみると、
【欧羅巴】(ヨーロッパ)
【ロシア】
【チャールストン】
【英国】(イギリス)
【独逸】(ドイツ)
【フランス】
【アメリカ】
【オランダ時計】
【朝鮮料理屋】
【ボヘミアン】
【ガリラヤ】
【マグデブルグ】
【マダガスカル】
【支那】
【ナイアガラ】
【エジプト煙草】
【ドレスデン製の磁器】
【ブルターニュ】
【羅馬】(ローマ)
【西洋】
【朝鮮人】
【中国】
【エジプト遺蹟】
【土耳古人】(ダッチ)
――となり、世界各地に「飛んでいる」のがわかります。
【チャールストン】【ボヘミアン】【ガリラヤ】【マグデブルグ】と見てきて
【マダガスカル】【ナイアガラ】【エジプト煙草】【ドレスデン製の磁器】【ブルターニュ】【エジプト遺蹟】
【土耳古人】(ダッチ)の中の【ブルターニュ】や【土耳古人(ダッチ)】にひっかかります。
【マダガスカル】【ナイアガラ】【エジプト(煙草)】はおおよその見当がつき
【ドレスデン】は【マグデブルグ】と同じドイツの地名ですから。
◇
【ブルターニュ】はフランスの地域の名前です。なぜこの地名が出てきたのか。これが出てくる詩「幻想」にあたってみます。
幻 想
1
何時(いつ)かまた郵便屋は来るでしょう。
街の蔭った、秋の日でしょう、
あなたはその手紙を読むでしょう
肩掛をかけて、読むでしょう
窓の外を通る未亡人達は、
あなたに不思議に見えるでしょう。
その女達に比べれば、
あなた自身はよっぽど幸福に思えるでしょう。
そして喜んで、あなたはあなたの悩みを悩むでしょう
人々はそのあなたを、すがすがしくは思うでしょう
けれどもそれにしても、あなたの傍(そば)の卓子(テーブル)の上にある
手套(てぶくろ)はその時、どんなに蒼ざめているでしょう
2
乳母車を輓(ひ)け、
紙製の風車を附(つ)けろ、
郊外に出ろ、
墓参りをしろ。
3
ブルターニュの町で、
秋のとある日、
窓硝子(まどガラス)はみんな割れた。
石畳(いしだたみ)は、乙女の目の底に
忘れた過去を偲(しの)んでいた、
ブルターニュの町に辞書はなかった。
4
市場通いの手籠(てかご)が唄う
夕(ゆうべ)の日蔭の中にして、
歯槽膿漏(しそうのうろう)たのもしや、
女はみんな瓜(うり)だなも。
瓜は腐りが早かろう、
そんなものならわしゃ嫌い、
歯槽膿漏さながらに
女はみんな瓜だなも。
5
雨降れ、
瓜の肌には冷たかろ。
空が曇って町曇り、
歴史が逆転はじめるだろ。
祖父(じい)さん祖母(ばあ)さんいた頃の、
影象レコード廻るだろ
肌は冷たく、目は大きく
相寄る魂いじらしく
オルガンのようになれよかし
愛嬌なんかはもうたくさん
胸掻き乱さず生きよかし
雨降れ、雨降れ、しめやかに。
6
昨日は雨でしたが今日は晴れました。
女はばかに気取っていました。
昨日悄気(しょげ)たの取返しに。
罪のないことです、
さも強そうに、産業館に這入(はい)ってゆきます、
要らない品物一つ買うために。
僕は輪廻ししようと思ったのだが、
輪は僕が突き出す前に駆け出しました。
好いお天気の朝でした。
◇
なかなかの詩であることをまた発見します。
詩の中の、「ブルターニュ」が出てくるところを
ブルターニュの町で、秋のとある日、窓硝子(まどガラス)はみんな割れた。
石畳(いしだたみ)は、乙女の目の底に忘れた過去を偲(しの)んでいた、ブルターニュの町に辞書はなかった。
――と読み下してみると、
「ブルターニュの歴史」から詩人が引っ張り出そうとした何やら「剣呑(けんのん)な」「穏やかでない」イメージがぼんやりと伝わってくる気がします。
そう読んでいいものか、断定できませんが、「ガラスが割れ、辞書がない」という詩語の持つイメージは、「歯槽膿漏(しそうのうろう)、瓜は腐り、雨降れ、冷たかろ、空が曇って町曇り、歴史が逆転、昨日悄気(しょげ)た」といった否定的イメージへ連なり、
詩の終わりの、
僕は輪廻ししようと思ったのだが、
輪は僕が突き出す前に駆け出しました。
好いお天気の朝でした。
――へ繋(つな)がっていきます。
「輪廻し」をしようと思ったら「輪」が動き出してしまったというのは幼時体験か
取り残されたような感覚か
手に負いがたいことがあるというメタファーか
ついには遠い日の「酸っぱい」思い出へこの詩は収まっていきます。
【ブルターニュ】が、そこへ響き合っています。
◇
【土耳古人(ダッチ)】の、「土耳古」は普通トルコと読むところを、「オランダ」の意味である「ダッチ」としたのは、勘違いか。中原流のひねりがあるのでしょうか。これも断定できることではありません。「さまよえるオランダ人」(ワグナー)の例もあり、想像するしかないところです。
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