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鳥が飛ぶ虫が鳴く・中原中也の詩8「草稿詩篇(1933年―1936年)」ほか

中原中也の未発表詩篇「早大ノート」の次には
「草稿詩篇(1931年―1932年)」13篇
次に「ノート翻訳詩(1933年)」9篇
次に「草稿詩篇(1933年―1936年)」65篇が配置されています。
これらに現われる鳥獣虫魚(動物)をピックアップしていきましょう。
 
 
<草稿詩篇(1931年―1932年)>
 
「三毛猫の主の歌える」
むかし、おまえは黒猫だった。
いまやおまえは三毛猫だ、
 
さは、さりながら、おまえ、遐日(むかし)の黒猫よ、
 
「Tableau Triste」
それは、野兎色(のうさぎいろ)のランプの光に仄照(ほのて)らされて、
 
「青木三造」
どうせ浮世はサイオウが馬
   チャッチャつぎませコップにビール
 
「脱毛の秋 Etudes」
女等はみな、白馬になるとみえた。
 
僕は褐色の鹿皮の、蝦蟇口(がまぐち)を一つ欲した。
 
「秋になる朝」
ほのしらむ、稲穂にとんぼとびかよい
 
 
「野兎色」や「鹿皮」や「蝦蟇口」は
ここに入れないほうがよいかもしれませんが
敢えて載せました。
 
<ノート翻訳詩(1933年)>
 
「蛙 声」
郊外では、
夜は沼のように見える野原の中に、
蛙が鳴く。
それは残酷な、
消極も積極もない夏の夜の宿命のように、
毎年のことだ。
郊外では、
毎年のことだ今時分になると沼のような野原の中に、
蛙が鳴く。
月のある晩もない晩も、
いちように厳かな儀式のように義務のように、
地平の果にまで、
月の中にまで、
しみこめとばかりに廃墟礼讃(はいきょらいさん)の唱歌(しょうか)のように、
蛙が鳴く。
 
(蛙等は月を見ない)
 
蛙等は月を見ない
恐らく月の存在を知らない
彼等(かれら)は彼等同志暗い沼の上で
蛙同志いっせいに鳴いている。
月は彼等を知らない
恐らく彼等の存在を思ってみたこともない
月は緞子(どんす)の着物を着て
姿勢を正し、月は長嘯(ちょうしょう)に忙がしい。
月は雲にかくれ、月は雲をわけてあらわれ、
雲と雲とは離れ、雲と雲とは近づくものを、
僕はいる、此処(ここ)にいるのを、彼等は、
いっせいに、蛙等は蛙同志で鳴いている。
 
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
 
蛙等が、どんなに鳴こうと
月が、どんなに空の遊泳術に秀でていようと、
僕はそれらを忘れたいものと思っている
もっと営々と、営々といとなみたいいとなみが
もっとどこかにあるというような気がしている。
月が、どんなに空の遊泳術に秀でていようと、
蛙等がどんなに鳴こうと、
僕は営々と、もっと営々と働きたいと思っている。
それが何の仕事か、どうしてみつけたものか、
僕はいっこうに知らないでいる
僕は蛙を聴き
月を見、月の前を過ぎる雲を見て、
僕は立っている、何時(いつ)までも立っている。
そして自分にも、何時(いつ)かは仕事が、
甲斐のある仕事があるだろうというような気持がしている。
 
「Qu'est-ce que c'est?」
 
蛙が鳴くことも、
月が空を泳ぐことも、
僕がこうして何時(いつ)まで立っていることも、
黒々と森が彼方(かなた)にあることも、
これはみんな暗がりでとある時出っくわす、
見知越(みしりご)しであるような初見であるような、
あの歯の抜けた妖婆(ようば)のように、
それはのっぴきならぬことでまた
逃れようと思えば何時(いつ)でも逃れていられる
そういうふうなことなんだ、ああそうだと思って、
坐臥常住(ざがじょうじゅう)の常識観に、
僕はすばらしい籐椅子(とういす)にでも倚(よ)っかかるように倚っかかり、
とにかくまず羞恥(しゅうち)の感を押鎮(おしし)ずめ、
ともかくも和やかに誰彼(だれかれ)のへだてなくお辞儀を致すことを覚え、
なに、平和にはやっているが、
蛙の声を聞く時は、
何かを僕はおもい出す。何か、何かを、
おもいだす。
Qu'est-ce que c'est?
 
「孟夏谿行」
瀬の音は、とおに消えゆき
乗れる馬車、馬車の音のみ聞こえいるかも
 
 
「蛙 声」
(蛙等は月を見ない)
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
「Qu'est-ce que c'est?」の4篇は全文を掲載しました。
 
蛙という動物が
生物の蛙以上の意味をもっている端的な例として。
象徴ということを考える材料として。
「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」へ繋(つな)がる詩群として。
 
<草稿詩篇(1933年―1936年)>
 
(ああわれは おぼれたるかな)
けなげなる小馬の鼻翼
 
澄みにける羊は瞳
 
(とにもかくにも春である)
闇に梟(ふくろう)が鳴くということも
 
「虫の声」
夜が更(ふ)けて、
一つの虫の声がある。
 
此処、庭の中からにこにことして、幽霊は立ち現われる。
 
「怠 惰」
夏の朝よ、蝉(せみ)よ、
 
それどころか、……夏の朝よ、蝉よ、
 
目をつむって蝉が聞いていたい!――森の方……
 
「蝉」
蝉(せみ)が鳴いている、蝉が鳴いている
蝉が鳴いているほかになんにもない!
 
「夏過けて、友よ、秋とはなりました」
遠くの方の物凄い空。舟の傍(そば)では虫が鳴いていた。
 
暗い庭で虫が鳴いている、雨気を含んだ風が吹いている。
 
秋が来て、今夜のように虫の鳴く夜は、
 
「燃える血」
鳴いている蝉も、照りかえす屋根も、
 
「夏の記臆」
太っちょの、船頭の女房は、かねぶんのような声をしていた。
 
「童 謡」
象の目玉の、
汽笛鳴る。
 
「いちじくの葉」
その電線からのように遠く蝉(せみ)は鳴いている
 
蝉の声は遠くでしている
 
「朝」
雀が鳴いている
朝日が照っている
私は椿(つばき)の葉を想う
 
「夜明け」
夜明けが来た。雀の声は生唾液(なまつばき)に似ていた。
 
鶏(にわとり)が、遠くの方で鳴いている。――あれは悲しいので鳴くのだろうか?
 
鶏(とり)の声がしている。遠くでしている。人のような声をしている。
 
脣(くち)が力を持ってくる。おや、烏(からす)が鳴いて通る。
 
「朝」
雀の声が鳴きました
 
「咏嘆調」
「夕空霽(は)れて、涼虫(すずむし)鳴く。」
 
「秋岸清凉居士」
虫は草葉の下で鳴き、
 
草々も虫の音も焼木杭も月もレールも、
 
――虫が鳴くとははて面妖(めんよう)な
 
「月下の告白」
虫鳴く秋の此(こ)の夜(よ)さ一と夜
 
「別 離」
裏山に、烏(からす)が呑気(のんき)に啼いていた
 
「(なんにも書かなかったら)」
蜂だとて、いぬ、
小暗い、小庭に。
 
「僕が知る」
かの馬の静脈などを思わせる
 
それはひょっとしたなら乾蚫(ほしあわび)であるかもれない
 
「初恋集」
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあったのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、
 
「月夜とポプラ」
 
木(こ)の下かげには幽霊がいる
その幽霊は、生れたばかりの
まだ翼(はね)弱いこうもりに似て、
而(しか)もそれが君の命を
やがては覘(ねら)おうと待構えている。
(木の下かげには、こうもりがいる。)
そのこうもりを君が捕って
殺してしまえばいいようなものの
それは、影だ、手にはとられぬ
而も時偶(ときたま)見えるに過ぎない。
 
「桑名の駅」
桑名の夜は暗かった
蛙がコロコロ鳴いていた
 
焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは
 
「雲った秋」
棄てられた犬のようだとて。
 
犬よりもみじめであるかも知れぬのであり
 
猫が鳴いていた、みんなが寝静まると、
 
コオロギガ、ナイテ、イマス
 
イマハ、コオロギ、ナイテ、イマスネ
 
「砂 漠」
疲れた駱駝(らくだ)よ、
 
疲れた駱駝は、
         己が影みる。
 
「小唄二編」
象の目玉の、
汽笛鳴る。
 
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に余と坊やとはいぬ
 
広小路にて玩具を買いぬ、兎の玩具かなしからずや
 
 
「月夜とポプラ」も全文掲載しました。
「こうもりと幽霊」のメタファー(喩)は
「蛙」などと同じものです。
そのことを考えるだけでも意味がありそうですから。
 
 
「草稿詩篇(1933年―1936年)」65篇までを一気に
読んでしまいました。
 
動物を詩の中に登場させると
それだけでイメージのインパクトが強烈で
詩人は考え抜いた上で使っていることが見えてきた――というようなことは言えるでしょうか。
 
 
 
 
 
 

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