中原中也に出会った詩人たち・ひとまず終りに
作品が発表された、その時点その時点で
一般読者の中に中原中也と出会った人々が生まれてきました。
出会った人とは
言い方を変えれば、一人のファンになったということでもあります。
一般読者ではなく
プロフェショナルの、学者、詩人、批評家の出会いも
各所に記述されました。
◇
黒田三郎(1919~1980)
平井啓之(1921~1992)
中村稔(1927~)
秋山駿(1930~)
大岡信(1931~)
北川透(1935~)
長田弘(1939~)
清水昶(1940~2011)
これらの人々は
中原中也ファンのラインアップといって過言ではありません。
◇
格別に意識したわけではないのですが
中原中也とのさまざまな出会いを
同時代者(中原中也と面識のある無しに関係なく)ではなく
中原中也没後に詩作品を通じて出会った人の発言を
手近にある書物をめくってランダムにひろっていると
このようになりました。
◇
ほかに、
「わたしは、このようにして中原中也と出会った」と
直接的に表現しないプロフェショナルがあまた存在します。
作品論・作品批評や詩的言語を通じてしか
個人的経験、私的体験としての出会いを記述しない傾向が普通なのです。
ですから、これらはほんの一部の例です。
「派」とか「世代」とかと見出しをつけましたが
それも便宜的なものです。
そもそも、世代によって
中原中也との出会いが異なるのかどうかもわかりませんし
特徴があるのかどうかもわかりません。
仮に、詩を読む行為が
世代別に特徴をもつものであったとしても
それは、傾向に過ぎず
個々の出会いは個々以外のものではないに違いありません。
にもかかわらず
詩の読まれ方には
時代の空気や状況などの
個々の体験以外のものが反映されていることも
見てきた通りです。
◇
戦無派とか団塊世代とかの戦後生まれの
中原中也との出会いはどのようだったのでしょうか?
新人類といわれた世代は?
団塊ジュニアたちは?
ゼロ年代は?
……
そして
現代の中学生たちは
どのように中原中也と出会うのでしょうか?
出会っているのでしょうか?
とりわけ
インターネットとともに育っている世代が
中原中也とどのように出会うのかが
興味深いものです。
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