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中原中也に出会った詩人たち・ひとまず終りに

作品が発表された、その時点その時点で
一般読者の中に中原中也と出会った人々が生まれてきました。
出会った人とは
言い方を変えれば、一人のファンになったということでもあります。
一般読者ではなく
プロフェショナルの、学者、詩人、批評家の出会いも
各所に記述されました。

黒田三郎(1919~1980)
平井啓之(1921~1992)
中村稔(1927~)
秋山駿(1930~)
大岡信(1931~)
北川透(1935~)
長田弘(1939~)
清水昶(1940~2011)

これらの人々は
中原中也ファンのラインアップといって過言ではありません。

格別に意識したわけではないのですが
中原中也とのさまざまな出会いを
同時代者(中原中也と面識のある無しに関係なく)ではなく
中原中也没後に詩作品を通じて出会った人の発言を
手近にある書物をめくってランダムにひろっていると
このようになりました。

ほかに、
「わたしは、このようにして中原中也と出会った」と
直接的に表現しないプロフェショナルがあまた存在します。
作品論・作品批評や詩的言語を通じてしか
個人的経験、私的体験としての出会いを記述しない傾向が普通なのです。

ですから、これらはほんの一部の例です。
「派」とか「世代」とかと見出しをつけましたが
それも便宜的なものです。

そもそも、世代によって
中原中也との出会いが異なるのかどうかもわかりませんし
特徴があるのかどうかもわかりません。

仮に、詩を読む行為が
世代別に特徴をもつものであったとしても
それは、傾向に過ぎず
個々の出会いは個々以外のものではないに違いありません。

にもかかわらず
詩の読まれ方には
時代の空気や状況などの
個々の体験以外のものが反映されていることも
見てきた通りです。

戦無派とか団塊世代とかの戦後生まれの
中原中也との出会いはどのようだったのでしょうか?

新人類といわれた世代は?
団塊ジュニアたちは?
ゼロ年代は?
……

そして
現代の中学生たちは
どのように中原中也と出会うのでしょうか?
出会っているのでしょうか?

とりわけ
インターネットとともに育っている世代が
中原中也とどのように出会うのかが
興味深いものです。

 

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