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生きているうちに読んでおきたい名作たち6・「永訣の秋」の月光詩群・「月夜の浜辺」

その1

「幻影」で
私(=詩人)の頭の中に棲んでいるピエロですが
そのピエロはいつも月光下にいます。
黙劇(パントマイム)を演じている舞台に
月光は射していなければならないものであるかのようにです。

月光(または月)は
中原中也の詩に
たびたびライト・モチーフとして現れることは
よく知られたことでしょう。

「山羊の歌」の「初期詩篇」に
「月」が「春の日の夕暮」の次に配置され
「在りし日の歌」のトップ5番目にも
同名タイトル「月」が配置されているほか
ざっと見ただけで

「山羊の歌」に
「春の夜」
「都会の夏の夜」
「失せし希望」
「更くる夜」

「在りし日の歌」に
「幼獣の歌」
「湖上」
「頑是ない歌」
「お道化うた」
「春宵感懐」
「幻影」
「月夜の浜辺」
「月の光 その一」
「月の光 その二」

――と、月(光)が現われます。

二つの自選詩集の冒頭部に置かれた「月」が
どちらも初期に属する作品であるのにくらべ
「在りし日の歌」の「永訣の秋」に収められた「月(光)の歌」は
「月の光 その一」「その二」で頂点となる一群を形づくる
晩年の作品です。

「幻影」
「月夜の浜辺」
「月の光 その一」
「月の光 その二」
――がそれです。

中原中也の名作詩が
ここに並んでいます。

(つづく)

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛《はふ》れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
 
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。

その2

「月夜の浜辺」は
「在りし日の歌」の後半の章「永訣の秋」で
「一つのメルヘン」
「幻影」と続いた物語詩から二つ飛んで置かれて
月をモチーフにした作品です。

と、こう記したところで
「幻影」の月光が

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

――と「月夜の浜辺」に続いていることに気づくではありませんか!

そしてこの月は
一つ飛んで
「月の光 その一」「その二」の
明るい月光の世界へと続いていることを発見するではありませんか!

この連続は何を意味しているだろうかなどと
しかつめらしい分析や研究をするつもりでないことを
繰り返しません。

詩集を読む一つの筋道が見えると
個々の詩は新たな相貌(かお)を見せはじめるので
新しい驚きと興奮をもって味わうことができて楽しいばかりです。
ビギナーの目でもう一度、青春時代に読んだあの詩を読み返してみよう
Begin once more(ビギン・ワンスモア)――。

「月夜の浜辺」は
風景を歌ってはじめられている詩ですが
その浜辺の風景がどのようなものか
具体的になにものも述べられていません。

 

晩年の作品だから
きっと鎌倉海岸のことであろう、などという推測が可能ですが
そんなことを考えなくてよい詩なのです。

その3

「月夜の浜辺」は
どのような風景の場所なのだろうか
――という疑問にこの詩は答えてくれません。
それが夜の景色であるから、というのでは答えていることになりません。
夜であっても風景がないなどということはあり得ませんから。

この詩に月夜の浜辺の風景を描写することは
邪魔だったのです。
詩の効果から不要だったのです。

人っ子ひとりもいない夜の海辺の砂の上に
月光に照らされて浮き出たボタン――。

この詩は
偶然、砂浜で見つけたボタンと
作者=詩人の心理的ドラマが描かれているものですから
余計な風景描写は邪魔だったのです。

仮にこの場所が
都会の自転車置き場か何かの夜の風景だったとすれば
そんな場所でボタンを拾う詩人の心のドラマは
別の展開を見せることになるでしょう。

町の雑踏の中でボタンを拾うなんて
まったくの偶然ですから
月夜の浜辺でボタンを拾う
必然のような偶然、偶然のような必然とは異なり
要求される言葉の量さえ違ってくるはずです。

 

ボタンと詩人の心理劇が成り立つためには
ボタンは月夜の浜辺で拾われねばならなかったとさえ言えるものです。

その4

ボタンは月夜の浜辺で
拾われるべくして拾われた――。

どうもそのような必然性を感じさせる訳の一つは
この詩「月夜の浜辺」に
風景の描写というものがなく
ルフランが畳みかけるように繰り返される
詩のつくりにあるようです。

この詩をよく見ると
全17行のうち12行がルフランです。
12行がルフランを構成する行です。

第1連と第3連、
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

第2連第1、2行と第4連第1、2行、
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが

第2連第4行と第4連第4行
僕はそれを、袂に入れた。

第5連第1行と第6連第1行、
月夜の晩に、拾つたボタンは

――とそれぞれ繰り返されるのです。

月に向つてそれは抛《はふ》れず
浪に向つてそれは抛れず
――の2行をルフランと考えることもできます。

となれば、繰り返されないのは、

なぜだかそれを捨てるに忍びず
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。
どうしてそれが、捨てられようか?

――の3行だけということになります。

この繰り返しによって
月夜とボタンが強調され
風景は遠のいていきます。

月夜とボタンは切っても切れない関係になり、
必然のような関係になります。

 

僕=月夜=ボタンの関係だけが
浮き彫りになります。

その5

幾種類かのルフランが
畳みかけるように繰り返され
多声部の輪唱みたいな効果をあげる――。

このルフランに
輪をかけるのが7・7音、7・5音のリズムです。

つきよのばんに―ボタンがひとつ
TuKiYoNoBaNNi―BoTaNGaHiToTu
●●●●●●●―●●●●●●●
7―7

なみうちぎわに―おちていた
NaMiUTiGiWaNi OTiTeITa
●●●●●●●―●●●●●
7―5

破調も極めて少なく
整然とした7・7音を基調にしているため
声に出して何度も読んでいると
声に谺(こだま )が生まれ
あたかも男声の輪唱が聞こえてくるかのようです。

使われている言葉も、

月夜

ボタン
波打際
落ちる
拾う
役立てる
思う
捨てる
忍ぶ
袂(たもと)
抛(ほう)る

向う
入れる
指先

沁(し)みる

――と、名詞、動詞で9割以上を占め
形容詞はいっさいなく
副詞(句)に、なぜだか、どうして、があるだけ!

漢字を見ても、

袂(たもと)
抛(ほう)る
忍ぶ
沁(し)みる
――くらいが、やや難しいけれど
「忍(しの)ぶ」を除いて詩人が振ったルビがあります。

難漢字を使わない、
形容詞が一つもないという
やさしい言葉使いであるとともに

月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちていた。
――という第1連を見るだけでも
「しゃべり言葉」と変わらない日常語です。

 

ほかの行もすべて日常語です!
きざっぽい文学表現はゼロです!

その6

普通の日本人が日常会話で使うような
「しゃべり言葉」みたいな現代口語で
「月夜の浜辺」はつくられています。

むずかしいと頭をひねることもないやさしい言葉を
ルフランを駆使し7・7音のリズムに乗せて
朗唱しやすい詩が組み立てられました。

なんの疑問の余地もない詩のようですが
ふと立ち止まらざるをえない言葉に行き当たるのは

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

――という第5連です。

拾ったボタンが、なぜ、指先に沁み、心にも沁みたのでしょうか?

月夜の浜辺の波打際で拾ったボタンを
何かのほころびを繕(つくろ)うためとか
記念品として持ち帰るためにとか
実用に役立てるために拾ったものでないことは分かりますが
なぜこれが指先に沁み、心にも沁みたのでしょうか?

この詩がたった一つ残す謎です。

そこでこの詩を起承転結の流れにそって読んでみると、

第1連が起
第2、3、4連が承
第5連が転
第6連が結。

――という構成が見え
第5連が「転」に当たることが分かります。

この詩が、
月夜の浜辺でボタンを拾ったという
客観的事実を叙述したものでないことを
この第5連は明らかにしているのです。

夜の海に来て僕=詩人が拾ったボタンが
心に沁みるというのは
詩人の内面が明らかにされているということで
さりげないようですが
ここでこの詩は「転」=質的な変化をとげているのです。
それを叙景から叙情への転換といってもおかしくありません。

しかし心に沁みる理由は明らかにされません。

詩の行のどこを探しても
その理由を見つけることはできません。

 

それはもはや
詩の外、作品の外部に求めるしかないことです。

 

 

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