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「白痴群」前後・片恋の詩13「夏は青い空に……」

その1
 
「夏は青い空に……」が
昭和4年6月の制作とされるのは
中原中也が河上徹太郎に宛てた同年6月27日付けの手紙に
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」や
「河上に呈する詩論」とともに同封されていたことからの推定です。
 
この詩も元は「ノート小年時」に清書されていたものですが
河上に送った時に
もう1度清書していますから
「ノート小年時」のものとの間に若干の異同があるのは自然でしょう。
 
発表にあたって
現在の眼で過去に作った詩に手を入れるのは
詩人の常でした。
 
 
昭和4年6月という「季節」
中也は「白痴群」に力を注いでいました。
 
この年のはじめ、渋谷・神山町に引っ越したのは
「白痴群」同人の阿部六郎や大岡昇平の住まいが近くにあったからでした。
 
4月中旬、渋谷百軒店で飲酒した帰途
民家の軒灯のガラスを割り
渋谷警察署へ15日間留置されるという事件を味わったのも
「白痴群」時代の「元気さ」の反映といえるでしょうか。
 
この事件の直後
「白痴群」の打ち合わせを兼ねた京都旅行へ出ますが
泰子もこれに同行します。
 
小林秀雄が泰子から去ったのは
前年、昭和4年5月でしたから
およそ1年が経過しています。
 
 
これらの背景が
「夏は青い空に……」の制作にどのように影を落しているか
いないのかなどと追求するのは無理な話ですが
念頭に入れて読んで
詩の読みに過剰な意味づけを課さないかぎり
オーケーでしょう。
 
この詩の「わが嘆きわが悲しみ」が
これらの事実と無関係ではないかも知れませんし
まったく関係ないかも知れませんし
どちらと決めつけることはできませんが
これらの事実以外に起因しているかもしれないことを想定しながら向き合えば
これもオーケーということになります。
 
 
夏は青い空に……
 
夏は青い空に、白い雲を浮ばせ、
 わが嘆(なげ)きをうたう。
わが知らぬ、とおきとおきとおき深みにて
 青空は、白い雲を呼ぶ。
 
わが嘆きわが悲しみよ、こうべを昂(あ)げよ。
 ――記憶も、去るにあらずや……
湧(わ)き起る歓喜のためには
 人の情けも、小さきものとみゆるにあらずや
 
ああ、神様、これがすべてでございます、
 尽すなく尽さるるなく、
心のままにうたえる心こそ
 これがすべてでございます!
 
空のもと林の中に、たゆけくも
 仰(あお)ざまに眼(まなこ)をつむり、
白き雲、汝(な)が胸の上(へ)を流れもゆけば、
 はてもなき平和の、汝がものとなるにあらずや。
 
 
青い空
白い雲
……
 
わずかこれだけの「自然」を引いて
「わが嘆きわが悲しみ」が歌われます。
 
青い空が
悲しみに転じるために
どのような仕掛けがあるでしょうか。
 
悲しみが「はてもなき平和」にたどり着くには
どのような仕組みがあるでしょう。
 
この詩を読む度に
詩の不思議について思わせられますが
「世の中にどうにもならぬことがあるのを知ったのは、泰子を通じてである」(大岡昇平)という見方に立てば
詩に「ああ、神様」とあるような危機が
青い空や白い雲にインスパイヤー(吹き込まれ)されているからかもしれません。
 
中也の「神頼み」は
半端(はんぱ)じゃありませんでしたから。
 
心のままにうたえる心=詩が生れる秘密を
このように「神への告白」の中に明かしているのですから。
 

 
その2
 
「夏は青い空に……」の前後の作品で
神に直接、
祈り告白し訴え哀願し呼びかける詩句のある詩を拾ってみましょう。
 
発表詩篇では
「山羊の歌」に「生い立ちの歌」
未発表詩篇では
「ノート小年時」に
「寒い夜の自我像」
「冷酷の歌」
「夏は青い空に……」
――が見つかります。
 
 
「生い立ちの歌」では
 
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ながいき)したいと祈りました
 
――というように
直接訴えたといっても「過去形」で「説明的」ですが
 
「寒い夜の自我像」では
 
神よ私をお憐れみ下さい!
この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。
ああ神よ、私が先(ま)ず、自分自身であれるよう
日光と仕事とをお与え下さい!
 
――と神へ訴える言葉そのものが「詩の言葉(詩語)」となり
 
「冷酷の歌」では
 
ああ、神よ、罪とは冷酷のことでございました。
 
――と哀願するようであり共感を求めるようであり
 
「夏は青い空に……」では
 
ああ、神様、これがすべてでございます、
 尽すなく尽さるるなく、
心のままにうたえる心こそ
 これがすべてでございます!
 
――と全てをさらけ出す告白になります。
 
 
その都度、変化しています。
 
これを
「神」へより接近していくとか
「神の国」へ近づいたと読まないほうがベターでしょう。
 
あくまでも
「詩のために」神を登場させたと読んだほうが
詩に近づくことができるはずです。
 
 
中原中也が河上徹太郎に宛てた
昭和4年6月27日付けの手紙には
「河上に呈する詩論」という詩論が同封されていましたが
この詩論で
詩人自身が「詩と神」について言及しています。
 
全文を読んでおきましょう。
 
 
34 6月27日 河上徹太郎宛
 
  河上に呈する詩論
 
 幼時来、深く感じていたもの、――それを現わそうとしてあまりに散文的になるのを悲しんでいたものが、今日、歌となって実現する。
 
 元来、言葉は説明するためのものなのを、それをそのままうたうに用うるということは、非常に難事であって、その間の理論づけは可能でない。
 大抵の詩人は、物語にいくか感覚に堕する。
 
 短歌が、ただ擦過するだけの謂わば哀感しか持たないのはそれを作す人に、ハーモニーがないからだ。彼は空間的、人事的である。短歌詩人は、せいぜい汎神論にまでしか行き得ない。人間のあの、最後の円転性、個にして全てなる無意識に持続する欣怡(きんい)の情が彼にはあり得ぬ。彼を、私は今、「自然詩人」と呼ぶ。
 
 真の「人間詩人」ベルレーヌの如きと、自然詩人の間には無限の段階がある。それを私は仮りに多くの詩人と呼ぼう。
 
 「多くの詩人」が他の二種の詩人と異るのは、彼等にはディストリビッションが詩の中枢をなすということである。
 彼等は、認識能力或は意識によって、己が受働する感興を翻訳する。この時「自然詩人」は感興の対象なる事象物象をセンチメンタルに、書き付ける。又此の時「人間詩人」は、――否、彼は常に概念を俟たざる自覚の裡に呼吸せる「彼自身」なのである。
 
    ――――――――――――――
 
 5年来、僕は恐怖のために一種の半意識家にされたる無意識家であった。――暫く天を忘れていた、という気がする。然し今日古ぼけた軒廂(ひさし)が退く。
 
 どうかよく、僕の詩を観賞してみてくれたまえ。そこには穏やかな味と、やさしいリリシスムがあるだろう。そこに利害に汚されなかった、自由を知ってる魂があるだろう。そして僕は云うことが出来る。
 
 芸術とは、自然の模倣ではない、神の模倣である!(なんとなら、神は理論を持ってはしなかったからである。而も猶動物ではなかったからである。)
 
   1929年6月27日                      Glorieux 中也
 
※「新編中原中也全集」第5巻「日記・書簡」より。読み易くするために「行アキ」を加え、「新かな」「洋数字」に改めたほか、一部に傍点があるのを省略しました。編者。
 
 
中原中也には
「神」や「神様」も
詩の言葉です。
 
 
その3
 
「夏は青い空に……」は
昭和4年(1929年)6月27日付け河上徹太郎宛の手紙に付されていたと
河上自身が昭和13年に「文学界」誌上で発表しています。
 
「中原中也の手紙」の題で発表された河上の評論は
「夏は青い空に……」のほかに
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」も入っていたとも記述しています。
 
この手紙に中原中也は
「河上に呈する詩論」のタイトルを付けていました。
 
 
「ああ、神様」と歌ったのと同じ時に
詩人がほかの詩で歌っていたのは
「倦怠」でした。
 
 
倦 怠
 
倦怠の谷間に落つる
この真っ白い光は、
私の心を悲しませ、
私の心を苦しくする。
 
真っ白い光は、沢山の
倦怠の呟(つぶや)きを掻消(かきけ)してしまい、
倦怠は、やがて憎怨となる
かの無言なる惨(いた)ましき憎怨……
 
忽(たちま)ちにそれは心を石となし
人はただ寝転ぶより仕方がないのだ
と同時に、果されずに過ぎる義務の数々を
悔いながら、数えなければならないのだ。
 
やがて世の中が偶然ばかりで出来てるようにみえてきて、
人はただ絶えず慄(ふる)える、木の葉のように、
午睡から覚めたばかりのように、
呆然(ぼうぜん)たる意識の中に、眼(まなこ)光らし死んでゆくのだ。
 
 
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」は
後に「四季」の昭和10年7月号にも発表されました。
ここに掲出したのは
「ノート小年時」に清書された第1次形態です。
 
 
ああ、神様、これがすべてでございます、
 尽すなく尽さるるなく、
心のままにうたえる心こそ
 これがすべてでございます!
――と告白する詩を歌っている一方で
「倦怠=けだい」を歌っている理由が見えるでしょうか?
 
ここには
中原中也の詩作りの秘密が明かされています。
倦怠は「アンニュイ」であるばかりではなく
詩人の詩の生成をうながす触媒(しょくばい)のようなもので
「けだい」でなければなりません。
 
 
同じ頃に
「汚れっちまった悲しみに……」が歌われており
「倦怠(けだい)のうちに死を夢む」とあるのに
一直線に繋(つな)がっています。
 
 
京都のダダイストの時代から
詩人はすでに
倦怠を歌っています。
 

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