「白痴群」前後・片恋の詩6「盲目の秋」
その1
絶望の底にあっても
絶望しない。
絶望に身を委ねてしまわない――。
絶望に洗われ
翻弄され
木っ端微塵(こっぱみじん)になった自分の「亡骸」を
もう一人の自分が見ている――。
自分の「骨」を見ている世界のようでありながら
その一線は越えていないで
「無限の前で」踏ん張っている。
「死」を垣間(かいま)見ながら
もし「その時」がきたなら「せめて」と
まだその時ではないことが示されます。
「死」を「あの世」から見ているのではありません。
◇
これを「希望」と呼ぶことには無理があるかもしれませんが
絶望一色でないところに詩人は立っています。
「盲目の秋」は
「失恋」の痛みから歌われた詩ですが
もはやその「範疇」に止まっていない詩です。
「恋愛詩」の領域を超えてしまっています。
◇
盲目の秋
Ⅰ
風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、
それもやがては潰(つぶ)れてしまう。
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまえに腕を振る。
もう永遠に帰らないことを思って
酷白(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……
私の青春はもはや堅い血管となり、
その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。
それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、
去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、
厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく
異様で、温かで、きらめいて胸に残る……
ああ、胸に残る……
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまえに腕を振る。
Ⅱ
これがどうなろうと、あれがどうなろうと、
そんなことはどうでもいいのだ。
これがどういうことであろうと、それがどういうことであろうと、
そんなことはなおさらどうだっていいのだ。
人には自恃(じじ)があればよい!
その余(あまり)はすべてなるままだ……
自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行(おこな)いを罪としない。
平気で、陽気で、藁束(わらたば)のようにしんみりと、
朝霧を煮釜に塡(つ)めて、跳起(とびお)きられればよい!
Ⅲ
私の聖母(サンタ・マリヤ)!
とにかく私は血を吐いた! ……
おまえが情けをうけてくれないので、
とにかく私はまいってしまった……
それというのも私が素直(すなお)でなかったからでもあるが、
それというのも私に意気地(いくじ)がなかったからでもあるが、
私がおまえを愛することがごく自然だったので、
おまえもわたしを愛していたのだが……
おお! 私の聖母(サンタ・マリヤ)!
いまさらどうしようもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――
ごく自然に、だが自然に愛せるということは、
そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、そう誰にでも許されてはいないのだ。
Ⅳ
せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでしょうか。
その時は白粧(おしろい)をつけていてはいや、
その時は白粧をつけていてはいや。
ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に副射(ふくしゃ)していて下さい。
何にも考えてくれてはいや、
たとえ私のために考えてくれるのでもいや。
ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいていて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、
いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、
それで私を殺してしまってもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)を昇りゆく。
◇
「盲目の秋」が
「めしいのあき」と読まれなくなってしまったのは
冒頭の重量感あふれる詩語が
人々をタイトルというよりも
詩世界そのものへ引きずり込むからでしょうか。
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまえに腕を振る。
――この2行の3度のルフラン(繰り返し)が
人々を否応もなく
この言葉との対峙を迫るからでしょうか。
◇
断崖絶壁に立つ詩人が
覗き込んだ深淵に
見え隠れする血の色の花――。
激しく揺れ騒ぐ波の間に
紅の花は崩れ去ってしまいます。
何度も何度も
こうして深い溜息を漏らしたことだろう。
去ってゆく女が寄越す
微笑のような
哄笑のような
しずかで
キラキラしていて
なみなみとして
おごそかで
ゆたかで
わびしく
異様で
温かで
ピカッときらめく
一瞬が
胸に残ります。
永遠に……。
◇
その2
「盲目の秋」は第1節で
激しく逆巻く波の間に見え隠れする
紅の花・曼珠沙華(ひがんばな)を見る詩人が
自らの失われた青春をそれに重ね合わせ
同じく泰子が去った時に見せた笑みを重ね……
眩暈(めまい)に襲われそうな断崖に立ちすくみながらも
足を踏ん張って
腕を振って
その永遠のような瞬間を堪える姿を
風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
――と歌いました。
この2行こそ
中原中也が
後世に残した絶唱です。
その一つです。
これが「恋愛詩」の一節とは!
だれがそのように読むものでしょうか!
◇
第2節、3節、4節を読めば
それが見えてきます。
◇
盲目の秋
Ⅰ
風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、
それもやがては潰(つぶ)れてしまう。
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまえに腕を振る。
もう永遠に帰らないことを思って
酷白(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……
私の青春はもはや堅い血管となり、
その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。
それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、
去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、
厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく
異様で、温かで、きらめいて胸に残る……
ああ、胸に残る……
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまえに腕を振る。
Ⅱ
これがどうなろうと、あれがどうなろうと、
そんなことはどうでもいいのだ。
これがどういうことであろうと、それがどういうことであろうと、
そんなことはなおさらどうだっていいのだ。
人には自恃(じじ)があればよい!
その余(あまり)はすべてなるままだ……
自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行(おこな)いを罪としない。
平気で、陽気で、藁束(わらたば)のようにしんみりと、
朝霧を煮釜に塡(つ)めて、跳起(とびお)きられればよい!
Ⅲ
私の聖母(サンタ・マリヤ)!
とにかく私は血を吐いた! ……
おまえが情けをうけてくれないので、
とにかく私はまいってしまった……
それというのも私が素直(すなお)でなかったからでもあるが、
それというのも私に意気地(いくじ)がなかったからでもあるが、
私がおまえを愛することがごく自然だったので、
おまえもわたしを愛していたのだが……
おお! 私の聖母(サンタ・マリヤ)!
いまさらどうしようもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――
ごく自然に、だが自然に愛せるということは、
そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、そう誰にでも許されてはいないのだ。
Ⅳ
せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでしょうか。
その時は白粧(おしろい)をつけていてはいや、
その時は白粧をつけていてはいや。
ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に副射(ふくしゃ)していて下さい。
何にも考えてくれてはいや、
たとえ私のために考えてくれるのでもいや。
ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいていて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、
いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、
それで私を殺してしまってもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)を昇りゆく。
◇
「盲目の秋」は
4節に分かれる長詩です。
ⅠとⅣについてすでに読んだのは
この詩が「起承転結」の形(定型)になっているからでした。
乱暴な言い方ですが
起と結を読んで
「中身」の承と転を飛ばして読んでも
この詩を十分に読んだことになりそうですから
そのようにしたまででした。
◇
Ⅱは、「無限の前に腕を振る」を受けたように
己(おのれ)を恃(たの)む、自分だけを頼りにすること以外に
何ものもないことが歌われます。
「自恃」は、さほど大げさなことではなく
藁束のようにしんみりと
朝霧を煮釜につめて
(朝を)起きられればよい
――日々の暮らしをすることです。
友人や他者や神さえも
今そこに当てにしなくてもよい
自分一人の自足が歌われるのですが……。
Ⅲは、そういった直ぐ後に
聖(サンタ)・マリヤつまり泰子への希求の叫びとなります。
私がおまえを愛することがごく自然だった
おまえもわたしを愛していた遠い日を
心に刻んでおくだけでよい……。
◇
どちらの節でも包み隠さない詩人が現われ
嘘偽(うそいつわり)のない己をさらけ出します。
全ての虚飾を剥ぎ取れば
人間はこういうナチュラルな状態になると言いたげな
まったく自然の、生身の人間がここにいます。
この詩人は
現世を生きる、ただの「恋愛する人」です。
生のさなかにある人です。
「こちら」に存在していて
「あちら」に行ってはいません。
◇
この詩人が
最終節で歌います。
「もしも」私が死ぬ時が来れば……
「せめて」と「仮定願望」の歌を歌うのです。
◇
詩人は
「骨」や「秋」と至近距離にいます。
至近距離にありながら
「盲目の秋」で詩人が立つ所は
「無限の前」です。
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