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酔いどれ船

 
私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人(あかはだびと)等が、彼等を的(まと)にと引ッ捕え、
色とりどりの棒杭に裸かのままで釘附けていた。
 
私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。
 
私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒濤を繞(めぐ)らす半島と雖(いえど)も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。
 
嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々(かろがろ)私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯(ひ)に目の疲れるのも気に懸けず。
 
子供が食べる酸い林檎よりもしんみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒(やすざけ)や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。
 
その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々(なまなま)しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。
 
其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下(もと)を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫(ぼうぼう)と、
愛執のにがい茶色も漂った!
 
私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光(あけぼの)を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。
 
不可思議の畏怖(おそれ)に染(し)みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。
 
私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちづけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。
 
私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしもかの光り耀(かがよ)うマリアの御足(みあし)が
お望みとあらば太洋に猿轡(さるぐつわ)かませ給(たま)うも儘(まま)なのを気が付かないで。
 
船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚(はだえ)の豹の目は叢(むら)なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遥かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。
 
私は見た、沼かと紛(まご)う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪(なぎ)の中心(もなか)に海水は流れいそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!
 
氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠(おき)の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!
 
子供等に見せたかったよ、碧波(あおなみ)に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。
 
時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった
 
半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりへ)にと流れて行った……
 
私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風(ぐふう)によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、
 
思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘇苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、
 
電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛(まも)られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、
 
私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮(うず)の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚(よ)る欧羅巴(ヨーロッパ)が私は恋しいよ。
 
私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流(ただよ)う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おお、百万の金の鳥、当来の精力よ!
 
だが、惟(おも)えば私は哭(な)き過ぎた。曙は胸抉(えぐ)り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おお! 龍骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!
 
よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲(しゃが)んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。
 
ああ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
綿船(わたぶね)の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切(よぎ)りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

 

 

 


ひとくちメモ その1

ようやく「酔ひどれ船」Bateau ivreにたどり着きました。
中原中也訳「ランボオ詩集」では
16番目にある詩で
1度、2011年8月22日から4回に分けてブログ「中原中也インナープラネット」で連載した「ランボー・ランボー 中原中也の「酔ひどれ船」を読む」で読んでいますが、ここでそれを、もう一度、一挙に読んでおくことにします。
以下再録のものです。

ランボーの詩ってどんなものだろうと
はじめて関心をいだいた読者が
早い時期に「酔いどれ船」を手に取ることは間違いありません。

「酔いどれ船」は
冒頭の1連で
赤い肌をした無頼漢どもが
船を操る水夫たちに代わって
舵を取ることになった航海のはじまりが告げられるのですが
そのはじまりを告げる「私」が
この「船」であることに気づくまでに
しばらくの時間がかかるような晦渋な詩です。

赤肌人とは海賊かなにかで
これまで船を操っていた曳船人を捕まえては裸にして
色鮮やかな棒杭に縛りつけてしまいます。
縛りつけるというより
釘付けにしてしまうというのですから
かなり荒っぽい残虐なイメージで
船に革命が起きたことを表現するのです。

これが
4行構成の第1連で
この、酔っ払ったような航海を
「酔いどれ船」というタイトルで
全部で25連にわたって記述していきます。

はじめは
大河を下る船ですが
いつしか
大洋をあてどなく漂流する船になり
フラマンの小麦やイギリスの棉花を運ぶ任務もなくなり
舵も錨もない
解放された航海が続くことになります。

第2連

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

ここの「私」は
「船」です。
フラマンの小麦や
イギリスの綿花を運ぶ仕事なんて
どうでもよかった
曳船人たちの騒動がおさまってから
(曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは)
河は思うがまま航行させてくれたのだ、と読みます。

波が荒れ狂う中を、過ぎ去った冬のこと
子どもの頭よりもきかんぼうに漂ったことがあったっけ!
(「聾乎(ぼつ)として」は「聞き分けのない」の意味の中也的翻訳です。)
滅茶苦茶に漂流しまくった、って感じ。
怒涛の波に洗われる半島の周辺といえども
その時ほど荒れ狂ったことはない、凄まじい動乱だったさ。

嵐は私=船の警戒ぶりを褒めたたえたよ。
浮きよりも軽々と波間におどったもんだ
それまで犠牲になった者たちを永遠にもてあそんでいる波の間に放り出されて
幾夜も幾夜も艫(とも)の灯に目が疲れるなんてことも気にならなかった

子どもが食べるすっぱいリンゴよりしんみりした
(「しんみり」は「熟す」で「甘酸っぱい」の意味か、ここも中也らしい。)
緑の海水は樅(もみ)の木でできた船体に染み込むことだろう
安酒アブサンやゲロの痕が、舵も錨もなくなった私=船にやたらと刻まれることになった。
(船がアルコール臭のするゲロの臭気で満ちていた)

その時からだ、(真に)海の歌を浴びたのは。
星をちりばめたミルクのような夜の海に
生々しくも船の吃水線が青ずんで、緑の空に溶け込みそうなところを
丁度、一人の水死人が、何か考え込むように落ちて行く。

そこにたちまちにして蒼―い(あおーい)色が浮かび、おどろおどろしく
また太陽のかぎろいがゆるゆるしはじめる、その下を
アルコールよりもずっと強く、オルゴールよりも渺茫として
愛執の、苦い茶色が混ざって、漂ったのだ!
(青、緑のグラデーションに、黄色、赤、茶色……の眩暈!)

私=船は知っている。稲妻に裂かれる空、竜巻を
打ち返す波、潮を。夕べを知っている、
群れ立つ鳩に、上気したようなピンクの朝日を、
また、人々がおぼろげに見たような(幻を)この目で見た。

落日は、不可思議なるものの畏怖に染まり
紫色の長い長い塊(かたまり)を照らし出すのは
古代ギリシアの劇の俳優たちか
巨大な波が遠くの方で逆巻いている。

ここまでで
全詩の3分の1を少し行ったところです。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

これは「酔ひどれ船」の第10連で
大洋に出た船が
猛(たけ)り狂う現実の海のさ中にあって
目も眩(くら)むばかりの雪が降り積もった緑の夜を
夢に見る、という展開を見せるくだりです。

雪の白が夜の中で緑を帯びる眩(まばゆ)い光景に
接吻(くちづけ)が海の上にゆらりゆらりと立ち昇ってくる
(というのは、太陽が昇ってくる朝の景色でしょうか)
かつて聞いたこともない生気がぐるぐると循環し
歌うような(赤い)燐光は青や黄色に映えていっそう鮮烈さを増した

大海原に雪が降り積もり緑色を帯びている夜の夢が
太陽の昇るシーンへ場面転換し
めくるめく色彩の乱舞するサンライジングのあざやぎ!

(「あざやぐ」は、中原中也がよく使う造語です。「あゝ! 過ぎし日の 仄燃えあざやぐ をりをりは」の例が「含羞」にあるほかにも、いくつかが使われています。)

私=船は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小屋に似た大波が暗礁にぶつかっていくのに
もしもあの光り輝くマリアの御足が
お望みとあらば大洋に猿轡(さるぐつわ)をかませ給うたままであったのにも気付かずに。

船は衝突した、世にも不思議なフロリダ州
人の肌の色をした豹の目は、群れなして咲く花々にまじって
手綱のように張り詰めた虹は遙か彼方の沖合いで
海の緑の色をした畜獣の群れに、混ざり合っている。

私=船は見た、沼かと見間違えそうな巨大な魚簗(やな)が沸き返り
そこにリバイアサンの仲間が草にからまり腐ってゆき
凪の中心に海水は流れ込み
遠くの方の深みをめがけて滝となって落ちているのを。

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠(オキ)のような空
褐色の入江の底にはぞっとする破船の残骸
そこに大蛇(おろち)が虫の餌食になって
くねくねと曲がった木々の枝よりもどす黒い臭気を放って死んでいた。

子どもらに見せてやりたかった、碧い波に浮いている鯛や
そのほか、金色の魚、歌う魚
(漚=オウの花とは「泡沫」がかなり近い言葉でしょうか)
泡沫=うたかたは、私=船の漂流を祝福し
なんともいえない風が吹いて時々は航行を進めてくれるのだった。

ここで第15連までです。
あと残り10連あります。

論理的にだけ捉えようとすると
ランボーの詩は
するりと指の間から滑り落ちていってしまうかもしれませんから
説明を省いて
読者個人個人の想像力にまったほうがよいことが多々あるようです。

時には地極と地帯にあき果てた殉教者さながら海は
すすり泣いて私=船をあやしなだめ
黄色い吸い口がある仄暗い花をかざして見せた
その時私=船は立て膝をつく女のようであった。

半島が近づいて揺らぎ金褐色の目をした
怪鳥の糞を撒き散らす
こうしてまた漂流してゆけば、船のロープを横切って
水死体が幾つも後方に流れて行ったこともあった……

私=船でさえ浦という浦で乱れた髪に踏み迷う有様で
鳥も棲まない大気までもハリケーンによって投げられたら
モニター艦もハンザの船も
水に酔っ払ってしまった私=船の死体を救出してくれることもないだろう、

思うままに、煙を吹き出し、紫色の霧を吐き上げて
黒い海馬に守られて、狂った小舟は走っていた
7月が、丸太棒を打つかのように
燃える漏斗形の紺青の空を揺るがせた時、
(夏の海の紺青の空が「ロート」の形に捉えられたのです。)

私=船は震えていた、50里の彼方で
ベヘモと渦潮(メールストローム)が発情する気配がすると
ああ永遠に、青く不動の海よ
昔ながらの欄干にもたれるヨーロッパが恋しい!
(「欄干」も中原中也に詩に出てきます。)

私=船は見た! 天を飛ぶ群鳥を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流者たちに開放されていた
底知れぬこんな夜に眠ってはいられない、もういないのか
おお、百万の金の鳥、未来よ! 精力よ!

だが、思えば私=船は慟哭し過ぎた。曙光は胸を抉(えぐ)り
月はおどろしく太陽は苦かったから。
どぎつい愛は心をとろかして私=船をいかせてしまい縛りつけてしまった。
おお! 竜骨も砕けてしまえ、私=船も海に沈んでしまおう!

もし私=船がヨーロッパの水を欲しているとしても、それはもはや
黒い冷たい林の中の池水で、そこに風薫る夕まぐれに
子どもは蹲(しゃが)んで悲しみでいっぱいになって、放つのだ
5月の蝶とかいたいけない笹小舟。

おお波よ、ひとたびお前の倦怠(けだい)にたゆたっては
棉船の水脈をひく航跡を奪ってしまうわけにもいかず
旗と炎の驕慢を横切りもできず
船橋の、恐ろしい眼の下を潜り抜けることも出来ないってことなのさ。
(「倦怠」も、ここでは「けだい」と読みました。多少なりとも、「倦怠」でランボーと中原中也がクロスします。)

無理やりに整合性を取ろうとして
語句と語句、詩句と詩句を結びつけようとしては
ランボーを壊しかねない、というスタンスを
求められるような読みになります。

飛躍、省略、矛盾……は
四角四面の石頭に心地よく響くはずです。

 

めくるめく万華鏡……。
色彩の天国地獄……。
想像の変幻無限……。

ひとくちメモ その2

中原中也訳の「酔ひどれ船」Bateau ivreには
いくつかの逐次形が存在し
題名も1度変わりました。

逐次形(ちくじけい)というのは
草稿や発表形が複数ある場合のうち
それぞれに異同や異文があれば
それぞれを示す形態のことです。

現存する草稿や、
新聞・雑誌・詩集へ発表した
その時々の作品の形は
その時々に加筆され、訂正されることが普通にありますが
このような推敲によって出来た時系列の形が
逐次形です。

「酔ひどれ船」は、第3次形態までが存在し
第2次形態は、草稿と発表形が存在しますし、
題名も、第1次形態では、
「酔つた船」でした。

このことを
制作年、発表誌などを整理して
もう少し詳しく見ると

第1次形態 「日本歌人」昭和10年(1935)1月13日制作(推定)
第2次形態 ①草稿 昭和10年11~12年(推定)
      ②「ランボオ詩抄」昭和10年12月~同11年(1936)6月制作(推定)
第3次形態 「ランボオ詩集」昭和11年6月~同12年8月28日(推定)
(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳解題篇」より)

――などとなっています。

中原中也と「酔いどれ船」との出会いについては
このブログでもざっと触れていますが
(※2011年7月23日「ランボー・ランボー<1>上田敏訳の「酔ひどれ船」など)
「大正13年夏富永太郎京都に来て、彼より仏国詩人等の存在を学ぶ」と
中原中也本人の書いた小自伝「詩的履歴書」の1節が
引き合いに出されて説明されるのが一般的です。

そのことはそれで結構なのですが
ここでは、
中原中也がランボーの名を初めて知ったのは
これより前の「ダダイスト高橋新吉の詩」の中でのことだったことに
触れておきましょう。
案外、知られていないようですから。

「ダダイスト高橋新吉の詩」は
1923年(大正12年)に中央美術社という出版社から発行されるのですが
その巻頭に「跋」として
やはりダダイストとして知られる辻潤の寄稿があり
その中に
「新吉はたしかに和製ランボーの資格があるが、あいにく己がヴェルレイヌでないことは甚だ遺憾だ」などと
新吉を案内しています。
これを、中原中也が読んだことは間違いのないことなのです。

大岡昇平の中原中也伝が
富永太郎からの影響を強く訴えたために
このことは影をひそめた印象ですが
富永太郎から教わる前に
中原中也がランボーを
名前だけでも知っていたという事実は
記憶に留めておかなくてはなりません。

ひとくちメモ その3

中原中也が「ダダイスト新吉の詩」を
京都丸太町の古書店で見つけ
「中の数篇に感激」したのは
大正12年(1923年)の秋で
富永太郎が京都に遊びに来たのが
翌大正13年の夏のことでした。

富永の口からランボーの名前が出たとき
中原中也が目を輝かせたことは
想像に難くはありません。

小林秀雄が
東京・神田の街の本屋の店頭で
メルキュウル版「地獄の季節」を手にしたのは
小林が23歳の時と本人が書いていますから
1925年(大正14年)のことでしたが
ランボーの名前を知ったのは
それ以前のことであった可能性があります。

「ランボオⅢ」の中で
小林秀雄は「地獄の季節」との邂逅を
「どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。而も、この爆弾の発火装置は、僕の覚束ない語学の力なぞ殆ど問題ではないくらいに敏感に出来ていた。(略)僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。」と記しています。

「ランボオという事件」のはじまりですが
中原中也の場合も小林秀雄の場合も
ここに富永太郎の存在が大きな影を引いています。

この頃
中原中也のフランス語の力は
小林秀雄とさほど差はなかったように見えますが
帝大仏文科に在学している小林と
東京に出て来たばかりの中原中也との間に
文学関係から一般的な生活に関してまで
入ってくる「情報」は歴然とした差があってもおかしくはありません。

「酔ひどれ船」を
中原中也が初めて読んだのは
富永が京都に来て直後のこととですが
フランス語の学習を始めてもいない頃で
翻訳でランボーの詩を読むほかにありませんでした。

柳沢健訳の「酔ひどれの舟」が
大正3年に刊行された詩集「果樹園」の中に訳出されているほかに
上田敏の未定稿が
大正12年発行の「上田敏詩集」にあり
中原中也はこれを
3回筆写したことが分かっています。

この筆写は
大正13年秋から同15年の間に行われてことが推定されています。

同時代訳としてこのほかに
金子光晴訳の「よいどれの舟」が大正14年(1925年)に
小林秀雄訳の「酩酊船」が昭和6年(1931年)に
堀口大学訳の「酔ひどれ船」が昭和9年(1934年)に発表されるのですが
中原中也は
ヴェルレーヌの「アルチュール・ランボー」を訳しながらも
「酔ひどれ船」の翻訳を完成することはありませんでした。
(※翻訳に取り組んだことは確実です。)

このような経過をとり
「酔つた船」として
前川佐美雄が主宰する「日本歌人」に発表されたのは
昭和10年3月号上になります。

この間、建設社版「ランボオ全集」のために
昭和9年9月から翌10年3月末の間を
ランボーの詩篇の翻訳に専念しましたから
この時に、「酔つた船」の翻訳を進めたことが推測されます。

前川佐美雄を中原中也に紹介したのは
「ダダイストの新吉の詩」の作者、あの高橋新吉でした。

中原中也と高橋新吉は
ダダイズムを通じたのと同じ程度に
ランボーを通じての交感(交流)が
ずっと継続していたということになります。

ひとくちメモ その4

ランボーが「Bateau ivre」を作ったのは
パリ・コンミューンが労働者側の敗北に終わって後の
ポール・ヴェルレーヌに初めて会うまでの間、
1871年9月と推定されています。

この期間にランボーは
後に「見者(ボワイヤン)の美学」として広く知られることになる
独特の詩論を固めて
知人・友人宛の書簡の中で展開しますから
「Bateau ivre」と「見者の詩学」は
同じ時期に書かれたことになります。

書簡の一つが
1871年5月13日付けで
旧師ジョルジュ・イザンバールへ
もう一つが5月15日付けで
文学上の友人ポール・ドメニーへ宛てられました。
ここでドメニー宛の書簡を読んで
ボワイヤンについて少しだけ知っておくことにしましょう。

二つの書簡は
同一のことを相手の違いを配慮して展開しているようで
イザンバール宛で概念的に短く提示した見者論を
ドメニー宛で詳しく説明的に提示したものという解釈が普及しています。
(西条八十など。)

いま、比較的に手に入りやすいものとして
「ランボー全詩集」(鈴木創士訳、河出文庫)、
「ランボーの手紙」(祖川孝訳、角川文庫)や
「ランボー詩集」(鈴村和成訳編、思潮社)などがありますが
初版発行日が最も古い祖川孝訳で読みます。

以下、引用になりますが、長いので何度かに分割します。

ポール・ドメニー宛(在ドゥエ)
                            シャルルヴィル 1871年5月15日

 新しい文学について一時間ばかし油を売ることにしました。ひきつづき際物の聖詩から始めます。

 巴里の軍歌

春の胸のすく清らかさ、そは
緑したたる所有物(すべてのもの)の心から飛び立ち
ティエールとピキヤアルの飛翼が
覆なき耀(ひかり)を放っているからだ。

おお 五月! 露(あらわ)な臀部(でんぶ)の なんたる狂おしさよ!
シェヴル、ムゥドン、バニュウ、アスニエール
いざ 耳傾けよ 客人(まろうど)たちの
春のもの蒔(ま)く音に!

彼らの持ちものといえば軍帽、サーベル、銅鑼(どら)
古ぼけた蝋燭(ろうそく)箱こそないけれど。
快走船は 手ぶらで 走る……
くれないの水たたえる湖をかきわけ

あなたにえし 未明(あけがた)に
黄なる荒玉
わが茅屋(ぼうおく)に降りそそげば
われらは ためしなき程に 浮れ騒ぐ。

ティエールとピキヤアルはエロス
向日葵(ひまわり)の掠奪者。
石油(あぶら)でもって コロオを画く
彼らが流儀の出来損ね……

彼らは大山師の眷者一族……
しかも、花菖蒲の中に伏してファブルは
水しぶきのように眼をばまばたき
胡椒(こしょう)で鼻をびくつかせる。

石油(あぶら)のシャワーをそそげども、
都大路の舗道(ほどう)はなおも熱し、
そこで、われらは思い切って
役目にあるおん身を授けねばなるまい……

長い間、うずくまって
のうのうとしている田舎者めら、
赤い潰滅(かいめつ)の中で
小枝の折れるのを聞くだろう。

 次に、詩の将来についての散文はこうです。

 古代詩はすべてギリシア詩、すなわち調和ある生活に帰着します。
 ギリシアから浪漫主義運動まで――つまり中世には――幾多の文学者なり作詩家なりが輩出しています。エニイウスからテロデュス、テロデュスからジィミイル・ドゥラヴィーニュに至る間、どれをあげても韻文化された散文であり、戯れごとであり、数かぎりない馬鹿者の世代の無気力と光栄とです。――ラシーヌは純粋で、力強くまた大きい――万一、彼の韻律が吹き消され、半句が乱されでもしていたら、今日では「聖なる愚者」も起原時代の最初に現れた作者と同じく、まったく知られずにいたことだろう。ラシーヌ以後はその戯れごとも黴(かび)が生えて来ます、こいつは正に二千年つづいたのです!

 冗談でも逆説でもございません。理性の力によって、私はこの問題について、「若きフランス」が嘗てそれほどの忿懣を感じたことはなかったほどの確信を懐かされたのです。それに、先人を嫌悪するのは新人たちの自由です。なにをしようと気随気儘(きまま)で、こっちには時間がある。

 浪漫主義は、曾て正しく批判されたことがありません。誰がそれを批判したでしょう。批判家がです! では、浪漫主義者はどうだろう! これは歌が作品――即ち、歌い手によって歌われ理解された思想――である場合が実に稀(ま)れであることを充分証明している連中です。

 かく申し上げるについては「わたし」と云うのは一人の「他人」だからです。銅が喇叭(らっぱ)になり変ったところで、銅になんの落度もございますまい。話は至極簡単明瞭(めいりょう)です。わたしは今や思想の開化の席に臨んでいます。それを眼に凝し、それに耳をすましています、そして楽弓(ゆみ)を一ゆみひけばシンフォニーはあの深淵(しんえん)の中で律動を始め、或(あるい)はいきなり舞台の上に躍り出るのです。

まずは、
コミューン体験を歌った自作詩が披瀝されます。

もうすでに
ランボーのコンミューンへの熱情は冷めているようです。

そして、詩の未来について述べるのですが
それを述べるために
詩の歴史についてひとくさりをやるのです。
相手が、文学志向の強い友人ドメニーのことですから
ランボーの思う存分が展開されていきます。

「私は一つの他人」――。
有名な一節が現れました。

ひとくちメモ その5

ランボーが「見者(ボワイヤン)の美学」を披瀝した
友人ポール・ドメニー宛1871年5月15日付けの書簡を
「ランボーの手紙」(祖川孝訳、角川文庫)から引用して
読み進めます。

(前回からつづく)

 老いぼれの愚物どもが自我について誤った意味しか発見していなかったというようなことさえなければ、果しない無限の昔から、めっかちの理智(りち)の産物を積み重ねて、われこそはその作者なりと喚きたてている数百万の髑髏(どくろ)など、われわれはこれを一掃したりする必要はなかったのです。

 ギリシアでは、既に申しあげましたが、詩と竪琴(たてごと)と呂律(ろれつ)です。つまり行動です。その後は、音楽も韻も戯れごとと娯楽です。こうした過去の研究に物好きな連中はうつつを抜かしています。大勢の面々はこうした古代を復活させては悦に入っています――正に彼等にお誂(あつら)え向きの仕事です、もともと、宇宙論的知はいつも自然にその理想を投げ出して来たものです。人々は脳漿(のうしょう)より生ずるこうした成果の一部を取り入れたものでした。人は労することもなければ、今尚めざめることもなく、でなければ大いなる夢の横溢(おういつ)の中にもまだ入っていなかったがために、かかる経路を辿(たど)って来たものでした。お役人、文筆の徒でした。作者、創造者、詩人、こういった人間は曾てまだ存在しなかったのです!

 詩人ならんと願うものの第一に究むべきことは、自分自身を完全に知ることです。自己の魂を探求し、それを検討し、それを試み、それを把握することです、それを知ってしまったら、それを培わねばなりません、こうしてみるとなんの訳もなさそうです。一切脳漿の中で自然的発展が行われるからです。多くの「エゴイスト」は自分を作家だと自任している。その他にも自分の知的進歩をわがもの顔にする手合いがどんなに沢山いることか!――ところで、魂をば怪物のように作り上げるのが肝心なのです。コンプラキコスの手口でもって、ね! 自分の面へ疣(いぼ)を植えつけて置いて、そいつを育てあげる人間を御想像下さい。

 「見者」たるべし、「見者」となるべし、と私は云うのです。
 「詩人」はあらゆる感覚の、久しい、宏大(こうだい)な、熟考された不羈(ふき)奔放化によって「見者」となるのです。恋愛の、苦悩の、狂気のありとあらゆる形式です。己(おの)れ自身を探し求め、己れの裡(うち)にある一切の毒物を汲(く)み尽し、その精髄のみを保存するのです。口舌に尽し難い苦悩、その時こそ、あらゆる信念、あらゆる超人間的な力が必要であり、その時こそあらゆる人々の中で最も偉大な病者、最も偉大な罪人、最も偉大な呪(のろ)われ人となり、――果ては至上の「学者」となる! なにしろ彼は未知のものに達しているからである! それも既にいかなる魂にも増して豊穣(ほうじょう)だった自分の魂を自ら耕したからである。彼は未知のものに達したのである。そして気も錯乱して遂には自分の幻像が理解出来なくなった時、彼は正しくその幻像を見たわけです! 数限りない前代未聞の事物による跳躍のなかで、くたばるならくたばるがよい。他の恐るべき労働者たちがその代わりにやって来るだろう。他方が倒れた地平線から彼等は仕事をやり始めることだろう。

 ――後(あと)六分間の御辛抱――

 ここへ「本文以外の」第二の聖歌を挿入します。耳をよくすませてお聞き願い度い。そうすれば誰でも惚(ほ)れ惚(ぼ)れとなるでしょう。手は楽弓(ゆみ)をもちました。さあ、始めよう。

   わが小さき恋人たち

涙の香水は洗う
 緑のキャベツの空を。
 汝(なれ)のゴムに涎(よだれ)をたらす。
嫩芽(どんが)ふく樹の下影で

なみならぬ月の白き
 円きかさつけて
膝覆(ひざおお)い衝き合せよ
 わが醜女(しこめ)ら。

あの時は互に好きつ好かれつ
 青き醜女よ
たがいに食ったことが! 半熟卵と
 それに はこべ!

ある夜、汝はわれ詩人と崇めぬ
 ブロンドの醜女よ
 降り立ち来よ 笞(むち)うたん
膝の上で!

われは汝(いまし)髪油(あぶら)を口より吐きぬ
 黒き醜女よ
汝のおでこで断ち切るやも知れじ
 わがマンドリンの糸を。

ああ鼻持ちならぬ! 乾ききった互いの唾(つば)
 赤茶毛の醜女よ
今もなお 臭気を放つ
 まろき 汝の乳房の壕(くぼみ)

ああ わがいとしき女(もの)よ
 憎しも憎し!
苦しみの吐息もて覆いかぶせよ
 なれの穢(けが)れたる乳房を!

わが感情(こころ)の古ぼけた鉢をば
 足にて踏みつけよ
いざ飛べよ――わが舞姫となれ
 ひと時の間を!……

汝の肩甲骨(けんこうこつ) はずれて
 ああ 恋しきものよ!
びっこひく汝の腰に星はかがやき
 まわれやまわれ!

その肩肉に捧げんためか
 わが詩にて詠みしは
汝の腰 われ砕かばや
 愛せしものの!

射損ねた色褪せし無数の星々よ
 隈(くま)なく空にちりばめろ!
――愚劣なる配慮を背負い込み
 くたばり果てて神となれ!

円きかさつける
 なみならぬ月の下に
膝覆い衝き合せよ
 わが醜女ら

この通りです。ところで、郵税六十セント以上を貴方に支払わせてよければ――なにしろ哀れにも茫然(ぼうぜん)たる僕は、七ヶ月来銅貨一枚手にしたこともない始末です!――更に「巴里の愛人たち」十二音綴(つづ)詩百節と「巴里の死」の十二音綴詩二百節をお目にかけられるのですが!――ふたたび講釈にかかりましょう。

だから、詩人は正に火を盗み出す者です。

思いつくままを
ランボーはしゃべりまくっている感じですが
これが、単なるおしゃべりではないことは明らかでしょう。

ランボーは
一つの「仕事」といってよいほどの力作を
友人に書き送っているのです。

これは
詩人の仕事です。
パリ彷徨の中で
ランボーは
詩から離れたことはなかったのですから。

ドメニー宛の書簡は
ここまでで3分の2ほどです。

ひとくちメモ その6

ランボーが友人ポール・ドメニー宛に
1871年5月15日付けに出した書簡を
「ランボーの手紙」(祖川孝訳、角川文庫)から引用して読んでいますが
2、3キーワードとなるところを
ピックアップしますと

○ かく申し上げるについては「わたし」と云うのは一人の「他人」だからです。銅が喇叭(らっぱ)になり変ったところで、銅になんの落度もございますまい。

○ 詩人ならんと願うものの第一に究むべきことは、自分自身を完全に知ることです。自己の魂を探求し、それを検討し、それを試み、それを把握することです、それを知ってしまったら、それを培わねばなりません、こうしてみるとなんの訳もなさそうです。

○ ところで、魂をば怪物のように作り上げるのが肝心なのです。コンプラキコスの手口でもって、ね! 自分の面へ疣(いぼ)を植えつけて置いて、そいつを育てあげる人間を御想像下さい。

○ 「見者」たるべし、「見者」となるべし、と私は云うのです。口舌に尽し難い苦悩、その時こそ、あらゆる信念、あらゆる超人間的な力が必要であり、その時こそあらゆる人々の中で最も偉大な病者、最も偉大な罪人、最も偉大な呪(のろ)われ人となり、――果ては至上の「学者」となる! なにしろ彼は未知のものに達しているからである! それも既にいかなる魂にも増して豊穣(ほうじょう)だった自分の魂を自ら耕したからである。彼は未知のものに達したのである。

○ そして気も錯乱して遂には自分の幻像が理解出来なくなった時、彼は正しくその
幻像を見たわけです!

○ だから、詩人は正に火を盗み出す者です。

――これまでのところ、これくらいでしょうか。
これくらいというのは、
これだけは押さえておきたい最低限ということで
ほかはどうでもよい、ということではありません。

印象に残る名言というべきか
あまりにも有名になったランボーの珠玉というべきか
これを頭に入れておいて
ランボーの詩を読むと
少しは謎が解けるようなことが起こるかもしれないし
いつか役に立つことがあるかもしれないという意味で
覚えておいたほうがよい言葉です。

というわけで
あと3分の1ほどを読みます。

(前回からつづく)

 彼は人類を背負っています。「動物」までも背負っています。自分で発明したものを人に感じさせ手に触れさせ傾聴させねばなりません。「彼方」から持ち返って来るものに形があればそれに形を与え、形なきものならば形なさを与える。詞(ことば)を発見することです。のみならず、詞(ことば)はなにによらず思想であるからには、必ずや世界語の時代が到来するでしょう! どんな言葉で書かれるものであろうと、辞典を完成するためにはアカデミシャン――化石よりも死物であるところの――でなければならぬ。弱小な連中がアルファベットの最初の文字について「思索に」とりかかったりしたら、忽(たちま)ち狂乱の中へ迷い込んでしまうかも知れない。

 このような長談義は、香も、音も、色も、すべてを一つにつづめた、魂のための魂から迸(ほとばし)り出るものであり、思索を鉤(かぎ)にかけて引き寄せる思索から発するものです。詩人は、世界魂の裡にその時々に眼覚める未知なるものの量を決定するのです。自己の思想の方式以上のものを、彼の「進歩への歩み」の注釈以上のものを与えるのです。法外さも万人に吸収されて規範となるが故に、彼こそが正しく「進歩の乗数」であると云ってよい!

 こうした未来は唯物的なものとなることは、あなたにも明らかでしょう。――常に数と調和に溢(あふ)れ、詩は永く残るべきものとして作られるでしょう。実はこれもまだ幾分ギリシア詩かもしれません。

 詩人もまた市民であるように、永遠不朽の芸術にも、それ自体の職能があろう。詩はもはや行動を韻律化することを止めて、みずから前進し始めるだろう。

 こうした詩人は必ず出て来るのだ! 男性が――これまでは言語道断であったが――性を放免した結果、女性の永久的奴隷制度が打ち破られ女性が女性のために、また女性の力で生活するようになる時が来れば、女も亦詩人となるでしょう! 女も未知のものを発見するでしょう! 女性の思想の世界は、われわれのものとはまた違ったものであろうが、見慣れぬものや、測り知れぬものや、不愉快なものや、甘美なものを、彼女は見出すことだろう。わたしたちはそれを取りあげ、それを理解するだろう。

 それまでのところは、「新奇なもの」の詩人たちに要求することとしよう――思想と形式とを。巧者な連中はみんな程なくこの要求に満足を与えたものと思い込むかも知れない。ところが、そんなことではないのだ。

 初期の浪漫主義者たちは、みずから見者たるかをあまり弁えずに見者だったのでした。――つまり、彼らの魂の耕作というものは偶発事から始ったのでした。打ちすてられてものの、しかし燃えさかっているので、しばらくの間はレールの上をともかくも走る機関車のようなものです。ラマルティーヌはたまたま見者であることもありますが、古臭い形式で、首を絞めつけられています。ユゴーは大へん“きかぬ屋”ですが、晩年の著作のうちには、“見られたもの”が相当みうけられます。「レ・ミゼラブル」こそは正真正銘の詩です。「懲罰」が手許にございますが、「ステラ」はユゴーの“視界”の及ぶところをほぼ示しています。ベルモンテとラムネエ、エホバと四柱など、古びすたれたとんでもないものが多すぎます。
(※“きかぬ屋” “見られたもの” “視界”――とある部分は、原作では傍点になっています。編者。)

 ミュッセはわたしたちにとって、幻像に憑(つ)かれた苦悶(くもん)の世代のひとびとにとって、十四回憎んでもまだあきたらぬ男です。彼の天使のような怠慢ぶりには、そうしたわたしたちはどんなに侮辱されたことか! ああ! 味気ないコントと俚諺(りげん)喜劇! ああ「夜」! ああ「ロオラ」! ああ「ナムゥナ」! ああ「酒盃」! どれを見てもフランス的なものばかり、すなわち極度に唾棄(だき)すべきものです。フランス的であるが、巴里的ではない。またしても一つ、ラブレーに、ヴォルテールに、ジャン・ラ・フォンテーヌに霊感を与え、テエヌによって注釈された、あの胸糞(むなくそ)の悪い精神の作品だ。表向きのものです、ミュッセの精神は! 惚れ惚れとするやつです、彼の恋ってやつは! これこそ正にエナメル画、なが持ちのする詩というやつです。人々はいつまでも「フランス的な」詩を賞翫(しょうがん)することでしょう。但しフランスではです。どんな乾物屋の小僧も、ロオラ的一くさりぐらい繰り出すことができ、どの神学生にしろ手帖(てちょう)の裏に五百の韻詩は忍ばせています。十五歳ともなれば、ああした情熱の衝動が若いものにさかりをつけるのです。十六歳にもなれば、すでにああ云うものを心を籠(こ)めて暗誦(あんしょう)しては自分を満足させるのです。十八歳ともなれば、いや十七歳でさえも、その能力のある学生なら、誰でも「ロオラ」のようなものを作り、「ロオラ」の一つ位は書いてみるものです。恐らく今でもまだそのために死ぬものだっていることでしょう。ミュッセは何ひとつ作るすべを知りませんでした。しかしカアテンの向うに幻像がありました。彼は眼を閉じてしまったのです。フランス的で、煮えきらぬ人間として、そして安カフェから学校の机へと引き廻(まわ)されて、死せる美男は死んでしまったのです。で、もうこれからは、わたしたちは私たちの憎悪で彼の眠りを覚す労さえとらないのです!

ひとくちメモ その7

ランボーが友人ポール・ドメニー宛に
1871年5月15日付けに出した書簡を読み進めます。
「ランボーの手紙」(祖川孝訳、角川文庫)から引用して読んでいますが
終わりが見えています。

(前回からつづく)

 第二期の浪漫主義者はなかなかの「見者」です。テオフィル・ゴーティエ、ルコント・ド・リイル、テオドール・ド・パンヴィルなど。しかし、眼に見えざるものを検分したり未聞のものを聞いたりすることは、静物の精神を捉(とら)えるなどということとはまた別問題で、その点ボードレールは第一の見者であり、詩人の王者であり、「ほんとうの神」とも云うべきひとです。それでもまだ、彼はあまり芸術的に過ぎた環境の中で生活をしました。で、あれほど彼の作品でもてはやされる形式も安っぽいものです。未知のものの発明には新しい形式が必要です。

 陳腐な形式に苦労している連中。たあいのない連中のうちでは、A・ルノオ――これは彼式の「ロオラ」を作詩し、――L・グランデも――彼式の「ロオラ」を作りました。ゴール人的で、ミュッセ派の連中はG・ラフネエトル、コラン、C・L・ポプラン、スウラリイ、L・サル。書生連中ではマルク、エーキャル、トゥリエ。死物で愚物の連中には、オゥトラン、バルビエ、L・ピシヤァ、ルモワァアヌ、デシャン兄弟、デ・ゼサアル兄弟、ジャーナリストでは、L・クラデル、ロベエル、リュザルシュ、X・ド・リカァル、幻想派(ファンテジイスト)にはC・マンデス、放浪派(ボヘミアン)、女流。才能ある連中では、レオン・ディエルス、それにスュリイ・プリュドム、コペ。新流派の所謂(いわゆる)高踏派(パルナシアン)には見者が二人います。アルベール・メラに真の詩人ポール・ヴェルレーヌです。以上の通りです。

 こんな風で、わたしは見者になろうとして励んでいます。では敬虔(けいけん)な歌を詠んで擱筆(かくひつ)しましょう。

  蹲踞(そんきょ)

朝遅く、胃の腑がちくちく痛み出すと
兄のキャロテュスは、天窓の一つ穴から
さし込む陽の光の、磨かれた大鍋(おおなべ)のような明るさに
偏頭痛は惹(ひ)き起すし、視線を切身のように据え
敷布の中で坊主の寝返りをうつ。

鼠色の毛布の中で のたうち廻り
波うつ腹へ膝(ひざ)をひんまげ
気も顚倒(てんとう)せんばかりの有様は、獲ものにありつこうとする老いぼれさながら。
なにしろ白い壺(つぼ)の柄をしっかり摑んで
腰まですっぽりシャツをまくり上げねばならぬからだ。

ところで 寒がり屋の彼は、しゃがみ込んだ、足の指をかじかませて。
パン菓子の黄色いやつを 紙の窓がらすに
射し込ませるその陽ざしの中で、身ぶるいしながら。
ラックのようにてらてら灯(とも)る結構人の鼻面が
陽の光でびくびく動き さながら肉の珊瑚樹(さんごじゅ)だ。

結構人はとろ火にあたる按配(あんばい)で、腕拱(く)み合せ、下唇を腹までたらし。
今にも腿(もも)が火中に滑るほど、ほてり返り、
ズボンを焦すかと見れば、パイプの火が消える。
なにか小鳥のようなものが、かすかながらうごめく
晴ればれとお腹んところで、まるで臓物のひときれみたいに。

あたりでは、古ぼけた家具のがらくたがねむり
垢(あか)じみた襤褸(ぼろ)の中やら、よごれ腐ったものの上には、
腰掛けだの、見なれぬ“がま”椅子だのがうずくまる
暗い片隅でだ。食器棚にある歌い手の口が
凄(す)さまじい食欲にたらふく食って睡気がし、細めに開く。

むかむかする熱気が、狭苦しい部屋にみなぎり
結構人の脳漿(のうしょう)は襤褸くずでいっぱいだ。
じめじめした油の皮膚に毛の生える音がする。
そして、ときどき、ものものしいおどけたしゃくりをあげて
脱け出すのだ。ちんばの腰掛をゆすぶりながら。

    *

そして夕、臀部(でんぶ)のまわりに
光の汚点を作りなす月の光をうけて
くっきりと一つの影が 薔薇(ばら)いろの雪を背に
じっとうずくまる その様はまるで立葵(たちあおい)かと……
面白や、空の奥まで鼻面はヴィナスを追っかける。

 返事を下さらなかったりしたら、あなたはそれこそ大嫌いな人間になりますよ。至急にね。一週間すれば巴里へ行くかも知れませんから。
 さよなら。
                                 A・ランボオ

以上が全文です。

17歳のランボーの
才気煥発(さいきかんぱつ)ぶり!
詩以外のこと、
文学以外のことを何も考えなかった早熟の詩人から
迸(ほとばし)る英気、野望、覇気……。

その一部でもが垣間見られるなら
ランボーが書いた
ある一つの書簡の全文を読む意義もあるに違いありません。

ところで
中原中也は
ランボーの手紙類を読んだことがあったでしょうか――。

1871年5月15日に書かれた手紙の
全文をここに引用した祖川孝訳「ランボオの手紙」(角川文庫)の原典は
ジャン・マリイ・キャレの著作「アルチュール・ランボオの文学生活の手紙」で
1870年から1875年にフランスのN・R・F社によって発行されたもの。
機会あるたびに
フランスの各種雑誌に発表されたものの中から
キャレエが選んでひとまとめにして、
1931年に刊行したそうです。
(同書あとがき)

中原中也はキャレの原文をなんらかの方法で入手し
中の
「ドラエー宛書簡1873年5月」
「ヴェルレーヌ宛書簡1873年7月4日」
「同1873年7月7日」
「パンヴィル宛1870年5月24日」の4篇を
詩誌などに発表しています。

ランボーの書簡の翻訳は
高木佑一郎訳「ランボオの手紙」(版画荘、昭和12年)が
同時代訳として存在し
ほかにも幾つかの訳が
雑誌などに紹介されていました。
(「新編中原中也全集第3巻 翻訳・解題篇」より)

ひとくちメモ その8

ランボーの「見者の美学」について
見当がついたところで
中原中也訳の「酔ひどれ船」Bateau ivreを
もう一度読み直しておきましょう。

初めて読んでからほぼ半年が経って
変化があるかどうかを
自己確認するためにも――

私は一艘の船、糞面白くもない不感の河を下って行ったのだが
いつの間にか、船曳きどもは、私から離反していたのだった、
気がついた時には赤肌たちが、奴らを引っ捕まえて、
色鮮やかな棒杭に縛りつけ裸のまんま釘付けにしてしまっていた。

(船に革命が起きたのです。)

私は一行の者、つまり、フラマンの小麦やイギリス綿の荷役(にやく)などに
まったくかまけていなかった
船曳きどもと、奴らが起こした騒ぎとが、私から去ってしまってからは
河は私を思うがままに下らせてくれるのだった。

(酔っ払った船のように漂流が始まります。フラマンの小麦やイギリスの綿花を運ぶ任務もなくなり、舵も錨もない解放された航海は、革命=パリ・コンミューンの解放区を暗示しています。)

波が荒れ狂う中を、過ぎ去った冬のこと
子どもの頭よりもきかんぼうに漂ったことがあったっけ!

(「聾乎(ぼつ)として」は「聞き分けのない」の意味の中原中也独自の訳語です。滅茶苦茶に漂流しまくった、って感じです。)

怒涛の波に洗われる半島の周辺といえども
その時ほど荒れ狂ったことはない、凄まじい動乱だったさ。

嵐は私の警戒ぶりを褒めたたえたよ。
浮きよりも軽々と波間におどったもんだ
それまで犠牲になった者たちを永遠にもてあそんでいる波の間に放り出されて
幾夜も幾夜も艫(とも)の灯に目が疲れるなんてことも気にならなかった

(嵐のほうが私の警戒ぶりを褒めてくれた。
私は浮きよりも軽快に波間を行き交ったもんだ。
それまでの犠牲者を永遠に弄んでいる波間にほっぽりだされて、
毎夜艫(とも)にある照明灯のまぶしい光にやられても気にならなかったさ。)

子どもが食べるすっぱいリンゴよりしんみりした

(「しんみり」は「熟す」で「甘酸っぱい」の意味か、ここも中也らしい。)

緑の海水は樅(もみ)の木でできた船体に染み込むことだろう
安酒アブサンやゲロの痕が、舵も錨もなくなった私にやたらと刻まれることになった。

(船がアルコール臭のするゲロの臭気で満ちていた)

その時からだ、(真に)海の歌を浴びたのは。

(「海の歌」の目のくらむような色彩の祭典の始まりです。特に、この連からの5連ほどは、ランボーの韻文詩の中でも、類例を見ない絢爛豪華な原色の絵巻。言語で描かれる油彩絵画です。中原中也は「色」の翻訳をおろそかにしません。)

星をちりばめたミルクのような夜の海に
生々しくも船の吃水線が青ずんで、緑の空に溶け込みそうなところを
丁度、一人の水死人が、何か考え込むように落ちて行く。

(水死体が一つ、何かを考えたまま硬直して海面を降りていく景色も、神秘的な美しさを帯びていながら、恐怖を誘うものではありません。)

そこにたちまちにして蒼―い(あおーい)色が浮かび、おどろおどろしく
また太陽のかぎろいがゆるゆるしはじめる、その下を
アルコールよりもずっと強く、オルゴールよりも渺茫として
愛執の、苦い茶色が混ざって、漂ったのだ!

(青、緑のグラデーションに、黄色、赤、茶色……の眩暈!)

私は知っている。稲妻に裂かれる空、竜巻を
打ち返す波、潮を。夕べを知っている、
群れ立つ鳩に、上気したようなピンクの朝日を、
また、人々がにおぼろげに見たような(幻を)この目で見た。

(稲妻、空、竜巻、波、潮、夕べ、群れ立つ鳩、朝日……まぼろし)

落日は、不可思議なるものの畏怖に染まり
紫色の長い長い塊(かたまり)を照らし出すのは
古代ギリシアの劇の俳優たちか

(ギリシア悲劇の合唱隊=コロスをさしているのでしょうか。)

巨大な波が遠くの方で逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

(ここは第10連で、大洋に出た船が猛(たけ)り狂う現実の海のさ中にあって、目も眩(くら)むばかりの雪が降り積もった緑の夜を夢に見る、というシーン。気が遠くなるような美しい景色です。)

雪の白が夜の中で緑を帯びる眩(まばゆ)い光景に
接吻(くちづけ)が海の上にゆらりゆらりと立ち昇ってくる

(というのは、太陽が昇ってくる朝の景色でしょうか。)

かつて聞いたこともない生気がぐるぐると循環し
歌うような(赤い)燐光は青や黄色に映えていっそう鮮烈さを増した

(大海原に雪が降り積もり緑色を帯びている夜の夢が、太陽の昇るシーンへ場面転換し、めくるめく色彩の乱舞するサンライジングのあざやぎ! この「あざやぐ」は、中原中也がよく使う造語です。「あゝ! 過ぎし日の 仄燃えあざやぐ をりをりは」の例が「含羞」にあるほかにも、いくつかが使われています。)

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小屋に似た大波が暗礁にぶつかっていくのに
もしもあの光り輝くマリアの御足が
お望みとあらば大洋に猿轡(さるぐつわ)をかませ給うたままであったのにも気付かずに。

(この連あたりから、恍惚の絶頂が過ぎて、なにやら崩壊し、下降する感覚。)

船は衝突した、世にも不思議なフロリダ州
人の肌の色をした豹の目は、群れなして咲く花々にまじって
手綱のように張り詰めた虹は遙か彼方の沖合いで
海の緑の色をした畜獣の群れに、混ざり合っている。

(ヨーロッパを離れて、アメリカ大陸沿岸を漂流していた船が、フロリダ半島に衝突します。衝突といっても、船が陸地にぶつかって座礁した、というのではなく、いつしか、フロリダ沖に流れ着いてしまったということらしい。)

私は見た、沼かと見間違えそうな巨大な魚簗(やな)が沸き返り
そこにリバイアサンの仲間が草にからまり腐ってゆき
凪の中心に海水は流れ込み
遠くの方の深みをめがけて滝となって落ちているのを。

(沼と見まごう巨大な漁場で、怪物の群れが海草に絡まり、腐っている。リバイアサンは、旧約聖書に現れる怪物。イギリスの政治思想家ホッブスの著作のタイトルにもなり、広く知られました。凪がやってくると中心部に海水は流れ注いで、遠くのほうが滝になって落ちています。)

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠(オキ)のような空
褐色の入江の底にはぞっとする破船の残骸
そこに大蛇(おろち)が虫の餌食になって
くねくねと曲がった木々の枝よりもどす黒い臭気を放って死んでいた。

(海の歌は、墓場の歌をいつしか歌っています。破船の残骸、大蛇の屍骸に群がる虫。「くねくねと」は、中原中也の自作詩「盲目の秋」の最終行「うねうねの瞑土(よみぢ)の径を昇りゆく。」を連想させます。)

子どもらに見せてやりたかった、碧い波に浮いている鯛や
そのほか、金色の魚、歌う魚

泡沫=うたかたは、私の漂流を祝福し
なんともいえない風が吹いて時々は航行を進めてくれるのだった。

(……しかし、墓場は海の底の光景で、海面の景色ばかりは、子供たちに、というのは、国の友人たちのことでしょうか、見せてあげたかった、と私=船は思うのでした。漚=オウの花とは「泡沫」がかなり近い言葉でしょうか。その漚の合間に浮ぶ鯛や金魚や歌う魚! )

時には地極と地帯にあき果てた殉教者さながら海は
すすり泣いて私をあやしなだめ
黄色い吸い口がある仄暗い花をかざして見せた
その時私は祈るようなポーズになっていた、跪く女のようであった。

半島が近づいて揺らぎ金褐色の目をした
怪鳥の糞を撒き散らす
こうしてまた漂流してゆけば、船のロープを横切って
水死体が幾つも後方に流れて行ったこともあった……

(半島が目の前に迫りました。金色をまぶした褐色、オレンジ・ゴールドの目の怪鳥の放つクソを、払い落としながら、私は漂い続けると、また幾人かの水死人が流れてゆくのが見えました。)

私でさえ浦という浦の乱れた髪のい中に踏み迷い
鳥も棲まない大空へハリケーンによって投げられてしまったら
モニター艦もハンザの船も
水に酔っ払ってしまった私の屍骸を救出してくれることもないだろう、

思うままに、煙を吹き出し、紫色の霧を吐き上げて
私は、詩人たちにおいしいジャムや
太陽の苔や青空の鼻水を与えてくれる
壁のように赤らんだ空の中をズンズンと進んでいった、

カミナリとさんざめく星を着け、
黒い海馬に守られて、狂った小舟(私のことか?)は走っていた
7月が、丸太棒を打つかのように
燃える漏斗形の紺青の空を揺るがせた時、

(夏の海の紺青の空が「ロート」の形に捉えられたのです。)

私は震えていた、50里の彼方で
ベヘモと渦潮(メールストローム)が発情する気配がすると
ああ永遠に、青く不動の海よ
昔ながらの欄干にもたれるヨーロッパが恋しい!

(ついに、弱音が吐かれます。「欄干」も中原中也の詩「長門峡」に出てきます。長男文也を失った詩人の悲しみが歌われた旅館の欄干です。)

私は見た! 天を飛ぶ群鳥を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流者たちに開放されていた
底知れぬこんな夜に眠ってはいられない、もういないのか
おお、百万の金の鳥、未来よ! 精力よ!

だが、思えば私は慟哭し過ぎた。曙光は胸を抉(えぐ)り
月はおどろしく太陽は苦かったから。
どぎつい愛は心をとろかして私をいかせてしまい縛りつけてしまった。
おお! 竜骨も砕けてしまえ、私も海に沈んでしまおう!

(砕けてしまえ、と「大黒柱」に呼びかけるのです。どうなっても構わないという、破れかぶれの心境は、どこからやってくるのでしょうか。)

もし私がヨーロッパの水を欲しているとしても、それはもはや
黒い冷たい林の中の池水で、そこに風薫る夕まぐれに
子どもは蹲(しゃが)んで悲しみでいっぱいになって、放つのだ
5月の蝶とかいたいけない笹小舟。

おお波よ、ひとたびお前の倦怠(けだい)にたゆたっては
棉船の水脈をひく航跡を奪ってしまうわけにもいかず
旗と炎の驕慢を横切りもできず
船橋の、恐ろしい眼の下を潜り抜けることも出来ないってことなのさ。

 

(「倦怠」も、ここでは「けだい」と読みました。波に揺られるままの漂流、酔っ払ったままの旅を、いつまで続けなければならないのか――。生きるための漂流であるにしても、波よ、いくらお前と相性がよくとも、うんざりもしてくるよ、波よ、わが友よ、わが命よ。多少なりとも、「倦怠」でランボーと中原中也がクロスします。自由に倦(う)んじた詩人と悲しみ呆(ぼ)けの詩人と……。)

ひとくちメモ その9

「後(あと)六分間の御辛抱」と書いて
ランボーはポール・ドメニー宛の手紙のペンを休め
なにかゴソゴソと頭陀袋の中を探っています――

もちろん、ここは想像です。

尿意を充たすために
トイレに走ったのかもしれません。
この詩を挿入する前のくだりは
「うまく書けた!」と
ランボーの興奮が伝わってきますから 
そのための小休止であったかもしれません。

そこのところを
再び見ておきますと――


 
 「見者」たるべし、「見者」となるべし、と私は云うのです。
 「詩人」はあらゆる感覚の、久しい、宏大(こうだい)な、熟考された不羈奔放化によって「見者」となるのです。恋愛の、苦悩の、狂気のありとあらゆる形式です。

 己れ自身を探し求め、己れの裡(うち)にある一切の毒物を汲(く)み尽し、その精髄のみを保存するのです。口舌に尽し難い苦悩、その時こそ、あらゆる信念、あらゆる超人間的な力が必要であり、その時こそあらゆる人々の中で最も偉大な病者、最も偉大な罪人、最も偉大な呪(のろ)われ人となり、――果ては至上の「学者」となる!

 なにしろ彼は未知のものに達しているからである! それも既にいかなる魂にも増して豊穣(ほうじょう)だった自分の魂を自ら耕したからである。彼は未知のものに達したのである。

 そして気も錯乱して遂には自分の幻像が理解出来なくなった時、彼は正しくその幻像を見たわけです!

 数限りない前代未聞の事物による跳躍のなかで、くたばるならくたばるがよい。他の恐るべき労働者たちがその代わりにやって来るだろう。他方が倒れた地平線から彼等は仕事をやり始めることだろう。

――このあたりになりそうですが
これを何度も何度も読んでいると
「Bateau ivre」の作り方、作られ方が
見えてくることが分かりますね。

そうです! 
「見者の詩学」の
この核心部は
「Bateau ivre」がこのようにして書かれたということを
ランボー自らが明らかにしているようなのですが
いかがでしょうか。

詩人は見者になる必要がある
→あらゆる感覚を不羈奔放化する(経験する)
→恋愛、苦悩、狂気……。
→己れ自身を探し求め、
 己れの裡(うち)にある一切の毒物を汲(く)み尽し、
 その精髄のみを保存する。
→口舌に尽し難い苦悩(を味わう)、
→その時こそ、あらゆる信念、あらゆる超人間的な力が必要であり、
→その時こそ最も偉大な病者、
 最も偉大な罪人、
 最も偉大な呪(のろ)われ人となる
 果ては至上の「学者」となる
→未知のものに達する
→気も錯乱して
→自分の幻像が理解出来なくなる
→幻像を見た

そして、次のくだり――

くたばるならくたばるがよい。他の恐るべき労働者たちがその代わりにやって来るだろう。他方が倒れた地平線から彼等は仕事をやり始めることだろう。

――は、「Bateau ivre」の結末部に
直接、繋がっていきます。
つまり

おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

から、

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

――の最終行へと。

棉船(綿船)、
旗と炎(トリコロールと革命)、
船橋の恐ろしい眼(監獄)

これらこそ
「酔ひどれ船」Bateau ivreが
たどってきた軌跡でありました。

少し強引かもしれませんが
ドメニー宛の「見者の詩論」が
「Bateau ivre」の読みをサポートしてくれることの証です。
その一つの例です。

ひとくちメモ その10

中原中也の「酔ひどれ船」Bateau ivreの翻訳は

第1次形態 「日本歌人」昭和10年(1935)1月13日制作(推定)
第2次形態 ①草稿 昭和10年11~12年(推定)
      ②「ランボオ詩抄」昭和10年12月~同11年(1936)6月制作(推定)
第3次形態 「ランボオ詩集」昭和11年6月~同12年8月28日(推定)
(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳解題篇」より)

――という経過をたどっています。

「大正13年夏富永太郎京都に来て、彼より仏国詩人等の存在を学ぶ」と書いてから
発表するに足ると納得できた翻訳ができるまでに
10年以上の時間が流れていました。

この間、中原中也が
「見者(ボワイヤン)の思想」とか「見者の詩論」とか呼ばれているコンセプトに
どのように接触したのかといえば
小林秀雄のランボー論がすぐさま浮かんでくるのですが
こればかりではなく
ジャン・マリイ・キャレの著作「アルチュール・ランボオの文学生活の手紙」の原典に
中也自身が実際に当たっている節が推測できるのは
「ドラエー宛書簡1873年5月」
「ヴェルレーヌ宛書簡1873年7月4日」
「同1873年7月7日」
「パンヴィル宛1870年5月24日」の4篇を
キャレのこの原典から翻訳しているという事実があるからです。

見者の詩論が書かれた書簡の
1871年5月13日付けイザンバール宛のもの
5月15日付けのドメニーへ宛のもの
この2篇こそ翻訳しませんでしたが
ドラエー宛、
ヴェルレーヌ宛、
パンヴィル宛と計4篇の書簡を
同一の原典の中から翻訳しているのです。
つまり
見者(ボワイヤン)の思想について
中原中也が目を通さなかったはずはない、ということを
このことは意味しています。

いうまでもなく
書簡とは、作品以外の第一級資料です。

ちなみに
「ドラエー宛書簡1873年5月」は、
「紀元」昭和9年新年小説号(昭和9年1月1日発行)
「ヴェルレーヌ宛書簡1873年7月4日」も同号、
「同1873年7月7日」は、「苑」第二冊(昭和9年4月1日発行)
「パンヴィル宛書簡1870年5月24日」は
「ヴァリエテ」第6号(昭和9年6月5日発行)にそれぞれ発表されました。
制作は、いずれも発行日の3か月前という推定です。

「酔ひどれ船」の発表は
どの形態も昭和10年以降ですから
いずれも、詩人が「ボワイヤンの思想」を知って後のことになります。
以上は、あくまで推測であることを断っておきます。

ひとくちメモ その11

中原中也が翻訳したランボーの手紙は
全部で4篇あり、

①「ドラエー宛書簡1873年5月」が、
「紀元」昭和9年新年小説号(昭和9年1月1日発行)
②「ヴェルレーヌ宛書簡1873年7月4日」も同号、
③「同1873年7月7日」は、「苑」第二冊(昭和9年4月1日発行)
④「パンヴィル宛書簡1870年5月24日」は
「ヴァリエテ」第6号(昭和9年6月5日発行)にそれぞれ発表されました。

制作は、いずれも発行日の3か月前という推定ですが、
このうちの
④1870年5月24日付けでパンヴィルに宛てたものを
ここで読んでみましょう。

「酔いどれ船」を書く1年以上も前で
ランボー15歳。
シャルルヴィル高等中学校の修辞学級の担当教官イザンバールの
生徒であったランボーは
中央詩壇へのデビューを画策し
重鎮テオドール・ド・パンヴィルに
「現代高踏詩集」への自作詩の掲載を申し入れたのでした。

 ◇

ランボー書簡4 パンヴィル宛

 テオドル・ド・パンヴィル宛(註。此の手紙が最初に発表されたのは1925年10月10日発行のヌウヹル・リテレール誌上である)
         シャルルヴィル(アルデンヌ県)にて、1870年5月24日

 拝啓
 時下春暖の候、小生間もなく17歳になります。(註。彼は16にもなつてゐなかつた。「間もなく」の語は、稿本では書いた上を消してある。) 世間流に申せば、希望と空想の年齢(とし)――扨小生事ミューズの指に触(さは)られまして――俗調平(ひら)にお許し下さい――信念、希望、感動などすべて詩人がもの――小生それを春のものと呼びたく存じますが――を、表現致し始めました。

 只今その若干を良き出版者ルメール氏を通じてお送り致すに就きまして、理想美に熱中致します全ての詩人、全てのパルナシアンを――斯(か)く申しますのは、詩人たるやパルナシアンでございませうから、――小生は慕つてをりますこと申上度(もうしあげたく)存じます。猶、貴下、ロンサアルの後裔(こうえい)、1830年代の宗匠の一人、真の浪漫主義者、真の詩人たる貴下を心よりお慕ひ致してゐることを申上げねばなりません。斯様(かよう)の次第にて、無躾(ぶしつけ)とは存じ乍(なが)ら、詩稿御送り致します。

 2年後の後、否恐らく1年のごには、小生出京致すでございませう――(小生も亦)、(訳者註。「小生も亦」はラテン語で書かれてある。) 其の節は諸兄と共にパルナシアンでございませう。それからどうなりますことか存じませんが、小生が美の神と自由の神を信奉致して永(とこし)へに変りませぬことは、お誓ひすることが出来ます。

 同封の詩(註。此の手紙には、次の諸詩篇が同封されてゐた。1870年4月20日と日附したSensation. 。1870年4月29日と日附したCredo in unam。これは後にSoleil et chair と改題されたものである。猶、追而書(おってが)きがあり、それは次のやうである。《若しこれらの詩篇が「現代詩文集」(パルナス・コンテンポラン)に載つてゐましたなら、どんなものでございませう?――これらの詩篇は、詩人等(パルナシアン)の誓約書とも云へるではありますまいか?――小生の名はいまだ知られてをりませぬ、が、ともかく詩人は皆互に兄弟であります――これらの詩篇は信じ、愛し、希望してをります。そしてそれが全てであります。先生、何卒(なにとぞ)小生を御起用下さい。小生は猶稚(わこ)うございます。何卒お手を伸べて下さいまし……》) 御高覧の程願上ます。Credo in unamを若し御掲載下さらば、希望と喜びに、小生は狂喜致すことでございませう。パルナス(註。「現代詩文集」(パルナス・コンタンポラン)の分本の最初の一群は、1866年に出た。次のは1869年以来着手されてゐたが、戦争のために遅延して1871年に出た。3度目のは1876年に。――ランボオに於けるパルナス礼讃及びさうした傾向が、一時的であつたことを強調して考へることは無益なことである。何故なら、やがて彼は浪漫主義をも象徴主義をもパルナス同様瞬く間に汲み尽してしまふのであるから。然し此の手紙の当時には、彼は学生らしい夢をみてゐたのである。彼は原稿が発表され、田舎を抜け出すことが叶へばとばかり考へてゐたのである。因みに彼のLes Etrennes des Orphelins は1870年に、《La Revue pour tous 》誌上に掲載されたのである。)のお仲間に加はるを得ば、諸兄等が綱領書(クレド)ともなるでございませう!
 右熱望してやみません!
                                      Arthur Rimbaud.

(「新編中原中也全集 第3巻・翻訳・本文篇」より。原作の漢数字を洋数字に、二重パーレンを《 》に替えました。また、読みやすくするために、改行・行空きを加えてあります。編者。)

本文中の、
Sensationは、中原中也訳では「感動」、Credo in unam「一ナル女性を信ズ」はラテン
語のタイトルで、その異稿は、Soleil et chair「太陽と肉体」、Les Etrennes des
Orphelinsは、中原中也訳で「孤児等のお年玉」です。

本文中の「註」は、
中原中也のもので
並大抵ではない研究の跡がうかがえます。

 *

 酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来の精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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