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ミシェルとクリスチーヌ

 
馬鹿な、太陽が軌道を外(はず)れるなんて!
失せろ、洪水! 路々の影を見ろ。
柳の中や名誉の古庭の中だぞ、
雷雨が先ず大きい雨滴をぶつけるのは。
 
おお、百の仔羊よ、牧歌の中の金髪兵士達よ、
水路橋よ、痩衰えた灌木林よ、
失せろ! 平野も沙漠も牧野も地平線も
雷雨の真ッ赤な化粧(おめかし)だ!
 
黒犬よ、マントにくるまった褐色の牧師よ、
目覚ましい稲妻の時を逃れよ。
ブロンドの畜群よ、影と硫黄が漂う時には、
ひそかな私室に引籠るがよい。
 
だがああ神様! 私の精神は翔(と)んでゆきます
赤く凍った空を追うて、
レールと長いソローニュの上を
飛び駆ける空の雲の、その真下を。
 
見よ、千の狼、千の蛮民を
まんざらでもなさそうに、
信仰風な雷雨の午後は
漂流民の見られるだろう古代欧羅巴に伴(つ)れてゆく!
 
さてその後刻(あと)には月明の晩! 曠野の限りを、
赤らんだ額を夜空の下に、戦士達
蒼ざめた馬を徐(しず)かに進める!
小石はこの泰然たる隊の足下で音立てる。
 
ーーさて黄色い森を明るい谷間を、
碧い眼(め)の嫁を、赤い額の男を、それよゴールの国を、
さては可愛いい足の踰越(すぎこし)祭の白い仔羊を、
ミシェルとクリスチーヌを、キリストを、牧歌の極限を私は想う!

 

 


ひとくちメモ その1

Michel et Christineも
西条八十の研究では
1872年5月に作られた詩群の仲間です。
中原中也訳は「ミシェルとクリスチイヌ」としています。

「地獄の季節」の「錯乱Ⅱ」「言葉の錬金術」で

 俺の言葉の錬金術で、幅を利かせていたものは、およそ詩作の廃れものだ。
 素朴な幻覚には慣れていたのだ。何の遅疑なく俺は見た、工場のあるところに回々教(ういういきょう)の寺を、太鼓を教える天使らの学校を。無蓋の四輪馬車は天を織る街道を駆けたし、湖の底にはサロンが覗いたし、様々な妖術、様々な不可思議、ヴォドヴィルの一外題は、様々の吃驚を目前にうち立てた。
 しかも俺は、俺の魔法の詭弁を、言葉の幻覚によって説明したのだ。
                                       (小林秀雄訳)
 
――とランボーが自己の詩を分析したのを見ましたが、
ここに「ヴォドヴィルの一外題」とあるのが
「ミシェルとクリスチイヌ」というタイトルの由来らしい。

ランボーより1世紀前に活躍した
フランスの劇作家ウジェーヌ・スクリーブが書いた
ボードヴィルつまり軽喜劇の題名から採ったものらしい。
スクリーブの作品に「ミシェルとクリスチーヌ」というタイトルがあり
なにかの折にランボーがそれを知り
自作の詩のタイトルとしたというのです。
(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」より)

馬鹿な! 太陽が軌道を外れるなんて!
失せろ、洪水! 路という路の影を見ろ。
柳の中とか名誉ある古い庭の中だぞ、
雷雨がまず大きな雨滴をぶつけるのは。

ドタバタの喜劇とは違うのでしょうか?
なにやら、荒唐無稽な珍事がはじまった気配……。

天変地異とスラップスティック劇が
同一の空間で展開されるような
ランボーの想像力が
全開する……。

「俺の魔法の詭弁を、言葉の幻覚によって説明したのだ」という
ランボーの「言葉の錬金術」が
ここでも繰り広げられます……。

原語では
「音と色の祭典」

それは
翻訳できない……。

ならば、せめて、
内容を追いかけてみれば。

第1連に現れた雷雨は
第2連にも現れ
第3連では稲妻になり
第4連でも、飛び駆ける空の雲になり
第5連でも、雷雨の午後になり
第6連で、月明の晩! になり
第7連で、黄色い森、明るい谷間になる
――という流れがはっきりと見えます。

夜空を切り裂くような
イリュミナシオン。

太陽が軌道を踏み外し
洪水襲来。

このような輪郭が掴めれば
では
あとは言語の実験で
内容なんて
意味なんて
どうでもよい
のか
といえば
そうではない
ハズです。

 

「酔いどれ船」で展開される
眩暈(げんうん)の世界の
雛形(ひながた)みたいなのが
ここにあるような感じがしませんか?

ひとくちメモ その2

馬鹿な! 太陽が軌道を外れるなんて!
失せろ、洪水! 路という路の影を見ろ。
柳の中とか名誉ある古い庭の中だぞ、
雷雨がまず大きな雨滴をぶつけるのは。

そんな馬鹿なことがあるもんか!
太陽が軌道を外れるなんて、
――と、呆れ返っているのは誰だか
詩人自身なのか

この詩の中に入ると
いきなり
何かとんでもない天変地異に襲われて
仰天しているのだか
映画のシーンでも見ているのだか
痛快感がなくもなく
それほど悲惨というのでもなく
洪水よ、失せろ、と
慌てふためいてもいない詩人に
いつのまにか
シンセしている風な感じになります。

冒険劇が始まるかのように
詩の流れに身を任せていくと……

おお、100頭は下らない子羊の群れがゆく、牧歌を歌う金髪の兵士たちよ、
水路を渡る橋よ、痩せ衰えた潅木林よ、
消えて無くなっちまえ! 平野も砂漠も牧野も地平線も
雷雨の真っ赤なおめかしだ!

黒い犬よ、マントにくるまった褐色の牧師よ、
目覚しい稲妻からしばらくの間、逃れよ、
ブロンドの獣たちよ、カミナリの影と硫黄の匂いが立ち込める時には
隠れ家に引きこもるがよい。

ここまでの3連、
雷雨の猛威の幻像、
イリュミナシオン――。

第4連に
私=詩人が出現します。
雷雨が切り裂いた闇を飛んでいきます。

だが神さま! 私の精神は飛翔します。
赤く凍った空を追って
レールのように長いソローニュ地方の上を
飛び駆ける空の雲の、その下を。

見ろ、1000の狼、1000の蛮民を
まんざらでもなさそうに
信仰心をさそう雷雨の午後は
漂流する民の見られるであろう古代ヨーロッパに連れていく。

第4、第5連は
雷雨をものともせず
むしろ、これを幸いに
飛翔の糧となし
ソローニュの空を飛び
やがて古代ヨーロッパへと漂泊する私。

第6連は
雷雨が去った月明かりの夜――。

広野の果てまで
赤らんだ額を夜空の下で、戦士たちが
蒼ざめた馬を静かに進めている!
泰然としたこの行進の足元で小石がジャリジャリと音を立てている。

ランボーにしばしば現れる
戦士、兵士。
普仏戦争かパリ・コミューンか
戦いに敗れた労働者や兵士たちへの
鎮魂はさりげないが
ピリっと辛い。

そして
最終第7連は、
黄色い森、明るい谷間へ明転します――。

青い目の花嫁(この女性こそクリスチイヌです)
赤い額の男(この男性こそミシェルです)
それよ昔のフランス、ゴールの国を
さても可愛い足をした、過越祭りの白い子羊を
ミシュエルとクリスチイヌを
クリストを
牧歌の極限を
私は想うのだ!

意味森々としたメタファーが
隠されてあるのでしょうか

アンチ・クリストが
隠されているのでしょうか

よく分かりませんが
「酔いどれ船」の小型の
劇らしき骨格がある感じが
やはりします。

 *

 ミシェルとクリスチイヌ

馬鹿な、太陽が軌道を外(はづ)れるなんて!
失せろ、洪水! 路々の影を見ろ。
柳の中や名誉の古庭の中だぞ、
雷雨が先づ大きい雨滴をぶつけるのは。

おゝ、百の仔羊よ、牧歌の中の金髪兵士達よ、
水路橋よ、痩衰へた灌木林よ、
失せろ! 平野も沙漠も牧野も地平線も
雷雨の真ツ赤な化粧(おめかし)だ!

黒犬よ、マントにくるまつた褐色の牧師よ、
目覚ましい稲妻の時を逃れよ。
ブロンドの畜群よ、影と硫黄が漂ふ時には、
ひそかな私室に引籠るがよい。

だがあゝ神様! 私の精神は翔んでゆきます
赤く凍つた空を追うて、
レールと長いソローニュの上を
飛び駆ける空の雲の、その真下を。

見よ、千の狼、千の蛮民を
まんざらでもなささうに、
信仰風な雷雨の午後は
漂流民の見られるだらう古代欧羅巴に伴れてゆく!

さてその後刻(あと)には月明の晩! 曠野の限りを、
赤らむだ額を夜空の下に、戦士達
蒼ざめた馬を徐かに進める!
小石はこの泰然たる隊の足下で音立てる。

――さて黄色い森を明るい谷間を、
碧い眼(め)の嫁を、赤い額の男を、それよゴールの国を、
さては可愛いい足の踰越(すぎこし)祭の白い仔羊を、
ミシェルとクリスチイヌを、キリストを、牧歌の極限を私は想ふ!

 

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。


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