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中原中也の詩に出てくる「人名・地名」17(まとめ)

中原中也の詩に現われる「人名」で日本人を見ていきます。
新全集の配列順に見ていくと、
 
【河上徹太郎】
【内海誓一郎】
【阿部六郎】
【関口隆克】
【白秋】
【泰子】
【安原喜弘】
【文子さん】
【諸井三郎】
【大高源吾】(おおたかげんご)
【小林秀雄】
【丹下左膳】(たんげさぜん)
【三富朽葉】
【青山二郎】
【青木三造】
【松井須磨子】
【高橋新吉】
【昇平】
【秋岸清凉居士】
【青山二郎】
【すずえ】
【むつよ】
――というラインナップになります。
 
これを少し整理してみると、
まずは【小竹の女主人(ばばあ)】は「地名」でコメントしましたから除きます。
 
次に、【丹下左膳】(たんげさぜん)は、小説の中の人物ですから、実在しない、架空の人物ということで他と区別できます。次に、【大高源吾】(おおたかげんご)も、江戸時代の人物。
 
【三富朽葉】は1889年(明治22年)生まれ1917年(大正6年)没の明治人ということで、【白秋】は、北原白秋(きたはら はくしゅう)で、1885年(明治18年)生まれ1942年(昭和17年)の死没、【松井須磨子】(まつい すまこ)は、1886年(明治19年)生まれ1919年(大正8年)没ですから、中原中也(1907年~1937年)より少し前の時代を生きた人ということで他と区別できます。このうち、【三富朽葉】【白秋】は文学者ということでひとくくりできます。
 
残る人物は、面識があった人物ばかり。【河上徹太郎】【内海誓一郎】【阿部六郎】【関口隆克】【泰子】【安原喜弘】【諸井三郎】【小林秀雄】【青山二郎】【青木三造】【高橋新吉】【昇平】【秋岸清凉居士】――となります。
 
【文子さん】【すずえ】【むつよ】は、幼馴染(おさななじみ)や初恋の女性で、特定されない人ですが、考証が進んで、かなりのことが判明しています。【文子さん】は、ジュール・ラフォルグの詩「お月様のなげきぶし」の影響がいわれています。上田敏の訳詩が大正12年に出版されていますから、それを読んだことがあり、ラフォルグの原詩を読んだ可能性も高いものです。上田敏訳では「お姉様(あねさま)」という訳語が見られます。幼少時に、姉にあたるような女性が詩人の周辺に存在したことが想像されますが、そうでなくとも、姉一般を「文子さん」とした作意は伝わってきます。
 
ここで、これらの人名が現われる詩を読んでおきましょう。
 
 
 
今宵(こよい)月は襄荷(みょうが)を食い過ぎている
済製場(さいせいば)の屋根にブラ下った琵琶(びわ)は鳴るとしも想(おも)えぬ
石灰の匂いがしたって怖(おじ)けるには及ばぬ
灌木(かんぼく)がその個性を砥(と)いでいる
姉妹は眠った、母親は紅殻色(べんがらいろ)の格子を締めた!
 
さてベランダの上にだが
見れば銅貨が落ちている、いやメダルなのかァ
これは今日昼落とした文子さんのだ
明日はこれを届けてやろう
ポケットに入れたが気にかかる、月は襄荷を食い過ぎている
灌木がその個性を砥いでいる
姉妹は眠った、母親は紅殻色の格子を締めた!
 
 
初恋集
 
 すずえ
それは実際あったことでしょうか
 それは実際あったことでしょうか
僕とあなたが嘗(かつ)ては愛した?
 ああそんなことが、あったでしょうか。
 
あなたはその時十四でした
 僕はその時十五でした
冬休み、親戚で二人は会って
 ほんの一週間、一緒に暮した
 
ああそんなことがあったでしょうか
 あったには、ちがいないけど
どうもほんとと、今は思えぬ
 あなたの顔はおぼえているが
 
あなたはその後遠い国に
 お嫁に行ったと僕は聞いた
それを話した男というのは
 至極(しごく)普通の顔付していた
 
それを話した男というのは
 至極普通の顔していたよう
子供も二人あるといった
 亭主は会社に出てるといった
        (一九三五・一・一一)
 
   むつよ
あなたは僕より年が一つ上で
あなたは何かと姉さんぶるのでしたが
実は僕のほうがしっかりしてると
僕は思っていたのでした
 
ほんに、思えば幼い恋でした
僕が十三で、あなたが十四だった。
その後、あなたは、僕を去ったが
僕は何時まで、あなたを思っていた……
 
それから暫(しばら)くしてからのこと、
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあったのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、
それと、暫く遊んでいました
 
僕は背戸(せど)から、見ていたのでした。
僕がどんなに泣き笑いしたか、
野原の若草に、夕陽が斜めにあたって
それはそれは涙のような、きれいな夕方でそれはあった。
        (一九三五・一・一一)
 
   終歌
噛(か)んでやれ。叩いてやれ。
吐(ほ)き出してやれ。
吐き出してやれ!
 
噛んでやれ。(マシマロやい。)
噛んでやれ。
吐き出してやれ!
 
(懐かしや。恨めしや。)
今度会ったら、
どうしよか?
 
噛んでやれ。噛んでやれ。
叩いて、叩いて、
叩いてやれ!
        (一九三五・一・一一)
 
 
(おまえが花のように)
 
おまえが花のように
淡鼠(うすねず)の絹の靴下穿(は)いた花のように
松竝木(まつなみき)の開け放たれた道をとおって
日曜の朝陽を受けて、歩んで来るのが、
 
僕にみえだすと僕は大変、
狂気のようになるのだった
それから僕等磧(かわら)に坐って
話をするのであったっけが
 
思えば僕は一度だって
素直な態度をしたことはなかった
何時(いつ)でもおまえを小突(こづ)いてみたり
いたずらばっかりするのだったが
 
今でもあの時僕らが坐った
磧の石は、あのままだろうか
草も今でも生えていようか
誰か、それを知ってるものぞ!
 
おまえはその後どこに行ったか
おまえは今頃どうしているか
僕は何にも知りはしないぞ
そんなことって、あるでしょうかだ
 
そんなことってあってもなくても
おまえは今では赤の他人
何処(どこ)で誰に笑っているやら
今も香水つけているやら
     (一九三五・一・一一)

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