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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和7年8月23日

中原中也は
満5歳から6歳にかけての大正元年9月から3年3月まで
石川県金沢に住んでいました。
父謙助が軍医として赴任したのに一家は従ったのです。
 
それから20年後。
昭和7年8月、詩人25歳。
突然、幼時を過ごした金沢訪問を思い立ったかのようですが
この時と感じたものが前々からあったに違いありません。
 
高森文夫の実家を訪れたことと関係があるのか。
高森の幼時体験を聞かされて触発されたのか。
ほかの理由があったのか。
 
上京する前に
寄った金沢発は「手紙48」(新全集では「110」)。
兼六園雁行橋の写真が印刷された絵はがきです。
 
 
       23日 金沢にて 中也
金沢に寄りました
気分は昔のとおりですが、距離の記臆(ママ)などは随分違っています
 
匂いを臭いで歩いているようなものです
20年の歳月が流れたとは思えません
                    さよなら
 
 
この8月23日付けの「手紙48」に安原が与えたコメントは
安原ならではの独自なものです。
 
次の「手紙49」へのコメントが
「中原中也の手紙」の中で最も長い文で綴られているのに
繋(つな)げるリードの役があったのでしょうか
詩人の幼時体験に触れることはなく
詩人の作品が、この夏、初めて「詩の雑誌」に掲載されたことをあげつらい
「本心ではなかったろう」
「一歩後退である」と断じるのです。
 
さらに、詩人が後年「四季」同人になることについても
「更に何歩かの後退を意味するものと思われる」と断言します。
 
 
上京した詩人は
千駄ヶ谷の下宿を払い
馬込町北千束へ引っ越しました。
そこから投じた手紙が引っ越し後安原宛の第1便となりますが
「四季」へのコメントは
旅先からの、金沢発の絵はがきに付けたコメントです。
その前半部です。
 
前半部に続く中間部を読んでおきましょう。
 
 
中原は上京すると、目蒲線の洗足駅の近くの詩人高森文夫の叔母に当る人の家に移った。そしてそこから外語の専修科に通っていた。この頃私は彼の中に何か特に不安定なものを感じ出した。詩人の魂の最大の惑乱時代がやがてここに始まるのである。

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