中原中也のオノマトペ6「ノート1924」のダダ詩
「未発表詩篇」に出てくるオノマトペは
オノマトペそのものだけを取り出していきます。
◇
<ダダ手帖>
オノマトペはありません。
<ノート1924>
「不可入性」
ヒョッ
「自滅」
カシャカシャ
「春の夕暮」
ノメラン
ポトホト
◇
意外なことに
ダダの詩にオノマトペはごくわずかでした。
オノマトペは
それ自体に意味を持たない場合がほとんどですから
「意味を隠すような詩」であるダダ詩には無用の長物なのかもしれません。
ですから「春の夕暮」の「ノメラン」と「ポトホト」は
大発見(大発明)だったということが逆にいえるということです。
もっといえばここ「ノート1924」に現われたオノマトペのすべてが
ダダ脱皮の萌芽(ほうが)であったと見ることもできるということです。
ダダイストとして出発した詩人は
オノマトペをわずかしか使わなかったのに
次第次第に使いこなすようになっていくのですから。
やがては「一つのメルヘン」で
「オノマトペの革命」を成し遂げてしまうのですから。
第1詩集「山羊の歌」のトップを「春の日の夕暮」とした理由の一つは
この詩のオノマトペが成功していると判断したからです。
その際に元の詩「春の夕暮」の「ノメラン」を「ヌメラン」と推敲しました。
このことは「山羊の歌」の完成期(編集期)には
詩人がオノマトペを重要な技と意識(自覚)していたことを証明しています。
« 中原中也のオノマトペ5 発表詩篇まとめ | トップページ | 中原中也のオノマトペ7・草稿詩篇(1925年―1928年)~ノート少年時 »
「中原中也のオノマトペ」カテゴリの記事
- 中原中也のオノマトペ9「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」ほか(2014.02.07)
- 中原中也のオノマトペ8「早大ノート(1930年―1937年)(2014.02.07)
- 中原中也のオノマトペ7・草稿詩篇(1925年―1928年)~ノート少年時(2014.02.07)
- 中原中也のオノマトペ6「ノート1924」のダダ詩(2014.02.07)
- 中原中也のオノマトペ5 発表詩篇まとめ(2014.02.07)