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「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・4「逝く夏の歌」

その1
 
「生活者」第9号に
「都会の夏の夜」とともに発表された詩の一つに
「逝く夏の歌」はあり
この詩もやがて「山羊の歌」に収録されます。
 
 
逝く夏の歌
 
並木の梢(こずえ)が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見ていた。
日の照る砂地に落ちていた硝子(ガラス)を、
歩み来た旅人は周章(あわ)てて見付けた。
 
山の端(は)は、澄(す)んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。
 
風はリボンを空に送り、
私は嘗(かつ)て陥落(かんらく)した海のことを 
その浪(なみ)のことを語ろうと思う。
 
騎兵聯隊(きへいれんたい)や上肢(じょうし)の運動や、
下級官吏(かきゅうかんり)の赤靴(あかぐつ)のことや、
山沿(やまぞ)いの道を乗手(のりて)もなく行く
自転車のことを語ろうと思う。
 
 
「逝く夏の歌」を読むと
 
並木の梢(こずえ)が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見ていた。
(第1連)
 
山の端(は)は、澄(す)んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
(第2連)
 
風はリボンを空に送り、
(第3連)
 
――のような「擬人法」と
 
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。
(第2連)
 
――のような「暗喩」がからみあう複雑さにぶつかります。
 
その上に
 
私は嘗(かつ)て陥落(かんらく)した海のことを 
その浪(なみ)のことを語ろうと思う。
 
騎兵聯隊(きへいれんたい)や上肢(じょうし)の運動や、
下級官吏(かきゅうかんり)の赤靴(あかぐつ)のことや、
山沿(やまぞ)いの道を乗手(のりて)もなく行く
自転車のことを語ろうと思う。
 
――と「類推」や「連想」だけでは想像もできない
この詩人固有の題材(体験や記憶)が混ざる構成であることを知ります。
 
 
擬人法、喩、「私的」題材……。
これらが重層するため
イメージが錯綜しそうですが
決してそうならないのは
「逝く夏の歌」のタイトル(=テーマ)から
一歩もはみ出さない求心力が
この詩にあるからです。
 
夏が終わって、その後に、秋がやってくるという
「季節の移り変わり」に焦点を向けたのではなく
夏が終わったことそのものを歌う詩ですから
「逝った夏」から離れていないのです。
 
 
この詩の最大の謎(なぞ=難しさ)はおそらく
「陥落した海」や 
「その浪」や
「騎兵聯隊や上肢の運動」や
「下級官吏の赤靴」
「乗手もなく行く自転車」にあります。
 
これらは
作者である詩人も見たことのない未体験の話です。
それを題材にしていることを
初めてこの詩を読む人が知ることはできません。
 
 
「陥落した海」とは
どうやら日露戦争の「旅順港」で
日本軍が陥落させたロシア軍の要塞のことです。
詩人は幼時、
父謙助が赴任した旅順へ
母に負われて滞在したことがありますから
その時のことを後になって繰り返し繰り返し聞かされ
記憶に残るはずもないこの「経験」を
あたかも目で見、耳で聞いたかのように記憶に刻みました。
 
それらのことを
「語ろうと思う」と歌ったのです。
 
 
最後に現われる「乗手もなく行く自転車」は
旅順の「経験」ではないかもしれませんが
やはり遠い日の経験でありそうです。
 
 
その2
 
梢が息を吸って空は見ていた
旅人は見付けた
山の端は清くする
私が塗っておいた
風が送る
……
 
第1連、第2連、第3連冒頭行の主語と述語だけを追えば
このようになります。
 
各連が
擬人法を交互に使っているのが分かります。
 
擬人法は第3連冒頭行まで使われて消え
以降、末行まで「人間=私」を主語とします。
 
 
始めに出てくる「旅人」は「私=詩人」らしく
後半連の主格も「私」であることに気づけば
この詩の骨格は見えたことになります。
 
逝く夏を歌う主人公は
旅人であり
私である
詩人です。
 
 
全体の骨格が見えて
ふたたび詩を読み返してみれば
第2連
 
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。
 
――の「暗喩(あんゆ」が立ちふさがります。
 
擬人法の中に紛れ込むようにある
「私」が「飛行機に」「昆虫の涙を塗っておいた」という動作が
どのような意味を表現しているのかと立ち止まります。
 
この2行の「意味」を受け止めないことには
この詩を読み進むことはできません。
 
 
ここでも
前後関係あるいは全体から類推するという方法にたより
想像力をフルに生かすしか手はありません。
 
なぜ昆虫か
なぜ涙か
昆虫の涙を飛行機に塗る、という行為に
詩人は何を込めたのか――。
 
 
近景と遠景。
過去と現在。
 
「風」が時空を移動するバネになって……。
遠い遠い日の「記憶」が
ざわざわと蠢(うごめ)きはじめます。
 
 
こんな時に
詩人は
詩人の歌いたいものを見出します。

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