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中原中也の詩に出てくる「人名・地名」18(まとめ)

中原中也の詩に現われる「人名」の日本人を見ていますが、
【すずえ】【むつよ】についてもう少し寄り道をしてみます。
 
「初恋集」にタイトルとして登場する「すずえ」と「むつえ」は
「すずえ」は十四で僕は十五で
「むつえ」は僕より一つ上となっていますから別人のようでありますが
同じ女性であると推察するのが自然でしょう。
(おまえが花のように)の女性も
同じ初恋の女性と考えてよいことでしょう。
 
そもそも、「事実と詩の関係」は
事実上のモデルがそのまま詩の女性とイコールであるか否かを問うことが無意味であり
ここでそれを問うことの無意味さを了解していることを前提にしています。
 
そうであっても
「中原中也の初恋の女性」というだけで
この無意味さはどこかへすっ飛んでしまうのですから
理屈ではいえない面白さがここに潜んでいることになります。
 
 
新全集第2巻・解題篇の案内によれば
「初恋集」「すずえ」の第1節第2連に
 
あなたはその時十四でした
 僕はその時十五でした
冬休み、親戚で二人は会って
 ほんの一週間、一緒に暮した
――とあるのは
未発表小説「(それは彼にとって)」に登場する「文江」と符号します。
 
大正9年の7月と12月、
中原中也は山口中学1年生の夏休みと冬休みの2度、
門司の親戚、野村家を訪問しています。
その様子を書いたのが「(それは彼にとって)」という無題の小説で
制作は大正14年(1925年)春と推定されています。
 
大正14年春といえば、
まさに長谷川泰子とともに東京へ出てきた頃のことです。
上京前か後かわかりませんが
この頃、5年前に抱いた初恋の感情を小説にしたこと自体が面白いことではありませんか。
 
 
未発表小説「(それは彼にとって)」には
父謙助の命で一家の代表として門司の親戚を訪問したときの様子が書かれていますが
このあたりの背景を母フクは
「私の上に降る雪は」(中原フク述、村上護編)の中で
 
中也が中学1年の夏休みに、門司の親類にいかせたことがありました。夏休み40日も、学校にいかずに家にいると、やかましゅうてどうにもなりませんので、どこか親類にでもやったらええ、と謙助がいいはじめたんです。私には兄弟がおりませんから、なかなか気軽に遊びに行かせられるところがありません。それで門司の野村という謙助のほうの親類の家ですが、そこに子供がおりませんし、裕福でしたから、あそこへやろう、と謙助がきめたんです。まあ人の迷惑になることも考えないで、中也と恰三のふたりを、そこへ追いやったわけなんですよ。
 
そのころ、野村政一さんの姪とかで、門司の野村家に娘さんがおったらしいんです。中也とその娘さんが仲ようなって、湯田に帰ってきてから、中也は文通をはじめておりました。その娘さんからは、なんとかという本を買って送ってくれとか、そんな手紙がきよりました。これはあんまり親しゅうなりすぎると、間違いをおこすじゃろうからと、私は心配しました。手紙のやりとしも、あまりさせんほうがよかろうと、私はそれを禁止しておりました。中也はそのことに対しては、えらい機嫌が悪かったんですよ。

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