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「白痴群」前後・愛の詩2「涙語」

「涙語」も
「ノート1924」の空白ページに清書され
筆記具、インク、筆跡ともに
「浮浪歌」と同じものとされる詩です。
 
ダダが残るのも同じですが
京都時代のダダは
泰子との「蜜月」期間の制作で
こちらは「別離」後です。
 
にもかかわらず
「愛の詩」というのであれば
「誰にも見せない」と詩人が言ったという心理を
理解できるような気もします。
 
 
涙 語
 
まずいビフテキ
寒い夜
澱粉過剰の胃にたいし
この明滅燈の分析的なこと!
 
あれあの星というものは
地球と人との様により
新古自在に見えるもの
 
とおい昔の星だって
いまの私になじめばよい
 
私の意志の尽きるまで
あれはああして待ってるつもり
 
私はそれをよく知ってるが
遂々のとこははむかっても
ここのところを親しめば
神様への奉仕となるばかりの
愛でもがそこですまされるというもの
 
この生活の肩掛や
この生活の相談が
みんな私に叛(そむ)きます
なんと藁紙の熟考よ
 
私はそれを悲しみます
それでも明日は元気です
 
 
4行―3行―2行―2行―5行―4行―2行の構成は
自在な形を示すほかに
なんの意味も持っていないでしょう。
この詩は「口語自由詩」と呼ぶのがふさわしい!
 
よくみれば
「私」が第3連以下に必ず出てきます。
 
第1、第2連で何かの「事件」を「描写」し
第3連以下で「私」の「反応」を歌ったという
「何がどうした」の構造が見えます。
 
では、第1連の
「まずいビフテキ」
「寒い夜」
「澱粉過剰の胃」
「明滅燈の分析的なこと」
――は何を言っているのでしょう?
 
 
まずいビフテキを食べたような
(何かよからぬ体験をした)寒い夜に
でんぷん質が過剰になった胃を
チカチカチカチカと分析している(おまえ)!
 
(そんなこともあったなあ)
あれはずっと遠い星のできごとだ
地球と人間の状態によって
新らしくも古くも見えるもの。
 
第3連以下は
いまや「遠い昔の星」となった「事件」で
「私」があれこれと揺れ動いてきた様子が歌われます。
 
本当はまだ過去の話ではないのですが。
 
 
「涙」は
泰子にからんだもの以外にあるでしょうか?
 
事件直後ならば
ストレートに「涙語」などと書くでしょうか?
 
二つの疑問が
同時に出てきます。
 
 
詩人は
「失ったもの」への「悲しみ」を
どうにか手なずけようとしています。
 
いまの私になじめばよい
あれはああして待ってるつもり
それでも明日は元気です
――と、なんとか「折れ合い」の策を編み出します。
 
しかしそういうものの
それがやせ我慢の涙語になっているのを
自ら知っているのです。

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