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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和8年4月25日ほか・番外編2

中原中也が京都時代に作った
有名なダダの詩を一つ。
 
 
(名詞の扱いに)
 
名詞の扱いに
ロジックを忘れた象徴さ
俺の詩は
 
宣言と作品の関係は
有機的抽象と無機的具象との関係だ
物質名詞と印象との関係だ。
 
ダダ、ってんだよ
木馬、ってんだ
原始人のドモリ、でも好い
 
歴史は材料にはなるさ
だが問題にはならぬさ
此(こ)のダダイストには
 
古い作品の紹介者は
古代の棺(ひつぎ)はこういう風だった、なんて断り書きをする
棺の形が如何(いか)に変ろうと
ダダイストが「棺」といえば
何時(いつ)の時代でも「棺」として通る所に
ダダの永遠性がある
だがダダイストは、永遠性を望むが故(ゆえ)にダダ詩を書きはせぬ
 
(「新編中原中也全集」より。「新かな」に改めました。編者。)
 
 
高橋新吉の有名な詩を一つ。
 
 
倦怠
 
皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿
 倦怠
  額に蚯蚓這う情熱
 白米色のエプロンで
 皿を拭くな
鼻の巣の黒い女
 其処にも諧謔が燻すぶっている
  人生を水に溶かせ
  冷めたシチューの鍋に
退屈が浮く
  皿を割れ
  皿を割れば
倦怠の響が出る
 
(菊地康雄「青い階段をのぼる詩人たち」青銅社より。※「新かな」に改めました。編者。)
 
 
「倦怠」は「皿」というタイトルで紹介されることもあります。
初出は「倦怠」のようで
皿という文字の数が「倦怠」では24
「皿」では22と異なります。
 
 
昭和8年前半期の制作詩群の中に
高橋新吉への献呈詩があることは
極めて重要な事実です。
 
詩人16歳の秋は、大正12年(1923年)。
京都丸太町の古書店で「ダダイスト」と出会い
以来、ダダイズムと「切れぬ仲」になるのですから。
 
新吉の著作「ダダイスト新吉の詩」の巻頭跋に
やはりダダイストといってよい辻潤が新吉を案内して
「新吉は確かに和製ランボオの資格があるが、あいにく己がヴェルレイヌではなかったことは甚だ遺憾だ。」と
記しているのはよく知られたことです。
 
中原中也がこの跋を読んでいたであろうことも疑いなく
16歳のこの時から
中也はランボーとダダイズムとを頭に刻み
やがては富永太郎や小林秀雄らとの出会いを通じて
フランス象徴詩の「森」の中へ分け入っていくことになります。
 
 
高橋新吉への献呈詩はタイトルもない未完成作品ですが
やや硬質なトーンは「襟を正した」感じで
大先輩へのオマージュとなっています。
 
詩の末尾に(一九三三・四・二四)とあり
この日が、「手紙56 4月25日」の前日であることも驚きです。
芝書店へ単独交渉に赴いた日の前日に
この詩は書かれました。
 
 
(形式整美のかの夢や)
      ▲
         高橋新吉に
 
形式整美のかの夢や
羅馬(ローマ)の夢はや地に落ちて、
我今日し立つ嶢角(ぎょうかく)の
土硬くして風寒み
 
希望ははやも空遠く
のがるる姿我は見ず
脛(はぎ)は荒るるにまかせたる
我や白衣の巡礼と
 
身は風にひらめく幟(のぼり)とも
長き路上におどりいで
自然を友に安心立命
血は不可思議の歌をかなづる
     (一九三三・四・二四)

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