「一筆啓上、安原喜弘様」昭和8年4月25日ほか・番外編2
中原中也が京都時代に作った
有名なダダの詩を一つ。
◇
(名詞の扱いに)
名詞の扱いに
ロジックを忘れた象徴さ
俺の詩は
宣言と作品の関係は
有機的抽象と無機的具象との関係だ
物質名詞と印象との関係だ。
ダダ、ってんだよ
木馬、ってんだ
原始人のドモリ、でも好い
歴史は材料にはなるさ
だが問題にはならぬさ
此(こ)のダダイストには
古い作品の紹介者は
古代の棺(ひつぎ)はこういう風だった、なんて断り書きをする
棺の形が如何(いか)に変ろうと
ダダイストが「棺」といえば
何時(いつ)の時代でも「棺」として通る所に
ダダの永遠性がある
だがダダイストは、永遠性を望むが故(ゆえ)にダダ詩を書きはせぬ
(「新編中原中也全集」より。「新かな」に改めました。編者。)
◇
高橋新吉の有名な詩を一つ。
◇
倦怠
皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿
倦怠
額に蚯蚓這う情熱
白米色のエプロンで
皿を拭くな
鼻の巣の黒い女
其処にも諧謔が燻すぶっている
人生を水に溶かせ
冷めたシチューの鍋に
退屈が浮く
皿を割れ
皿を割れば
倦怠の響が出る
(菊地康雄「青い階段をのぼる詩人たち」青銅社より。※「新かな」に改めました。編者。)
◇
「倦怠」は「皿」というタイトルで紹介されることもあります。
初出は「倦怠」のようで
皿という文字の数が「倦怠」では24
「皿」では22と異なります。
◇
昭和8年前半期の制作詩群の中に
高橋新吉への献呈詩があることは
極めて重要な事実です。
詩人16歳の秋は、大正12年(1923年)。
京都丸太町の古書店で「ダダイスト」と出会い
以来、ダダイズムと「切れぬ仲」になるのですから。
新吉の著作「ダダイスト新吉の詩」の巻頭跋に
やはりダダイストといってよい辻潤が新吉を案内して
「新吉は確かに和製ランボオの資格があるが、あいにく己がヴェルレイヌではなかったことは甚だ遺憾だ。」と
記しているのはよく知られたことです。
中原中也がこの跋を読んでいたであろうことも疑いなく
16歳のこの時から
中也はランボーとダダイズムとを頭に刻み
やがては富永太郎や小林秀雄らとの出会いを通じて
フランス象徴詩の「森」の中へ分け入っていくことになります。
◇
高橋新吉への献呈詩はタイトルもない未完成作品ですが
やや硬質なトーンは「襟を正した」感じで
大先輩へのオマージュとなっています。
詩の末尾に(一九三三・四・二四)とあり
この日が、「手紙56 4月25日」の前日であることも驚きです。
芝書店へ単独交渉に赴いた日の前日に
この詩は書かれました。
◇
(形式整美のかの夢や)
▲
高橋新吉に
形式整美のかの夢や
羅馬(ローマ)の夢はや地に落ちて、
我今日し立つ嶢角(ぎょうかく)の
土硬くして風寒み
希望ははやも空遠く
のがるる姿我は見ず
脛(はぎ)は荒るるにまかせたる
我や白衣の巡礼と
身は風にひらめく幟(のぼり)とも
長き路上におどりいで
自然を友に安心立命
血は不可思議の歌をかなづる
(一九三三・四・二四)
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