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谷間の睡眠者

 
これは緑の窪、其処に小川は
銀のつづれを小草(おぐさ)にひっかけ、
其処に陽は、矜(ほこ)りかな山の上から
顔を出す、泡立つ光の小さな谷間。

若い兵卒、口を開(あ)き、頭は露(む)き出し
頸は露けき草に埋まり、
眠ってる、草ン中に倒れているんだ雲(そら)の下(もと)、
蒼ざめて。陽光(ひかり)はそそぐ緑の寝床に。

両足を、水仙菖(すいせんあやめ)に突っ込んで、眠ってる、微笑んで、
病児の如く微笑んで、夢に入ってる。
自然よ、彼をあっためろ、彼は寒い!

いかな香気も彼の鼻腔にひびきなく、
陽光(ひかり)の中にて彼眠る、片手を静かな胸に置き、
見れば二つの血の孔(あな)が、右脇腹に開(あ)いている。

 


ひとくちメモ その1

中原中也訳「ランボオ詩集」の
4番目にあるのは
「谷間の睡眠者」Le Dormeur du valです。

この詩は
東京帝大仏文科の教官であった
辰野隆がその著作「信天翁の眼玉」(大正11年、白水社)で
原詩を載せて紹介したこともあって広く知られ
そのことばかりでなく、
幾つかの翻訳が早い時期から行われている
ランボーの作品の一つです。

中原中也訳のほかに
同時代訳として

高村光太郎訳「眠れる人」(明治43年)
蒲原有明訳「眠」(大正11年)
藤林みさを訳「谷に眠れる者」(大正12年)
大木篤夫訳「谷間に眠る人」(昭和3年)
三好達治訳「谷間の睡眠者」(昭和5年)
小林秀雄訳「谷間に眠る男」(昭和8年)
浜名与志春訳「渓谷の睡眠」(昭和9年)

――があります。(「角川新全集第3巻 翻訳 解題篇」より) 

ランボー初期の作品は
「ドゥエ詩帖」と呼ばれる自筆原稿があり
「谷間の睡眠者」もこの詩帖にあります。
中原中也訳の「ランボオ詩集」で
「初期詩篇」中の1番目の「感動」も
3番目の「びつくりした奴等」も
「ドゥエ詩帖」にある自筆原稿から起こされたものです。

ランボーの初期作品の大半が
この「ドゥエ詩帖」にあります。
「フォーヌの頭」に自筆原稿はなく
ベルレーヌの「呪われた詩人たち」に
引用されて作品として残ったのとは異なり
ランボーが清書して
自らの意志で発表しようとした詩篇群が
この詩帖の作品です。

「谷間の睡眠者」の冒頭もまた
この前にある「びつくりした奴等」に似て
遠景からの描写ではじまる詩篇です。

何度も何度も読んでいて
ようやく見えてくる
詩の構造ですが
構造が見えたところで
同時に詩内容の「逆転」に
読み手が投げ出されてあることを知る、というような詩です。

これは緑の窪、其処に小川は
銀のつづれを小草(をぐさ)にひつかけ、
其処に陽は、矜りかな山の上から
顔を出す、泡立つ光の小さな谷間。

――これが、遠景からとらえられた
導入部の描写です。

どこだかの小川の
土手道にある窪地は
小さな草が緑なし
その上を太陽が燦々と降りそそぎ
あたり一帯を光が乱舞している
白昼(または早朝)の光景です

そこに
若い兵隊が一人
口を大きく開け
無帽のままで
朝露の落ちた草むらに
身を埋めて
「眠っている」……

草の中に倒れているのだ
雲の浮んだ空の下
蒼白な貌(かお)で
陽の光が降りそそぐ
草むらをベッドにして

両足を、水仙アヤメの葉むらに突っ込んだまま
「眠っている」、微笑をたたえ
病んだ子のように力なく笑い
夢の中。
自然よ
彼をあっためろよ
彼は寒いんだ!

どんな香りも彼の鼻孔をくすぐることもなく
陽光の中で、彼は「眠る」。
片方の手を静止した胸の上に置いている。
目を凝らせば
真っ赤な血で染まった、二つの穴がぽっかり
右の脇腹に開いている

 ◇

死という語は
見当たりません。
兵士は「眠っている」だけですが
兵士の死を歌った詩です。

ランボーにはほかに
この詩同様の
普仏戦争を題材にした作品で
「災難」
「シーザーの激怒」があります。

 ◇

遠景からの描写ではじまった詩は
終末で
接写になり
鮮血に染まった兵士の肉体の穴をとらえます。

 

詩人の眼差しは
カメラの眼――。

ひとくちメモ その2

同時代訳1

「谷間の睡眠者」Le Dormeur du valの
同時代訳に目を移してみましょう。

高村光太郎訳「眠れる人」(明治43年)
蒲原有明訳「眠」(大正11年)
藤林みさを訳「谷に眠れる者」(大正12年)
大木篤夫訳「谷間に眠る人」(昭和3年)
三好達治訳「谷間の睡眠者」(昭和5年)
小林秀雄訳「谷間に眠る男」(昭和8年)
浜名与志春訳「渓谷の睡眠」(昭和9年)

――とある中で
小林秀雄と大木篤夫(大木惇夫)の訳が
手元にありますから、それを引いておきます。

大木篤夫訳は
古書店で手に入れた「近代仏蘭西詩集」(ARS)にあるもので
ランボーは7作品が訳出されており
中に「谷間に眠る人」があります。

小林訳は
これもネットの古書店で入手した
昭和23年発行の「ランボオ詩集」(創元社)にあり
ここに珍しく韻文詩の訳が5作あります。
中に「谷間に眠る男」があります。

この二つの訳も
ランボー翻訳の早い時期からの
人気作品だったことを示す
高村光太郎訳以来の流れの中にありました。

大木訳の刊行(初出もか?)が昭和3年
小林訳の初出は昭和8年(「短歌と方法」)
中原訳の第一次形態の制作は
昭和4年~8年と推定されていますから
これらの訳を中原中也が参照していた可能性はありますが
断言はできません。

 *

 谷間に眠る人
 大木篤夫訳

緑なす落窪あり、あたりに川は高鳴り歌ひ
物狂はしく、襤褸(つづれ)の草に白銀の繁吹(しぶき)を撒けば
天つ陽も尊大の山のうへより耀(かがよ)ひわたる。
光沸きたつ小さき谷あり。

うら若き兵卒ひとり、口ひらき(かうべ)もあらはに、
青砕米萕(あをたがらし)の露けきなかに頸(うなじ)ぬらして眠りたり、
雲の下、草のさなかに身を伸(の)して
陽の明かる緑の床(とこ)に蒼ざめつ。

兵卒は眠りたり、双足(もろあし)を菖蒲(あやめ)のなかにつき入れて、
昏々と眠りたり、熱を病む幼児(をさなご)のごとほゝゑみて。
ああ、天然よ、暖く、守(も)りをせよ、彼いたく凍えたり。

その鼻は、はや、物の薫りを嗅ぐよしもなく、
静かにも手を胸に、日のなかに兵卒は眠りたり。
窺へば、右脇に二つ、赤き傷孔。

(「近代仏蘭西詩集」より。ARS、昭和3年)

 *

 谷間に眠る男
 小林秀雄訳

谷川の歌うたふ青葉の空洞(あな)、
流れは狂はしげに銀色の綴(つづれ)を草の葉にまとひつけ、
悠然と聳え立つ山から太陽がかゞやけば、
さゝやかな谷間は光に泡立つ。

うら若い兵士が一人、頭はあらはに、口をあけ、
裸身(はだか)を青々と爽やかな水菜に潤して、
眠つてゐる。雲の下、草をしき、
光の雨と降りそゝ緑のベッドに蒼ざめて。

眠つてゐる、両足を水仙菖(すゐせんあやめ)につゝこんで、
病児のやうにほゝゑんで、眠つてゐる。
さぞ寒むからう、自然よ、じつと暖めてやつてくれ。

風は様々な香を送るが彼の鼻孔はふるへもしない。
太陽を浴びて彼は眠る、動かぬ胸に腕をのせ、
右の脇腹に赤い穴を二つもあけて。

 

(「ランボオ詩集」より。創元社、昭和23年)

ひとくちメモ その2

同時代訳2

同時代訳とは
その詩人(または詩・作品)が生存していた時代に
公表されていた作品(翻訳)のことらしく
「谷間の睡眠者」Le Dormeur du valには

高村光太郎訳「眠れる人」(明治43年)
蒲原有明訳「眠」(大正11年)
藤林みさを訳「谷に眠れる者」(大正12年)
大木篤夫訳「谷間に眠る人」(昭和3年)
三好達治訳「谷間の睡眠者」(昭和5年)
小林秀雄訳「谷間に眠る男」(昭和8年)
浜名与志春訳「渓谷の睡眠」(昭和9年)

――の7作品が列挙されていますが(角川新全集)
では、堀口大学や金子光晴の作品は
戦後公表だったから同時代訳とされないことになるようです。

堀口大学は
ランボーが「にがてで」
翻訳にとりかかったのが疎開中のことだったことを明かしていますし
金子光晴が刊行した
「近代仏蘭西詩集」(1925年、紅玉堂書店)には
「Le Dormeur du val」の訳出が収録されていないのか不明ですが
いづれも同時代訳としては扱われないようです。

そこで
この二人の翻訳を見ておきます。
ざっと目を通すだけで
それぞれの訳が個性的で
工夫にも富んでいて
それだけでも面白いのですが
中原中也訳を味わう糸口として読むのも
楽しいものです。

 *

 谷間に眠る者
 堀口大学訳

ここぞこれ、青葉の空洞(ほら)よ、白銀(はくぎん)の襤褸(らんる)の草に
激しては、小川歌ふよ、
高澄(たかすみ)の山の常とて、陽(ひ)の耀(かがよ)ふよ、
ここぞこれ、光みなぎる小谷間よ。

うら若き兵(つはもの)ひとり、口はあんぐり、髪乱れ
わか水菜しげるが中に頸漬け、眠りつるよな、
白雲(はくうん)の空すぐる下(もと)、草の上、
ひかり降るさみどりの褥(しとね)に倒れ、蒼ざめて。

眠りつるよな、両足は水仙菖(すゐせんあやめ)かほる中。
病める児がほほゑみて、うたたねせるよ。
天地(あめつち)よ、温くこそは揺れ、彼凍ゆるに!

花の香(か)に鼻うごめかね、陽(ひ)を浴びて熟睡(まどろ)みあるよ、
片腕は静かなる胸の上。
右脇腹に、紅ゐの傷あと一つ、また一つ。

(「ランボオ詩集」より。昭和24年、新潮社)

 *

 谷間に眠るもの
 金子光晴訳

 立ちはだかる山の肩から陽(ひ)がさし込めば、
ここ、青葉のしげりにしげる窪地(くぼち)の、一すじの唄う小流れは、
狂おしく、銀のかげろうを、あたりの草にからませて、
狭い谷間は、光で沸き立ちかえる。

年若い一人の兵隊が、ぽかんと口をひらき、なにも冠らず、
青々と、涼しそうな水菜のなかに、頸窩(ぼんのくぼ)をひたして眠っている。
ゆく雲のした、草のうえ、
光ひりそそぐ緑の褥(しとね)に蒼ざめ、横たわり、

二つの足は、水仙菖蒲(すいせんしょうぶ)のなかにつっこみ、
病気の子供のような笑顔さえうかべて、一眠りしてるんだよ。
やさしい自然よ。やつは寒いんだから、あっためてやっておくれ。

いろんないい匂いが風にはこばれてきても、鼻の穴はそよぎもしない。
静止した胸のうえに手をのせて、安らかに眠っている彼の右脇腹に、
まっ赤にひらいた銃弾の穴が、二つ。

 

(「ランボー全集 全一巻」より。雪華社、1984年)

ひとくちメモ その3 

「谷間の睡眠者」の現代訳

一つの詩作品は多くの人によって翻訳されます。
同時代訳は
その中に含まれますが
優れた作品は繰り返し繰り返し翻訳され
幾つもの名訳が生まれます。

戦後も
現在も
新しい翻訳が行われ
発表されていますが
比較的最近の翻訳で
「Le Dormeur du val」を
1960年代の粟津則雄訳と
1990年代の宇佐美斉訳で読んでおきましょう。

大正の大木篤夫、
昭和初期の中原中也、小林秀雄、
戦後の堀口大学、金子光晴、
50年前の現在の粟津則雄、
ほぼ現在の宇佐美斉――と読んでみると
幾分かは、
訳された時代による差異が感じられるかもしれません。

 *

 谷間に眠る男
 粟津則雄訳

青葉の穴だ、銀のつづれを、狂おしく
草の葉にひっかけながら、流れは歌い、
誇らかに聳え立つ山のうえから、陽は
かがやく。光に泡立つ、小さな谷間だ。

若い兵士が、口をあけ、帽子もなく、
みずみずしい青いたがらしに項(うなじ)を浸して
眠っている。草のなか、雲のした、雨のように
光が注ぐ緑のベッドに、蒼ざめて横になってる。

足をあやめの茂みに入れて、眠っている。
病気の子供がほほえむようにほほえみながら一眠りだ、
自然よ、あたたかくゆすってやれ、寒そうだ。

香わしい薫りも彼の鼻の穴をふるえさせぬ、
陽の光を浴びたまま、動かぬ胸に手をのせて、
眠っている。その右の脇腹には赤い二つの穴。

(「ランボオ全作品集」粟津則雄訳、思潮社)

 *
 谷間に眠る男
 宇佐美斉訳

ここはみどりの穴ぼこ 川の流れが歌をうたい
銀のぼろを狂おしく岸辺の草にからませる
傲然と立つ山の峰からは太陽が輝き
光によって泡立っている小さな谷間だ

若い兵士がひとり 口をあけて 帽子も被らず
青くみずみずしいクレソンにうなじを浸して
眠っている 草むらに横たわり 雲のした
光の降り注ぐみどりのベッドに 色あおざめて

グラジオラスに足を突っ込んで ひと眠りしている
病んだ子供のようにほほ笑みながら
自然よ あたたかく揺すってやれ 寒いのだから

かぐわしいにおいに鼻をふるわせることもなく
かれは眠る 光をあび 静かな胸に手をのせて
右の脇腹に赤い穴がふたつのぞいている

 

(「ランボー全詩集」宇佐美斉訳、ちくま文庫)

ひとくちメモ その4 

付録篇・大木篤夫の翻訳論

中原中也訳の「谷間の睡眠者」Le Dormeur du valは
同時代に
「眠れる人」
「眠」
「谷に眠れる者」
「谷間に眠る人」
「谷間の睡眠者」
「谷間に眠る男」
「渓谷の睡眠」
――と、めいめいにタイトルを変えて訳されました。

そのすべてを読めないのは残念ですが
珍しくも大木篤夫訳の「谷間に眠る人」を読めたついでに
もう少し寄り道をして
大木篤夫の翻訳に関しての考えをみておきましょう。

といっても
論文みたいなものではなく
「近代仏蘭西詩集」(ARS、昭和3年)の「あとがき(書後)」に
翻訳に関しての詩人・大木篤夫の思いが記されてあるのを
この機会ですから読んでおくだけのことです。

千九百二十二年の夏から最近に至るまでに訳した仏蘭西の詩を、やっとここに纏める気にな
った

――とはじまる同書の「書後」がいう最近とは
この本が刊行された1928年(昭和3年)頃のこととすれば
1922年(大正11年)から
およそ7年間の訳業ということになります。

目次の詩の項だけを見ても
シャルル・ボオドレエル
ポオル・ヹルレエヌ
アルチュゥル・ラムボオ
フレデリック・バタイユ
ルイ・ティエルスラン
ステファヌ・マラルメ
ジョルヂュ・ロオデンバッハ
ジャック・マドレイヌ
エミイル・ヹルハアラン
ジャン・モレアス
ジュル・ラフォルグ
アンリ・ド・レニエ
フランシス・ヹレ・グリッファン
ピエール・ゴオチエ
ピエール・キラアル
ギュスタヴ・カアン
スチュアール・メリル
アンドレ・フェルヂナン・エロオル
アンドレ・フォンテエナス
モオリス・メエテルリンク
フランシス・ジャンム
レミ・ド・グウルモン
ピエール・ルイ
オーギュスト・ゴオ
ポオル・ジェラルディ
シャルル・ゲラン
アルベエル・サマン
アンリ・バタイユ
ポオル・フォール
カミイユ・モオクレエル
アンリ・バルビュッス
モオリス・マグル
シャルル・アドルフ・キャンタキュゼエヌ
フェルナン・グレエグ
シャルル・ワン・レルベルグ
ジャック・リシュペン
ポオル・スウション
アンリ・スピエス
レオ・ラルギィエ
シャルル・ヴィルドラック
ジョルヂュ・デュアメル
エミイル・デスパ

――と、ビッグネームからマイナーまで
手当たり次第、訳している印象です。

あとがきの中から
一部を拾っておきます。
適宜、改行、行空きを入れ
現代表記にしてあります。

 ◇

 わたしは思っている、文学作品の翻訳は、殊に詩の場合は、単に原詩の意味を正確に伝えるというばかりが能ではないと。凡そ忠実な翻訳者である以上、それはあまりにも当然すぎることで、問題とするに足りない。

その上に更に、原詩のもつ音律とか、情調とか、陰影とか、気韻とか、色合いとか匂いとかいふものの翻訳をしなければ、結局は、最も重要な、その詩のエスプリを生かすことは出来ぬのだ。

単なる意味の散文的伝達では、エスプリを、概念としてのみ知らしめることは出来ても、決して感覚的な生き物として感ぜしむることは出来ない。詩はあくまで直接感に訴える全的表現であるのだから。

もとより、語法も律格も全く異なった日本語で、そうした微妙なものまでの翻訳は、厳密な意味においては不可能事に属するけれども、どの道こうした難しい仕事にとりかかるからは、不可能事を可能ならしめようとするほどの愚かしい熱意があってもいいではないか。

わたしは、こうした見地から、翻訳の学的良心を必要とすることは無論ながら、より多く芸術的良心を尊重した。原詩の意味の伝達は言うまでもないが、むしろ、その陰影を気分を情調を伝えることに、つまりは前に言った愚かしい不可能事を可能ならしめることに憂身をやつした。

そのためには、音調上の必要から、一二の言葉の取捨添加はやむを得なかった。殊に、七五調、五七調、五五調等、日本在来の定型律によったものの場合にそれがある。

こうはいっても、注意深い読者なら、ほんの二三の例外を除いて、一見、大胆すぎる自由訳と思われそうなものがあっても、実は、わたしが存外に細心な逐次訳を基調とし、出来る限り周到緻密に一字一句の末に至るまで一応は吟味している事実、あるいは文字通りに訳しあげている事実を首肯し立証してくれるはずである。原詩と対照して。

これだけの事を言ったうえで、一字一句に拘泥することは、必ずしも翻訳良心を尊重する所以でないことを告げたいのである。

そうだ。翻訳は、拘束されなければならぬ、自由でなければならぬ、このディレンマに、われわれの至難とするところが(同時に、根気のいい訳者の興味とし喜びとするところも――)ある。

 *

 谷間に眠る人
 大木篤夫訳

緑なす落窪あり、あたりに川は高鳴り歌ひ
物狂はしく、襤褸(つづれ)の草に白銀の繁吹(しぶき)を撒けば
天つ陽も尊大の山のうへより耀(かがよ)ひわたる。
光沸きたつ小さき谷あり。

うら若き兵卒ひとり、口ひらき(かうべ)もあらはに、
青砕米萕(あをたがらし)の露けきなかに頸(うなじ)ぬらして眠りたり、
雲の下、草のさなかに身を伸(の)して
陽の明かる緑の床(とこ)に蒼ざめつ。

兵卒は眠りたり、双足(もろあし)を菖蒲(あやめ)のなかにつき入れて、
昏々と眠りたり、熱を病む幼児(をさなご)のごとほゝゑみて。
ああ、天然よ、暖く、守(も)りをせよ、彼いたく凍えたり。

その鼻は、はや、物の薫りを嗅ぐよしもなく、
静かにも手を胸に、日のなかに兵卒は眠りたり。
窺へば、右脇に二つ、赤き傷孔。

 

(「近代仏蘭西詩集」より。ARS、昭和3年)

ひとくちメモ その5 

「谷間の睡眠者」と金子光晴の訳

Le Dormeur du val(中原中也訳は「谷間の睡眠者」)は
詩人・金子光晴の訳もありますが
中原中也・角川新全集は同時代訳に入れていません。
戦後の制作(翻訳)としているからでしょうか
戦前、昭和初期もしくは大正のいつかに
金子光晴はランボーの原詩を読んでいた可能性は高いのですが。

中原中也より10歳以上も年上の金子光晴。
二人の詩人は
生きた時代が一部で重なりながら
一度も接触することがなかったのは
ともに「詩壇」に距離を置いていたからでしょうか
遭わなかったことが不思議な感じがします。

ここでまた
金子光晴の訳「谷間にねむるもの」を見ておきますが
これは昭和29年発行の「現代詩の鑑賞」(河出新書)に収められているもので
初出が同書であったかは分かりません。
制作年(翻訳した年)も不明です。
ここでは
金子光晴自身の鑑賞がありますので
それも読んでおきます。
まず、同書からの詩の訳――。

 ◇

 谷間に眠るもの
 アルチュウル・ランボオ

立ちはだかる山の肩から陽がさしこめば、
こゝ、青葉のしげりにしげる窪地の、一すじの小流れは、
狂ほしく、銀のかげろふを、あたりの草にからませて
狭い谷間は、光で沸き立ちかへる。

年若い一人の兵隊が、ぽかんと口をひらき、なにも冠らず、
青々と、涼しさうな水菜のなかに、頸窩をひたして眠つてゐる。
ゆく雲のした、草のうへ、
光ふりそゝぐ緑の褥に蒼ざめ、横たはり、

二つの足は、水仙菖蒲のなかにつつこみ
病気の子供のやうな笑顔をうかべて、一眠りしてゐるんだよ。
やさしい自然よ。やつは寒いんだから、あつためてやつておくれ。

いろんないゝ匂ひが風にはこばれてきても、鼻の穴はそよぎもしない。
静止した胸のうへに手をのせて、安らかに眠つてゐる彼の右脇腹に
まつ赤にひらいた銃弾の穴が、二つ。

 ◇
この訳は
1984年発行の「ランボー全集 全一巻」(雪華社)に収録されているのとは違っていて
歴史的表記です。
「ゐ」を使用したり
現代音便を使わず
「ような」は「やうな」です。

ということから
戦前の制作(翻訳)であることが推察できますが
これも断言できるものではありません。

 ◇

この詩を取り上げて
金子光晴自らがランボー詩を鑑賞します。
それを
短いものですから
全文読んでみます。

 ◇
(以下、「現代詩の鑑賞」から引用)

 この訳は、意味をはっきりわからせるために、少々もって廻っているが、この詩は、少年天才詩人の詩が、いかに新鮮なものかということを示す見本のようなものだ。

 山かげの小流れに陽がさして、沸返るような陽炎にゆれているなかに、びしょびしょした湿地の水芹や水菜がはえているなかに、半分水びたしになって若者がねている。まるで、自然の光とそのめぐみにつかって、陶然としているようなかっこうだ。みるとそれは、戦死者で、右脇腹に二つの穴があいている。

 最後の行のドキリとさせる“おち”などはいかにも、才はじけた少年が、大人の手法を手に入れて、みごとにやりこなしたという感なきにしもあらずだが、全体の光耀(ひかり)眩しいなかに、「死」のこともなさ、明るさをあらわしえたところ、永遠の“はしり”という感じが強い。

 しかし、ランボオの魅力は、むしろ、現代詩につながるもので、その点、同時代のヹルレエヌがランボオの詩を驚異して高く評価したことのなかには、なにか、芸術家の“つらさ”があるようでならない。

 パリー・コンミューンに身を投じようとし、北方のシャルルヸルから徒歩でパリーへやってきた十六歳の少年には、すでにヹルレエヌのエレガンスの世界も、カトリシズムの悔恨もなかった。

※ 原文の傍点は、“ ”で示しました。また、読みやすくするための行空きを入れました。編者。

 *

 谷間の睡眠者
 中原中也訳

これは緑の窪、其処に小川は
銀のつづれを小草(をぐさ)にひつかけ、
其処に陽は、矜りかな山の上から
顔を出す、泡立つ光の小さな谷間。

若い兵卒、口を開(あ)き、頭は露(む)き出し
頸は露けき草に埋まり、
眠つてる、草ン中に倒れてゐるんだ雲(そら)の下(もと)、
蒼ざめて。陽光(ひかり)はそそぐ緑の寝床に。

両足を、水仙菖に突つ込んで、眠つてる、微笑むで、
病児の如く微笑んで、夢に入つてる。
自然よ、彼をあつためろ、彼は寒い!

いかな香気も彼の鼻腔にひびきなく、
陽光(ひかり)の中にて彼眠る、片手を静かな胸に置き、
見れば二つの血の孔(あな)が、右脇腹に開(あ)いてゐる。

 

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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