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「白痴群」前後・片恋の詩5「かの女」

「かの女」は
大正15年に制作(推定)された詩で
「横浜もの」の一つです。
 
長谷川泰子に去られて
1年も経っていない時期に作られたものです。
 
 
この詩は、大岡昇平が
 
中原は14年以来、横浜のエキゾチックな頽廃的な雰囲気を好み、よく遊びに行った。この地で客死した祖父助之(政熊の兄、福の実父である)の墓に詣り、横浜橋停留所附近の私娼のところへ通った。「臨終」は馴染みの娼婦が死んだのを歌ったものだ、と私にいった。よほど気に入った女がいたのである。「かの女」がその女を歌ったものと見ることが出来るが、「臨終」と同じく長谷川泰子の影もまた落ちているのである。
 
――と「中原中也全集」(旧全集)の解説に書いている
有名な一文を抜きに語ることはできません。
 
 
かの女
 
千の華燈(かとう)よりとおくはなれ、
笑める巷(ちまた)よりとおくはなれ、
露じめる夜のかぐろき空に、
かの女はうたう。
 
「月汞(げっこう)はなし、
低声(こごえ)誇りし男は死せり。
皮肉によりて瀆(けが)されたりし、
生よ歓喜よ!」かの女はうたう。
 
鬱悒(うつゆう)のほか訴うるなき、
翁(おきな)よいましかの女を抱け。
自覚なかりしことによりて、
 
いたましかりし純美の心よ。
かの女よ憔(じ)らせ、狂い、踊れ、
汝(なれ)こそはげに、太陽となる!
 
 
ここでも定型(ソネット)にし
文語調としたのは
「臨終」や「むなしさ」と同じですが
漢語の多用は
「むなしさ」にあり「臨終」にはないものですから
「朝の歌」以前の制作と見られています。
 
「朝の歌」には漢語が消えたのですが
それ以前の作品には
晦渋(かいじゅう)な漢語が散りばめられていることから
「かの女」も「朝の歌」以前の制作と見做(な)されます。
 
 
第2連に出てくる「月汞(げっこう)」は
宮沢賢治の「春と修羅」に用例があり
中也はこの詩に取り入れたらしい。
 
泰子が去ってすぐの
「大正14年の暮れか翌年の初め」に
詩人は東京関根書店発行の「春と修羅」を手に入れています。
 
「春と修羅」中の「風の偏倚」冒頭部に
「(虚空は古めかしい月汞にみち)とあるのを
中也流の解釈(言語感性)をほどこして使ったようです。
 
富永太郎……
ランボー、ベルレーヌ、ラフォルグ……
白秋、泡鳴……賢治……
 
ダダイズム脱皮に懸命だった中也に
「吸収」しないではいられない
「言葉の冒険者たち」は
次から次に現われました
 
 
それにしても
 
「月汞(げっこう)はなし、
低声(こごえ)誇りし男は死せり。
皮肉によりて瀆(けが)されたりし、
生よ歓喜よ!」かの女はうたう。
 
――をどのように読んだものか
立ち止まらざるを得ませんが……。
 
大岡昇平は
「低声(こごえ)誇りし男」を小林秀雄と見立て
この「 」の中の文句を
かの女=泰子が歌っているものと読みました。
 
(この読みは、この詩を昭和3年5月以降の制作、つまり、小林が泰子から去った日以後の制作と取った上での推定ですから、その後、訂正が入れられているかもしれません。)
 
 
「かの女」は
未発表ながら
題名のある完成作品ですが
「省略」「飛躍」の技法を凝(こ)らした
謎(なぞ)の残る作品です。
 
大岡が読むように
「低声(こごえ)誇りし男」が小林ならば
「翁」は誰を指しているか
「なれ」は何か(誰か)――など
疑問が次々に出てきます。
 
 
しかし、
 
きらびやかなネオンサインの街を離れ
嬌声さんざめく巷間を離れ
今にも降り出しそうな黒い夜空に
彼女が歌っていた――。
 
鬱悒というほかにない
その歌(または私の気持ち)だが……。
 
彼女(または純美の心)は
やがては「太陽」となるのだ、と断言した詩と
最低限度は、読めるかもしれません。
 
 
中也の詩は
絶望で終わらないのです。

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