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ランボー<18>色々な「酔ひどれ船」

「酔いどれ船」は
初めて日本に紹介されたのが
柳沢健によるものなのか
全訳ではないものが
柳沢健以前にあったのかわかりませんが
上田敏はもちろんのこと
ざっと数えるだけで20人近くの名が挙がるほど
翻訳家、フランス文学者、詩人らによって
いろいろな訳が試みられてきました。
 
そして
ランボーであるゆえにか
翻訳であるゆえにか
ほかの理由からか
原作が
一つの作品、
一つのフレーズ、
一つの語句であっても
それぞれの翻訳は
まったく異なる作品のように現れることになりました。
 
その一例を次の
 
私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。
 
で見ることにします。
 
「酔ひどれ船」の中の
この第10連は
荒れ狂う海で見る夢の中の情景の
中原中也訳ですが
この第10連だけでも
ほかの翻訳がどんなかを見ておくことにします。
 
<柳田健の訳>「醉ひどれの舟」
 
自分は、物静かに海洋の眼へとのぼりくる接吻、
恍として雪ふる青き夜を夢みた。異常なる液力の
循環と歌唄ひなる燐光の黄色と青色の警戒を夢みた。
 
<上田敏の訳>「酔ひどれ船」
 
夜天の色の深(こ)みどりはましろの雪のまばゆくて
静かに流れ、眼にのぼるくちづけをさへゆめみたり。
世にためしなき霊液は大地にめぐりただよひて
歌ふが如き不知火の青に黄いろにめざむるを。
 
<堀口大学の訳>「酔いどれ船」
 
我見たり、雲母雪(きららゆき)ふる青き夜ぞ、
静々と海の瞳へ昇り来(こ)し接吻(くちづけ)を、
壮大なる生気の巡り充ち満ちて、
歌いつつ青に黄に燐火と化して燃え立つを。
 
<金子光晴の訳>「酔つぱらひの舟」
 
 目もくらむ光の雪と降る良夜。
ものやさしくも、海の睫をふさぐ接吻や、
水液のわき立ちかへるありさまや、
唄ひつれる夜光虫の大群が、黄に青に変わるのを夢に見た。
 
<鈴木信太郎の訳>「酩酊船」
 
ゆくらゆくらに昇り来て 海の瞳に接吻くる、
燦々と眩き雪の 緑の夜を、
未聞の生気溌剌と循環するを、はた 歌を
唄ふ燐光 黄に青に眼醒むるさまを、われ夢みたり。
 
<小林秀雄の訳>「酩酊船」
 
まばゆきばかり雪の降り、夜空の色は緑さし、
海を離れてゆらゆらと、昇る接吻も眼のあたり。
未聞の生気はたゞよひて、歌ふが如き燐光の
青色に黄色に眼醒むるを、われはまた夢みたり。
 
 □ □ □
 
このほかの新しい訳が、
まだたくさんありますが
今回は比較的古い訳を紹介するにとどめます。
 
 
(つづく)
 
 
*
 
酔ひどれ船
 
私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。
 
私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。
 
私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。
 
嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。
 
子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。
 
その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。
 
其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!
 
私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。
 
不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。
 
私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。
 
私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。
 
船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。
 
私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!
 
氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!
 
子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。
 
時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった
 
半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……
 
私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、
 
思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、
 
電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、
 
私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。
 
私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来のよ!精力よ!
 
だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!
 
よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。
 
あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。
 
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。
 
 
 

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