どこにもいない「恋人」/「妹よ」
その1
「わが喫煙」に続いて配置されるのは
またしても「恋愛詩」の絶品「妹よ」です。
◇
妹よ
夜、うつくしい魂は涕(な)いて、
――かの女こそ正当(あたりき)なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
もう死んだっていいよう……というのであった。
湿った野原の黒い土、短い草の上を
夜風は吹いて、
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
うつくしい魂は涕くのであった。
夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
この詩には
タイトルである「妹」
その「妹」を3人称で示した「かの女」
「わたくし」
――が現われます。
「妹」と「かの女」は同一人物のはずですが
「かの女」が現われるのは
行頭と行末の「――」で挟まれてのことで
よく読めば
「わたくし」も同様に「――」に挟まれて現われます。
どちらも詩人の「地の声」を示す「――」の間に現われるのです。
◇
「かの女」も「わたくし」も現実の存在を示していますが
「かの女」である「妹」が涕く声には
この世のものではないような非在感があります。
それはこのような詩の構造が第一に生み出すものです。
いったい「妹」は
どこに存在するのだろうか、という眼差しで
読者は詩行を辿ることになります。
◇
すると
「妹」はどこにもいないのです。
声だけが聞えているのですが
声の出ている場所は見えません。
湿った野原の黒い土、
短い草の上を
夜風は吹いて、
……
そのただ中から
死んだっていいよう、死んだっていいよう
――という声が聞えるだけです。
まるで夜風が声そのもののようです。
その2
死んだっていいよう
――という声が聞えてきても姿は見えず
夜風が吹いているだけ。
夜の彼方(かなた)の
「み空」は高く、
吹く風はこまやか……。
◇
「み空」の下にいるのはわたくし(詩人)だけです。
そのために
わたくしには祈ることしかできないのです。
そばにいて
生きる執着を放棄しようとしている「妹」に
手を差し伸べることができない――。
「妹よ」の「よ」は呼びかけを表わしますが
相手はそこにいないのです。
◇
そこにいない女性(妹)は
長谷川泰子であるに違いありません。
死んだっていいよう、死んだっていいよう
――と「甘え」を含んだ声調で泣いているのは
泰子のはずです。
その泰子の「いいよう、いいよう」という声に応えて
詩人は兄になったのです。
「妹よ」と応じたのです。
◇
何かの折にそういう応答が
2人の間にあったのでしょう。
それは危機の時ではなく
幸福な時であったのでしょう。
「いも(妹)」と「せ(兄)」の間柄のような。
◇
あの時にも十分に応えられなかったではないか……。
いままた応えることができない……。
◇
風の声を聞きながら
「み空」に向かって
詩人は祈るほかにありません。
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