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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和6年8月5日

7月29日付け、長谷川泰子宛の葉書の次の手紙として
8月5日付け、安原喜弘宛の絵葉書が残されました。
 
「新全集」では「65A」という通し番号が付されてありますが
これは旧全集や安原喜弘編著「中原中也の手紙」の玉川大学出版部版(昭和54年)など
先行出版物以後に再考証された結果で
はじめは「昭和8年8月5日」発信とされていたものを
「昭和6年8月5日」発信と読み直されたためのものです。
 
通し番号を全部替える煩雑さを避けて「65A」とされました。
 
 
65A 8月5日 安原喜弘宛 絵葉書
   表 東京市外下目黒824(ママ) 安原喜弘様
      5日 中原
 
 無事帰着きました 病人があまり痩せているのでチトがっかりしました
 この分では多分、9月まで山口住みとなりそうです     失敬
 
(※「新かな」「洋数字」に直してあります。編者。)
 
 
病人とは、弟の恰三のこと。
東京の日本医科大で勉強していましたが、外傷性肋膜炎で帰省、療養中でした。
そこへ、詩人も帰省し、恰三を見舞ったのです。
約1か月、山口に滞在し、再び、詩人は上京します。

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