キャバレ・ヴェールにて
ひとくちメモ その1
「キャバレ・ヹールにて」Au Cabaret-Vertも
末尾に、「1870年10月」の日付を持ち
なお、タイトルに、「午後5時」の時刻を持つということで
記録(ドキュメント)の性格が強く打ち出された作品といえるかもしれません。
1870年10月は、
ランボー2度目の放浪(出奔)が決行された時期です。
◇
1870年 16歳
10月7日(推定) 二度目のシャルルヴィル脱出。フュメ、シャルルロア等を経て、ブリュッセルに行く。
10月20日 イザンバール、ドゥエに帰宅。アルチュールの自作の詩を清書している。
10月末 ランボー夫人の依頼に応じ、イザンバール、アルチュールを警察の手にゆだねる。
12月31日 プロシア軍、メジエールを砲撃、アルチュールの友人ドラエーの家も焼ける。
1871年 17歳
正月早々、メジエールとシャルルヴィル、プロシア軍に占領される。
1月26日 休戦条約締結。
2月25日 アルチュール、パリに滞在(3度目のシャルルヴィル脱出)。
※宇佐美斉訳「ランボー全詩集」巻末・略年譜より。洋数字に変換してあります。
◇
金子光晴は放浪といい、
堀口大学は出奔といい、
宇佐美斉はシャルルヴィル脱出といいますが、
1870年に2度、1871年に1度、
計3度の故郷脱出をランボーは試みました。
◇
「キャバレ・ヹールにて」は
2度目のシャルルヴィル脱出の時に作られたことが推定できますから、
キャバレーはブリュッセルを目指す途中で寄った
シャルルロアの店です。
◇
1930年代アメリカの片田舎で
ボニーとクライドが邂逅(かいこう)した
映画「俺たちに明日はない」の冒頭シーンが
浮かんできてしまってどうしようもないのですが
キャバレー・ヴェールは
さらに60年も前のベルギー南部の
田舎っぽさの残る町の居酒屋です。
ひとくちメモ その2
「キャバレ・ヹールにて」Au Cabaret-Vertの、
5、6日前から、私の靴は、路の小石にやられボロボロだった、
――という冒頭の1行で、
私は出掛けた、ポケットに手を突っ込んで。とはじまる
有名な「わが放浪」を思い出さずにはいられません。
こちらのほうが
「わが放浪」の後に作られたのか
1870年11月2日付けイザンバール宛書簡に
いざゆかん、帽子を被り、頭巾付きのマントをはおり、ポケットに両の拳を突っ込んで、さて出かけるといたしましょう
――などと、「わが放浪」中のとそっくりのフレーズを書き付けていることもあり、
前後は確定できないようです。
詩に流れる気分や空気から
両作品は同時期のものであることは
間違いないことでしょう。
◇
現代語化して
読んでおきます。
◇
キャバレー・ヴェールにて
午後の五時。
5、6日前から、私の靴は、路の小石にやられボロボロだった、
ぼくは、シャルルロワに、帰って来ていた。
キャバレー・ヴェールに入りバターサンドイッチとハムサンドイッチをぼくは頼んだ、
ハムの方は少し冷え過ぎていた。
よい気持で、緑のテーブルの下に脚を投げ出して、
ぼくは壁掛布(かべかけ)の、とても素朴な絵を眺めていた。
そこへ眼の生き生きとした、乳房のでっかい娘が、
――とはいえ決していやらしくない!――
ニコニコしながら、バターサンドイッチと、
ハムサンドイッチを派手な色彩(いろどり)の
皿に盛って運んで来たのだ。
桃と白の入り混じったハムはニンニクのたまの香を放ち、
彼女はコップに、午後の陽をうけて
金色に輝くビールを注いだ。
〔一八七〇、十月〕
◇
北欧の午後5時――。
歩き疲れたからだを
緑のテーブルや
壁に掛かった布の絵で癒した上に
バター・サンドとハム・サンドを気前よく注文すれば、
豊満なバストをゆさゆさ揺らしてベルギー娘が
なみなみと注ぐ金色のビール!
青年ランボーが
彷徨の合間に見つけた
束の間の陶酔。
満足げな姿が浮かんできます。
◇
「金色に輝くビール」といえば、
冷たいコップを燃ゆる手に持ち
夏のゆうべはビールを飲もう
どうせ浮世はサイオウが馬
チャッチャつぎませコップにビール
(「青木三造」)
――という中原中也の創作詩が思い出されますが、
両作品の関係は明らかではありません。
詩が作られた状況がまったく異なりますから
まったく関係ないのかもしれませんが
どんな場合にも
のどの乾きをうるおすビールは
瞬間であれ、金の幸福をもたらすことに変わりはなく
どちらにも同じような幸福の顔が見えます。
*
キャバレー・ヴェールにて
午後の五時。
五六日前から、私の靴は、路の小石にいたんでいた、
私は、シャルルロワに、帰って来ていた。
キャバレ・ヴェールでバターサンドイッチと、ハムサンドイッチを私は取った、
ハムの方は少し冷え過ぎていた。
好い気持で、緑のテーブルの、下に脚を投出して、
私は壁掛布(かべかけ)の、いとも粗朴な絵を眺めてた。
そこへ眼の活々とした、乳房の大きく発達した娘(こ)が、
――とはいえ決していやらしくない!――
にこにこしながら、バターサンドイッチと、
ハムサンドイッチを色彩(いろどり)のある
皿に盛って運んで来たのだ。
桃と白とのこもごものハムは韮の球根(たま)の香放ち、
彼女はコップに、午後の陽をうけて
金と輝くビールを注いだ。
〔一八七〇、十月〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」とし、「新字・新かな」で表記しました。また、ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
◇
<新字・旧かな版>
キャバレ・ヹールにて
午後の五時。
五六日前から、私の靴は、路の小石にいたんでゐた、
私は、シャルルロワに、帰つて来てゐた。
キャバレ・ヹールでバタサンドヰッチと、ハムサンドヰッチを私は取つた、
ハムの方は少し冷え過ぎてゐた。
好い気持で、緑のテーブルの、下に脚を投出して、
私は壁掛布(かべかけ)の、いとも粗朴な絵を眺めてた。
そこへ眼の活々とした、乳房の大きく発達した娘(こ)が、
――とはいへ決していやらしくない!――
にこにこしながら、バタサンドヰッチと、
ハムサンドヰッチを色彩(いろどり)のある
皿に盛つて運んで来たのだ。
桃と白とのこもごものハムは韮の球根(たま)の香放ち、
彼女はコップに、午後の陽をうけて
金と輝くビールを注いだ。
〔一八七〇、十月〕
※底本を角川書店「新編中原中也全集」としました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に表示しました。編者。
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