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別世界の「恋人」/「わが喫煙」

その1
 
「盲目の秋」の暗黒から
「わが喫煙」の「どよもし(喧騒)」へ――。
 
「盲目の秋」で無限の前に腕を振っていた詩人は
今、都会の雑踏の中にあります。
 
「盲目の秋」で死の淵を覗いた詩人はついに生還し
「恋人」との日常時間の中にいます。
 
時計が逆に回ったのでしょうか?
 
 
わが喫煙
 
おまえのその、白い二本の脛(すね)が、
  夕暮(ゆうぐれ)、港の町の寒い夕暮、
にょきにょきと、ペエヴの上を歩むのだ。
  店々に灯(ひ)がついて、灯がついて、
私がそれをみながら歩いていると、
  おまえが声をかけるのだ、
どっかにはいって憩(やす)みましょうよと。
 
そこで私は、橋や荷足を見残しながら、
  レストオランに這入(はい)るのだ――
わんわんいう喧騒(どよもし)、むっとするスチーム、
  さても此処(ここ)は別世界。
そこで私は、時宜(じぎ)にも合わないおまえの陽気な顔を眺め、
  かなしく煙草(たばこ)を吹かすのだ、
一服(いっぷく)、一服、吹かすのだ……
 
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
 
 
この詩は昔のある日の
単なる回想というものではないでしょう。
 
「無限」を前にして
「こちら側」に踏み止まって
そこで腕を振って
……
 
生還して
幾日かが経過して
――という経験の後の回想です。
 
回想といえば回想ですが
この経験の後の回想であるのと
この経験を通過しない回想とは
まったく異なる回想です。
 
 
詩集「山羊の歌」後半部には
「盲目の秋」以下に18篇が連続して
「白痴群」に発表された作品が並びます。
 
「少年時」9篇のうち8篇
「みちこ」5篇のすべて
「秋」5篇のすべて
合計18篇が配置されていますが
これらは昭和4年(1929年)からおよそ1年隔月発行され
中原中也が傾注した同人誌「白痴群」に発表されました。
 
 
「わが喫煙」は「盲目の秋」を含む「落穂集」全8篇として
昭和5年(1930年)4月発行の「白痴群」第6号に掲載されました。
第6号で「白痴群」は廃刊になりました。
 
その2
 
第1番に「少年時」
第2番に「盲目の秋」
第3番に「わが喫煙」
――と詩集「山羊の歌」「少年時」の章に配置された順序に
詩人が意図した思い(編集方針)は明らかにされています。
 
「盲目の秋」も「わが喫煙」も
廃刊が決定的であり事実そうなった「白痴群」第6号に発表されました。
 
二つの詩は
どちらが先に制作されたのか、ということを研究するのは無意味ではありませんが
自選詩集である「山羊の歌」は
「盲目の秋」の次に「わが喫煙」を配置したのですから
編集意図は明確で
それに沿って読むのが一番です。
 
 
「わが喫煙」の
わんわんいうどよもし(喧騒)も、むっとするスチームも
無限の前で腕を振っていた時よりも後の
まさしく「別世界」を歌います。
 
 
わが喫煙
 
おまえのその、白い二本の脛(すね)が、
  夕暮(ゆうぐれ)、港の町の寒い夕暮、
にょきにょきと、ペエヴの上を歩むのだ。
  店々に灯(ひ)がついて、灯がついて、
私がそれをみながら歩いていると、
  おまえが声をかけるのだ、
どっかにはいって憩(やす)みましょうよと。
 
そこで私は、橋や荷足を見残しながら、
  レストオランに這入(はい)るのだ――
わんわんいう喧騒(どよもし)、むっとするスチーム、
  さても此処(ここ)は別世界。
そこで私は、時宜(じぎ)にも合わないおまえの陽気な顔を眺め、
  かなしく煙草(たばこ)を吹かすのだ、
一服(いっぷく)、一服、吹かすのだ……
 
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
 
 
この「別世界」には
二重三重の意味が重ねられています。
 
一つは
無限の前で腕を振っていた時間からの「別世界」
一つは
「恋人」が自分と異なる方向を向いているという「別世界」
……
 
 
この「別世界」はしかし
「恋人」との幸福な時間であることに変わりありません。
 
かなしく煙草を吹かす私(詩人)は
「恋人」を憎んでいるというよりも
「恋人」の一挙手一投足を見つめ見直しているのです。
 
くさくさと煙草を吹かしながら
「恋人」を発見しているのです。
 
 
橋や荷足とあるのは
東京湾の風景でしょうか
それとも横浜あたりを泰子とデートしたことがあったのでしょうか。
 
かつて確かにあった「恋」の中に
いま詩人は息づいています。
 
 
「わが喫煙」は
いつも愛し合っているばかりではない
自然な形の「恋」の日常が現在形で歌われています。
 
確かに存在した過去が
現在形で歌われて
いっそうビビッドになっているのです。
 
 
「白痴群」第6号は
最終号となったもので
全64ページのうちの38ページを
中原中也の作品が占めました。
 
「落穂集」のタイトルで
「盲目の秋」
「更くる夜」
「わが喫煙」
「汚れつちまつた悲しみに……」
「妹よ」
「つみびとの歌」
「無題」
「失せし希望」の8篇
 
「生ひ立ちの歌」のタイトルで
「生ひ立ちの歌」
「夜更け」
「雪の宵」
「或る女の子」
「時こそ今は……」の5篇
 
このほかに
「山羊の歌」に収録しなかった「夜更け」と「或る女の子」の2篇、
また評論「詩に関する話」が発表されました。
 
 

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