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ランボー<5>小林秀雄の「人生斫断家アルチュル・ランボオ」

「事件」は
フランスの片田舎シャルルビルの青年アルチュール・ランボーが
パリで名声を博する詩人ポール・ベルレーヌに送った
1通の手紙、
その中に同封されていた一篇の詩
「酔いどれ船」に端を発したのですが
この「事件」のニュースそのものはやがて
世界各地へ飛び火し
日本では
大正3年、福島県は会津若松出身の青年詩人・柳沢健とその周辺
そして
中央文壇、中央翻訳界のリーダー・上田敏や
上田敏の後輩である堀口大学、山内義雄ら翻訳の専門家らへ
または東京帝大フランス文学科の教官、辰野隆や鈴木信太郎へ
その授業を聴講するあまたの学生へと引火し
その一例として
東京神田の古本街をふらついていた東大生、小林秀雄に火傷(やけど)を負わし
その友人である学生詩人・富永太郎が遊んでいる旅先、京都へショートし
富永太郎が京都で知ったばかりのダダイスト詩人、中原中也へと延焼
……
と、以上の他の軌跡
文壇、詩壇、論壇のプロやフランス文学者らを含め
さまざまなルートを描いて
じわじわと燃え広がって
こんどはそれぞれの場所で
新たな「事件」を起こしていったのでした。
 
小林秀雄が
東京帝大仏文科に在学中の
大正15年(1926年)10月に発表した
「人生斫断家アルチュル・ランボオ」は
ランボーの散文詩「地獄の季節」を
 
この作品後、彼が若し一行でも書く事をしたらこの作は諒解出来ないものとなると言う
事実にある事を忘れてはならない
 
と読み
この読みを証明するために
ランボーの略歴をなぞり
ボードレールとの違いや
ベルレーヌとの違いに触れ
「酩酊船」を解読し
「最高塔の歌」を解読し
その結果を
「人生斫断家」という切り口でジャッジした
ランボーに関する初の評論でした。
 
「佛蘭西文學研究」(東京帝國大學佛文學研究室編輯、白水社)に初出になった
この「人生斫断家アルチュル・ランボオ」は後に
小林秀雄の卒業論文にもなりますが
「日本のランボー観に新しい方向を与えた」
という評価(大岡昇平)を得るような
傑出したランボー論でありつづけ
2011年現在でも「古典」のような位置にあります。
 
中に
「酩酊船」の小林自身の訳出があり
解読がありますから
これをひもといておくことにします。
 
 
(つづく)
 
*
酩酊船
 
われ、非情の河より河を下りしが、
船曳(ふなひき)の綱のいざなひ、いつか覚えず。
罵り騒ぐ蛮人は、船曳等(やつら)を標的(まと)に引つ捕へ、
彩色(いろ)とりどりに立ち並ぶ、杭(くひ)に赤裸(はだか)に釘付けぬ。
 
船員も船具も今は何かせん。
ゆけ、フラマンの小麦船、イギリスの綿船(わたぶね)よ。
わが船曳等(ふなひきら)の去りてより、騒擾(さわぎ)の声もはやあらず、
流れ流れて思ふまゝ、われは下りき。
 
怒り高鳴る潮騒(しおさゐ)を、小児等(こどもら)の脳髄ほどにもきゝ判(わ)けず、
われ流浪(さすら)ひしはいつの冬(ひ)か。
纜(ともづな)ときし半島も、この揚々(やうやう)たる混沌を、
忍びしためしはなしと聞く。
 
嵐来て、わが航海の眼醒めを祝ひてより、
人呼んで、永劫の犠牲者(にへ)の運搬者(はこびて)といふ波の上、
身はコルクの栓よりなほ軽く、跳り狂ひて艫(とも)の灯の、
惚(ほほ)けたる眼を顧みず、われ漂流ひて幾夜へし。
 
小児等(こどもら)の囓(かぶ)りつく酸き林檎の果(にく)よりなほ甘く、
緑の海水(みず)は樅材(もみ)の船身(ふないた)に滲み通り
洗ひしものは安酒の汚点(しみ)、反吐(へど)の汚点(しみ)、
船は流れぬ、錨も失せぬ。
 
さて、われらはこの日より、星を注ぎて乳汁色(ちちいろ)の、
海原の詩(うた)に浴しつゝ、緑なす瑠璃を啖(くら)ひ行けば、
こゝ吃水線(きっすい)は恍惚として蒼ぐもり、
折から水死人のたゞ一人、想ひに沈み降(くだ)り行く。
 
見よ、その蒼き色、忽然として色を染め、
金紅色(きんこうしょく)の日の下(もと)に、われを忘れし揺蕩(たゆたい)は、
酒清よりもなほ強く、汝(なれ)が立琴(りいる)も歌ひえぬ。
愛執の苦き赤痣(あかあざ)を醸(かも)すなり。
 
われは知る、稲妻に裂かるゝ空を、龍巻を、
また寄せ返す波頭(なみ)、走る潮流(みず)、夕(ゆうべ)送れば、
曙光(あけぼの)は、むれ立つ鳩かと湧きたちて、
時に、この眼の視しものを、他人(ひと)は夢かと惑ふらむ。
 
不可思議の怖れに染みし落日に、
紫にたなびく凝結(こごり)赫(かがよ)うて、
沖津波、襞(ひだ)を顫(ふる)はせ揺れ動き、
古代の劇の俳優も、かくやとわれは眺めけり。
 
まばゆきばかり雪の降り、夜空の色は緑さし、
海を離れてゆらゆらと、昇る接吻(くちづけ)も眼のあたり。
未聞(みもん)の生気(せいき)はたゞよひて、歌ふが如き燐光の
青色(あお)に黄色に眼醒むるを、われはまた夢みたり。
 
愚なり、われは幾月もまた幾月も、
ヒステリィの牛舎さながらの大波(たいは)暗礁を襲ふに従ひぬ。
知らず、若しマリヤそのまばゆき御足(みあし)のあらば、
いきだはしき大洋に大洋に猿轡(さるぐつわ)かませ給ふを。
 
船は衝突(あた)りぬ、君知るや、世に不思議なるフロリダ洲。
人間(ひと)の皮膚(はだへ)の豹の眼は、叢(むら)なす花に入り交り、
海路(うみじ)はるかの沖津方(おきつかた)、青緑色の羊群に、
太靱(たづな)の如き虹を掛く。
 
われは見ぬ、沼々は醱酵し、巨(おおい)なる魚梁(やな)のあるを。
燈心草(とうしんぐさ)は生(おい)茂り、腐爛(ふらん)せるレヴィンヤタンの一眷族(け
んぞく)。
大凪(おおなぎ)のうちに水は崩れ逆(さか)巻きて、
遠方(おちかた)は深淵(ふち)か滝津瀬か。
 
氷の河に白銀(しらがね)の太陽(ひ)、真珠の波や熾(おき)の空、
褐色(かちいろ)の入江の底深く、目も当てられぬ坐洲(ざす)のさま。
蚜虫(くさむし)に食はれたゞれたる大蛇(おろち)のあまた群がりて、
黒き香をあげ、捩(ね)じ曲る樹木よりどうと墜(お)つるなり。
 
小児等(こどもら)のあらば見せまほし、
黄金(こがね)の魚(さかな)、歌うたふ魚、青海原に浮ぶ鯛、
水泡(みなわ)がくれた花々、わが漂流を賞(ほ)めそやし、
時に、得も言われぬ風ありて、われに羽(はね)を貸しぬ。
 
また、ある時は殉教者、地極(ちきょく)に地帯(ちたい)に飽きはてゝ
海すゝり泣く声きけば、僅か慰む千鳥足。
黄(き)の吸角(すひだま)ある影の花、海わが方(かた)にかざす時、
われは、膝つく女の如く動かざりき。
 
わが船舷(ふなべり)をおほひて、半島は金褐色(きんかっしょく)の眼をむきて、
哮(たけ)り、嘲(あざけ)り、海鳥(かいてう)の争ひと糞(くそ)とを打ち振ふ。
せん術(すべ)なくて漂へば、脆弱(もろ)き鎖を横切りて、
また水死者の幾人(いくたり)か、逆様(さかしま)に眠り降(くだ)りゆきぬ。
 
されど、われ船となりて浦々の乱れし髪に踏み迷ひ、
嵐来て島棲まぬ気層(そら)に投げられては、
海防艦(もにとる)もハンザの帆走船(ふね)も、
水に酔(ゑ)ひたるわが屍(むくろ)、いかで救はむ。
 
思ふがまゝに煙吹き、菫(すみれ)の色の靄(もや)にのり、
赤壁(あかかべ)の空に穴を穿(うが)てるわれなりき。
詩人奴(め)が指を銜(くは)へる砂糖菓子、
太陽の瘡(かさ)、青空の鼻汁(はな)を何かせん。
 
身は狂ほしき板子(いたご)かな。
閃電(ひばな)を散らす衛星(ほし)に染み、黒き海馬(かいば)の供廻(ともまは)り。
それ、革命の七月は、丸太棒(まるたんぼう)の一とたゝき、
燃ゆる漏斗(ろうと)の形せる、紺青の空をぶちのめす。
 
五十海里の彼方(かなた)にて、ベヘモと巨盤渦(うず)の交尾する、
怨嗟(えんさ)のうめきに胸(とむね)つき、慄へしわれぞ。
永劫に蒼ざめし嗜眠(ねむり)を紡(つむ)ぐはわれぞ。
あゝ、昔ながらの胸墻(かべ)に拠(よ)る、欧羅巴(ヨーロッパ)を惜しむはわれか。
 
見ずや、天体の群鳥を、
島嶼(しまじま)、その錯乱の天を、渡海者(たびびと)に開放(はな)てるを。
そも、この底無しの夜(よ)を、汝(なれ)は眠りて流れしか。
あゝ、金色(こんじき)の島の幾百万、当来の生気(せいき)はいづこにありや。
 
想へば、よく泣きたるわれかな。来る曙は胸を抉(えぐ)り、
月はむごたらし、陽(ひ)は苦(にが)し。
切なる恋に酔ひしれし、わが心は痺れたり。
龍骨よ、砕けよ、あゝ、われは海に死なむ。
 
今、われ欧洲の水を望むとも、
はや冷え冷えと黒き池、吹く風薫る夕まぐれ、
悲しみ余り、をさな児が、蹲(うずくま)つてはその上に、
五月の蝶にさながらの、笹舟を放つ池かな。
 
あゝ波よ、ひとたび汝(なれ)が倦怠に浴しては、
綿船(わたぶね)の水脈(みを)ひく跡を、奪ひもならず、
標旗(はた)の焰の驕慢を、横切(よぎ)りもならず、
船橋(せんけう)の恐ろしき眼をかいくゞり、泳ぎもならじ。
 
(小林秀雄「考えるヒント4 ランボオ・中原中也」所収「ランボオ詩抄」文春文庫より)
※原作のルビは、( )内に記しました。編者。
 
 
 
 
 
 
 
 

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