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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和8年1月12日

昭和7年(1932年)の安原喜弘宛の手紙は
10月24日付け「手紙51」(新全集は「113」)が最後のものです。
 
安原宛で残っている次の手紙は
昭和8年1月12日付け「手紙52」になりますから
この間に「動乱」はピークに達し
動乱の最中(さなか)であったからこそ
手紙を書くチャンスはなかったとも考えられ
次の「手紙53」(新全集は「116」)の「カーニバルをやっていた男」につながって行きます。
 
 
昭和8年。
4月29日に満26歳になる年です。
 
1月、三原山で実践女学校の生徒が自殺。
2月、小林多喜二が拷問死。
3月、日本、国際連盟を脱退。
4月、満州事変。
 
時代は閉塞し
戦争への道をたどる中、
 
5月、季刊「四季」創刊。
9月、宮沢賢治死去。
10月、「文学界」創刊。
 
詩人が関わりのある動きが
幾つか周辺でも起こりました。
 
年末には
突如(といった感じで)、上野孝子と結婚します。
 
「ランボオ詩集<学校時代の詩>」を刊行するのも年末です。
 
 
詩人の最も近辺にいた友人の一人、安原へ
この年1番の手紙は1月12日の葉書で、
今で言えば年賀状ですが
この頃、年賀状交換の風習は一般に浸透していません。
 
帰省しないで
東京に留(とど)まったには
それなりの理由があったはずで
それが「動乱」と無関係なわけがありません。
 
 
「手紙52 昭和8年1月12日 (はがき)」(新全集では「115」)
 
郵便で御免下さい、怠けています。益々なまけたくあります。何分、本で覚えたことだって僅かですが、実際で覚えたことは尚更僅かですので、こうして怠けていることが十分勉強となるのです。でもまあ学校の出席だけはすることにしています 先日の煎薬は仙女湯と申し、下谷区谷中初音町4丁目142皇栄堂で売っております。
御退屈の時はお呼び下され度、14日は桜の園を見に行きます。(荏原3、268枡札)
 
 
それにもかかわらず穏やかな気分が漂うのは
正月だからでしょうか。
書かれた内容のせいでしょうか。

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