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中原中也の草々花々(くさぐさはなばな)8「草稿詩篇(1933年―1936年)」ほか

中原中也の未発表詩篇に現われる「花や草」(植物)を
ピックアップしていきます。
 
「草稿詩篇(1933年―1936年)」には65篇
「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」には5篇
「草稿詩篇(1937年)」には6篇の詩があります。
 
晩年の詩を含む、これらの詩篇を一気に読んでいきます。
 
 
<草稿詩篇(1933年―1936年)>
 
(とにもかくにも春である)
 とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポンである。花曇りの空は、その上にひろがって、何もかも、睡(ねむ)がっている。誰ももう、悩むことには馴れたので、黙って春を迎えている。おしろいの塗り方の拙(まず)い女も、クリーニングしないで仕舞っておいた春外套の男も、黙って春を迎え、春が春の方で勝手にやって来て、春が勝手に過ぎゆくのなら、桜よ咲け、陽も照れと、胃の悪いような口付をして、吊帯にぶる下っている。
 
めずらかの喜びと新鮮さのよろこびと、
まるで林檎(りんご)の一と山ででもあるように、
 
闇に梟(ふくろう)が鳴くということも
西洋人がパセリを食べ、朝鮮人がにんにくを食い
我々が葱(ねぎ)を常食とすることも、
みんなおんなしようなことなんだ
 
落雁(らくがん)を法事の引物(ひきもの)にするという習慣をうべない、権柄的(けんぺいてき)気六ヶ敷(きむずかし)さを、去(い)にし秋の校庭に揺れていたコスモスのように思い出し、
 
風は揺れ、茅(かや)はゆすれ、闇は、土は、いじらしくも怨(うら)めしいものであった。
 
(宵の銀座は花束捧げ)
宵(よい)の銀座は花束捧(ささ)げ、
 
「怠 惰」
目をつむって蝉が聞いていたい!――森の方……
 
「蝉」
松林を透いて空が見える
うつらうつらと僕はする。
 
藪蔭(やぶかげ)の砂土帯の小さな墓場、
――そこにも蝉は鳴いているだろ
 
「夏」
木々の葉はギラギラしていた。
 
「燃える血」
動かぬ雲も無花果(いちじく)の葉も、
僕をどうしようというのだろう?
 
「京浜街道にて」
萎びたコスモスに、鹿革の手袋をはめ、それを、霊柩車(れいきゅうしゃ)に入れて、街道を往く。
   風と陽は、まざらない……
霊柩車、落とす日蔭に、落ちる涙はこごめばな。
           (一九三三・九・二二)
 
「いちじくの葉」
夏の午前よ、いちじくの葉よ、
葉は、乾いている、ねむげな色をして
風が吹くと揺れている、
よわい枝をもっている……
僕は睡(ねむ)ろうか……
電線は空を走る
その電線からのように遠く蝉(せみ)は鳴いている
葉は乾いている、
風が吹いてくると揺れている
葉は葉で揺れ、枝としても揺れている
 
(小川が青く光っているのは)
山の端(は)は、あの永遠の目(ま)ばたきは、
却(かえっ)て一本(ひともと)の草花に語っていた。
 
一本の草花は、広い畑の中に、
咲いていた。――葡萄畑(ぶどうばたけ)の、
あの唇(くちびる)黒い老婆に眺めいらるるままに。
 
「朝」
雀が鳴いている
朝日が照っている
私は椿(つばき)の葉を想う
 
雀が鳴いている
起きよという
だがそんなに直(す)ぐは起きられようか
私は潅木林(かんぼくばやし)の中を
走り廻(まわ)る夢をみていたんだ
 
恋人よ、親達に距(へだ)てられた私の恋人、
君はどう思うか……
僕は今でも君を懐しい、懐しいものに思う
 
雀が鳴いている
朝日が照っている
私は椿の葉を想う
 
雀が鳴いている
起きよという
だがそんなに直ぐは起きられようか
私は潅木林の中を
走り廻る夢をみていたんだ
※「潅木林の中を走り廻る夢をみていた」詩人が雀の鳴き声で目を覚ます。すると朝日が照っている。夢の中で見た潅木の林の残像か、椿の葉の分厚い緑が頭の中に結ばれます。潅木と椿が同じものか、潅木の林が椿を連想させたのか、二つの植物のイメージが絡み合います。
 
「夜明け」
苔(こけ)は蔭(かげ)の方から、案外に明るい顔をしているだろう。
 
「朝」
お葱(ねぎ)が欲しいと思いました
 
「狂気の手紙」
陳述此度(のぶればこたび)は気がフーッと致し
キンポーゲとこそ相成候(あいなりそうろう)
野辺(のべ)の草穂と春の空
何仔細(しさい)あるわけにも無之(これなく)候処
タンポポや、煙の族(やから)とは相成候間
一筆御知らせ申上候
 
お葱(ねぎ)や塩のことにても相当お話し申上候
※「キンポーゲ」は毒草です。そのことを知っているかいないかで、この詩の読みは断然異なってきます。
 
「咏嘆調」
それは、夜と、湿気と、炬火(たいまつ)と、掻き傷と、
野と草と、遠いい森の灯のように、
 
それはボロ麻や、腓(はぎ)に吹く、夕べの風の族であろうか?
 
「秋岸清凉居士」
消えていったのは、
あれはあやめの花じゃろか?
いいえいいえ、消えていったは、
あれはなんとかいう花の紫の莟(つぼ)みであったじゃろ
冬の来る夜に、省線の
遠音とともに消えていったは
あれはなんとかいう花の紫の莟みであったじゃろ
     ※
とある侘(わ)びしい踏切のほとり
草は生え、すすきは伸びて
 
風は繁みをさやがせもせず、
冥府(あのよ)の温風(ぬるかぜ)さながらに
繁みの前を素通りしました
繁みの葉ッパの一枚々々
 
虫は草葉の下で鳴き、
草葉くぐって私に聞こえ、
 
死んで行ったは、
――あれはあやめの花じゃろか
いいえいいえ消えて行ったは、
あれはなんとかいう花の紫の莟じゃろ
 
あれはなんとかいう花の紫の莟か知れず
 
草々も虫の音も焼木杭も月もレールも、
いつの日か手の掌(ひら)で揉んだ紫の朝顔の花の様に
※弟・恰三の死を歌い、「花と草=植物」の登場は多彩といえます。
 
「別 離」
芝庭のことも、思い出します
 薄い陽の、物音のない昼下り
あの日、栗を食べたことも、思い出します
 
忘れがたない、虹と花、
  忘れがたない、虹と花
  虹と花、虹と花
 
向うに、水車が、見えています、
  苔むした、小屋の傍(そば)、
 
「誘蛾燈詠歌」
酒をのみ、何やらかなしく、これこのようにぬけぬけと
まだ生きておりまして、今宵小川に映る月しだれ柳や
 
平の忠度(ただのり)は桜の木の下に駒をとめました
 
花や今宵の主(あるじ)ならまし
 
(なんにも書かなかったら)
何をくよくよ、
川端やなぎ、だ……
土手の柳を、
見て暮らせ、よだ
 
開いて、いるのは、
あれは、花かよ?
何の、花か、よ?
薔薇(ばら)の、花じゃろ。
 
ああ、さば、薔薇(そうび)よ、
物を、云ってよ、
 
(一本の藁は畦の枯草の間に挟って)
一本の藁(わら)は畦(あぜ)の枯草の間に挟(ささ)って
ひねもす陽を浴びぬくもっていた
 
(おまえが花のように)
おまえが花のように
淡鼠(うすねず)の絹の靴下穿(は)いた花のように
松竝木(まつなみき)の開け放たれた道をとおって
 
草も今でも生えていようか
 
「月夜とポプラ」
木(こ)の下かげには幽霊がいる
 
「僕と吹雪」
自然は、僕という貝に、
花吹雪(はなふぶ)きを、激しく吹きつけた。
 
(秋が来た)
秋が来た。
また公園の竝木路(なみきみち)は、
すっかり落葉で蔽(おお)われて、
 
「雲った秋」
十一月の風に吹かれている、無花果(いちじく)の葉かなんかのようだ、
棄てられた犬のようだとて。
 
蒼い顔して、無花果の葉のように風に吹かれて、――冷たい午後だった――
しょんぼりとして、犬のように捨てられていたと。
 
猫は空地の雑草の陰で、
多分は石ころを足に感じ
その冷たさを足に感じ、
霧の降る夜を鳴いていた――
 
クサキモ、ネムル、ウシミツドキデス
 
「夜半の嵐」
松吹く風よ、寒い夜(よ)の
われや憂き世にながらえて
 
松吹く風よ、寒い夜の
汝(なれ)より悲しきものはなし。
 
「雲」
  女の子なぞというものは
  由来桜の花弁(はなびら)のように、
  欣(よろこん)んで散りゆくものだ
 
ああ、枯草を背に敷いて
やんわりぬくもっていることは
空の青が、少しく冷たくみえることは
煙草を喫うなぞということは
世界的幸福である
※「世界的幸福」というのは「最高の幸福」=「至福」のことであり、それを表現するときに「枯草」が出てくるのです。枯れ草の上で煙草を吸うのが至福なのです。
 
「一夜分の歴史」
梅の樹に溜った雨滴(しずく)は、風が襲(おそ)うと、
他の樹々のよりも荒っぽい音で、
庭土の上に落ちていました。
 
梅の樹に溜った雨滴(しずく)は、他の樹々に溜ったのよりも、
風が吹くたび、荒っぽい音を立てて落ちていました。
 
「断 片」
耳ゴーと鳴って、柚子酸(ゆずす)ッぱいのです
 
「暗い公園」
雨を含んだ暗い空の中に
大きいポプラは聳(そそ)り立ち、
その天頂(てっぺん)は殆(ほと)んど空に消え入っていた。
 
ポプラは暗い空に聳り立ち、
その黒々と見える葉は風にハタハタと鳴っていた。
 
65篇中の29篇に「花・草」が出てきました。
 
<療養日誌・千葉寺雑記(1937年)>
 
「道修山夜曲」
星の降るよな夜(よる)でした
松の林のその中に、
僕は蹲(しゃが)んでおりました。
 
松には今夜風もなく、
土はジットリ湿ってる。
遠く近くの笹の葉も、
しずもりかえっているばかり。
 
(短歌五首)
 
ゆうべゆうべ我が家恋しくおもゆなり
 草葉ゆすりて木枯の吹く
 
 
5篇中の2篇に植物は登場しました。
 
<草稿詩篇(1937年)>
 
「春と恋人」
私にかまわず実ってた
新しい桃があったのだ……
 
以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……
 
「少女と雨」
少女がいま校庭の隅に佇(たたず)んだのは
其処(そこ)は花畑があって菖蒲(しょうぶ)の花が咲いてるからです
 
菖蒲の花は雨に打たれて
音楽室から来るオルガンの 音を聞いてはいませんでした
 
しとしとと雨はあとからあとから降って
花も葉も畑の土ももう諦めきっています
 
その有様をジツと見てると
なんとも不思議な気がして来ます
 
山も校舎も空の下(もと)に
やがてしずかな回転をはじめ
 
花畑を除く一切のものは
みんなとっくに終ってしまった 夢のような気がしてきます
※全文を掲載しました。雨の中の花畑を見ていると、その花畑以外の外界が終わってしまった夢のような「残骸(ざんがい)のようなもの」に思えてきたというようなことでしょうか。「白日夢」の状態に詩人は入っていたのです。
 
「夏と悲運」
夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。
 
 
6篇中の3篇に植物が出てきました。
 
 
 

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