「一筆啓上、安原喜弘様」昭和9年11月15日
また2週間が経ちました。
「山羊の歌」の行方を追うために
「手紙83 11月15日 (封書)」(新全集は「157」)の
後半部を先に読みます。
◇
僕の詩集、その後建設社の伊藤さんより話があり、それよりも文圃堂にしたいと云いましたらそうなり 却々(なかなか)うまく運びそうでもありますが、また流れてしまいそうな風でもあります
早く御知らせすべき処 そんな風で、おまけに詩集ではもうクサクサしていますから、よっぽどはっきりしてからでないとお知らせしたくなかったのでした
隆章閣からは 少部数の詩集を出すことは 一寸似合わない気がしているのです 何しろ装幀者旅行中でまだ海のものとも山のものとも行きませんが、なるべく骨惜しみしないで且つは強引に今度はどうにか片付けたいと思っています
気がむいたら新宿にやって来ませんか 新宿なら行きつけの玉屋もあります 此節は20ですから、あまり御迷惑もかけないですむでしょう
御健康祈ります 活気があることがどうも一番いいようです 今日僕は日光浴をしました
15日 では又
中也
(※「中原中也の手紙」より。「行アキ」を加えてあります。編者。)
◇
「文圃堂」の名が現われ
この出版社が「山羊の歌」の出版元になったことはよく知られていますから
これで「出版間近」と感じる読者は少なくないことでしょう。
先の手紙にコメントした安原も
すでに
隆章閣への出版交渉が頓挫したことを読者に伝えています。
この手紙の詩人は
文圃堂からの出版に「脈」を感じつつも
ふたたび頓挫するかもしれない不安を述べますが
安原には進行を初めて明かした様子です。
◇
もっと早く知らせなくてはいけなかったんだけど
また流れてしまいそうで
(そうしなかったんだ)
よっぽどはっきりしてからでないと
知らせたくなかったんだよ
それに、隆章閣から少部数出版っていうのも
ちょっと似つかわしくない気もするし。
何しろ、装幀者の二ちゃんが旅行中だし
海のものとも山のものともわからない状態でもあるけどね
でも骨惜しみしないで、そして強引に
今度こそはどうにか片付けたいと思うんだ
――と出版交渉を決着する姿勢を表明したのです。
◇
この手紙を書いた直後に
詩人は、文圃堂社主・野々上慶一と直接交渉し
「山羊の歌」の出版を自分で決めたようです。
装幀者である青山二郎が旅行中のため
急遽、画家(詩人)である高村光太郎へ依頼、
トントントンと「山羊の歌」は刊行へ急展開します。
◇
前半部をここで読んでおきましょう。
◇
ごぶさたしています 御変りありませんか 御訪ねしようと時々思いますが 又合うとお酒を沢山飲み始めそうで大変重い気持になります 会ったら酒となるとは、どうも我々の時代の不文律でなんとも悲しい気持がします 此間から2度ばかり(1度は朗読会、1度は出版記念会)に出ましたが、一生懸命飲まないようにしていながらとうとうは一番沢山飲んでしまいました
何しろ来年2月迄 毎日20行ずつランボオを訳さねばならぬのですからたまりません 完全に事務です 尤も詩も童話も書いています
「鷭」はつぶれて気の毒です 広告がまずかったのです発売所を名前だけでも大きい所のを借り手やればよかったのです 一つには余りに身近かの人の物が多過ぎたのです 気の毒といっては妙ですが、なんだか気の毒でなりません
◇
酒を飲むことが「重い気持」とは
詩人にしては珍しく「弱気」な感じですが
これは「ランボオ全集」のための翻訳の「仕事」が入ってきて
身辺が急激に変化していることの証明でしょう。
「弱気」というよりも
「充実」を示すものといえそうです。
朗読会
出版記念会
ランボウの訳
詩も童話も
「鷭」
……
これらの話題が
詩人としての「充実感」を滲(にじ)ませています。
手紙の後半部には
玉屋=ビリヤードへの誘いもありました。
◇
朗読会は、
「歴程」主催で、麻布・龍土軒で開かれたもの。
このとき、草野心平と出会いました。
この朗読会で
詩人が「サーカス」を朗読したことは
いまや伝説となっています。
出版記念会は
「詩精神」主催の「1934年詩集」の出版記念会のこと。
新宿・白十字で行われました。
(「新編中原中也全集 第5巻 解題篇)
◇
親友安原が
これらの詩人の状況の変化を喜ばなかったわけがありません。
が……。
会えば酒になる習慣を
悲しいと書かれれば
その嬉しさは複雑であったことが思われます。
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