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中原中也が訳したランボー以外のランボー

中原中也が訳したランボーの著作は、
これまで見てきたように
「ランボオ詩集(学校時代の詩)」や
「ランボオ詩集」としてまとめられた韻文(詩)、
「ランボオ詩集」に収録されなかった韻文、
「ランボー書簡」4篇の散文――で、すべてということになります。

中原中也が翻訳したランボーに関する情報は、
しかし、ランボー自身が書いた、
これら詩篇や手紙のほかに
ポール・ベルレーヌなどランボー以外の著作の中にも現われます。

その筆頭が
ランボーの存在そのものを紹介した
ベルレーヌ「呪われた詩人たち」の中の「アルテュル・ランボオ」や
ベルレーヌが自らのことを書き綴ったアナグラムである
「ポーヴル・レリアン」中のランボーに関する記述です。

ベルレーヌ以外にも
アドルフ・レッテの「ヴェルレーヌ訪問記」には
ベルレーヌが語った生々しいランボーが登場しますし、
フレデリック・ルフェーブルの「マックス・ヂャコブとの一時間」にも
ランボーに関する記述があります。
このほかにも
あるかもしれません。

中原中也は
「ランボー情報」をこうしてランボーの著作以外からも
眼を光らせて収集した跡があります。
当然、それは、フランス本国の出版状況を知ることでしたが
そうした情報源の一つに
フランス滞在中の彫刻家・高田博厚のものがありました。

高田博厚は、
中原中也の頭部ブロンズ像を制作したことでも著名ですが
昭和4年(1929年)に古谷綱武の紹介で知って後、
中原中也は高田のアトリエのある中高井戸に引っ越しましたし、
高田がフランスへ遊学する同6年(1931年)2月には
長谷川泰子とともに東京駅で見送るなどの篤い親交を継続中でしたし、
フランス滞在中にも交信を継続していました。

「古東多万」という雑誌は佐藤春夫が編集責任者で発刊され
その創刊号(昭和6年9月)に高田が寄せた「フランス文芸消息」には
中原中也が訳した「ランボー書簡」の原典などの情報もあり
これを中原中也が読んだか
これを読まなくとも、
この「ランボー書簡」の原典が出版されたことを知って
これを丸善かどこかからか入手して
翻訳にとりかかった経緯があります。

高田博厚の「フランス文芸消息」が
「新編中原中也全集」第3巻 翻訳・解題篇に案内されてありますから
それを見ておきましょう。

「フランス文芸消息」(「古東多万」創刊号、昭和6年9月)

 最近になってアルツール・ランボオに関する書物が続出した。此処にはただその書名のみを挙げる。

「アルツール・ランボオの生涯の書簡集」ジャン・マリイ・カレ編(ヌーヹル・ルヴュ・フランセーズ社)。
「地獄の一季節とアルツール・ランボオ」レイモンド・クラウツエル(マルフェール社)。
「ヹルレーヌとの事件とランボオ」モーリス・デュラエール(ノール社)。
「アルツール・ランボオ」ジャック・リヸエール(クラ社)。
「アルツール・ランボオの未発表の書簡」ロージェ・ジルベール・ルコントの序文(カイエ・リーブル社)。
「アルツール・ランボオの芸術」A・R・チシオルム(メイプールヌ・ユニヷシティ出版)。
※改行を加えてあります。

中原中也が訳した4篇の「ランボー書簡」は
高田博厚が紹介した
ジャン・マリイ・カレ編による「アルツール・ランボオの生涯の書簡集」(ヌーヹル・ルヴュ・フランセーズ社を
テキストにしているそうです。

高田は
原典テキストの入手ルートの一つだったのかもしれませんし、
原典の出版元が分かれば
丸善などへ手配すれば
入手は容易だったものとも考えられます。

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