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「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・9「春の思い出」

その1
 
詩の結末部が
現実のものでないような
夢や幻のような幻想的な(ファンタジックな)
あるいは「超現実的な(シュール)もの」に作られている――。
 
その系譜にあるのが
「春の思い出」です。
 
この詩も「生活者」の
昭和4年10月号に発表されました。
 
 
春の思い出
 
摘み溜(た)めしれんげの華を
  夕餉(ゆうげ)に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄(ぼあい)の
    土の上(へ)に叩きつけ
 
いまひとたびは未練で眺め
  さりげなく手を拍きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
    (暮れのこる空よ!)
 
わが家(や)へと入りてみれば
  なごやかにうちまじりつつ
秋の日の夕陽の丘か炊煙(すいえん)か
    われを暈(くる)めかすもののあり
 
      古き代(よ)の富みし館(やかた)の
          カドリール ゆらゆるスカーツ
          カドリール ゆらゆるスカーツ
      何時(いつ)の日か絶(た)えんとはする カドリール!
 
 
最終連は
第3連を受けているのですが
「わが家」はかつて富み栄えた時代の屋敷のような空間(館)に変じ
そこで催された舞踏会のシーンが呼び出されます。
 
 
これは少年の日の思い出なのでしょう。
 
れんげの花の満開の季節。
紫紅色のはなびら一面の野原で遊んだ合間に摘み取った花束を
いざ帰る段になってはうとましくなって
道端に打ち捨てたあの時。
 
手の中にしおれはじめた花茎があわれで
あたりは暮れて靄(もや)っている土の上へ
せっかく採集した花の束を「叩きつけ」ました。
 
 
第2連、
 
いまひとたびは未練で眺め
  さりげなく手を拍きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
    (暮れのこる空よ!)
 
――は読みどころです。
 
土の上に叩きつけた花束を見て
少年は可哀想と感じつつ
その感傷を打ち消すように手払いし
家路へと走り去ったのでした。
 
 
わが家へと帰り着いた少年は
和やかに家族親族うちまじり
「秋」の夕日の丘かご馳走を作るかまどの匂いか
めまいのしそうな「幸福」を見るのです。
 
 
いつしかわが家は「古き代の富みし館」となり
そこで踊る老若男女
スカートがひるがえります
カドリールに興じる幸福なとき
 
ゆらゆらゆれるスカートが回りますが……
 
めくるめく「幸福」もいつかはなくなってしまう!
絶頂に際して
少年はそのはかなさを思いはじめるのでした。
 
この「幸福」は
「秋」でなければならないかのように歌われます。
 
 
意味を追えばこうなりますが
第4連を「字下げ」としたのは
「サーカス」と同じであり
ここに「地」の詩人=作者がいます。
 
この部分が
ファンタジーのように仕立てられたのです。
 
 
その2
 
「春の思い出」第4連は
れんげ田で遊び呆(ほお)けた少年が
陽の落ちないうちに家に帰り着こうと走り
たどり着いた家の中が夢のような「幸福」につつまれていて
眩暈(めまい)を覚える……
 
……その次の瞬間、
突然、舞踏会の大光量の世界へ投げ出されて
スカートが揺れる世界を歌います。
 
 
春の思い出
 
摘み溜(た)めしれんげの華を
  夕餉(ゆうげ)に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄(ぼあい)の
    土の上(へ)に叩きつけ
 
いまひとたびは未練で眺め
  さりげなく手を拍きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
    (暮れのこる空よ!)
 
わが家(や)へと入りてみれば
  なごやかにうちまじりつつ
秋の日の夕陽の丘か炊煙(すいえん)か
    われを暈(くる)めかすもののあり
 
      古き代(よ)の富みし館(やかた)の
          カドリール ゆらゆるスカーツ
          カドリール ゆらゆるスカーツ
      何時(いつ)の日か絶(た)えんとはする カドリール!
 
 
「字下げ」で歌われるのは
ほかの例と同じく
詩世界をもう一つの眼差しで歌う
「地(じ)」の詩人を登場させるという「詩法」によりますが。
 
もう一つに
それまで流れていた詩世界をよりいっそう鮮明にする
「舞台効果」のようなものを狙ったものです。
 
最終連で見せるこの「展開」は
起承転結に沿うよりも
「起承転転」に近く
第3連の強調・拡大といった趣(おもむき)を呈しています。
 
あるいは「序破急」の急を
第3連と最終連で展開している形です。
 
 
この形をもつ
「夜の空」を舞台にしていてファンタジックな詩が
揃いました。
 
「サーカス」は
暗闇に浮き上がったサーカス小屋を歌いました。
 
「秋の夜空」は全篇がファンタジーです。
下界から上天界をのぞき上げる「私」を歌いました。
 
「春の思い出」の最終連も
少年の眼差しはいつしか
「遠いもの」を見ている詩人の眼差しになりファンタジックです。
 
見ているものは
やがて視界から消えてなくなるというのも同じです。
 
 
「春の思い出」では
幸福の絶頂のような時間の中で
それがなくなってしまうことを少年は恐れました。
時間は止まってくれませんでした。
 
少年の時に抱いたこの喪失のおそれは
これを歌っている現在の詩人には
すでに失われた時です。
 
詩(人)はそれを振り返っているのです。
「思い出」を歌っているのです。
 
「思い出」を歌った詩を
詩人は幾つも残すことになります。
「春の思い出」はその初期のもので
原型のような作品です。

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