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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和9年6月24日

新宿・花園アパートに住んで早や半年が過ぎようとしています。
 
「手紙77 6月24日 (絵はがき)」(新全集「144」)は
安原宛の手紙でこの年の7番目のものになります。
 
 
御無沙汰しています 本屋の方まだ定まらない由大岡から聞きました いかがお暮しかと存じます
 
僕事女房の眼が両方となり、せいぜい2時間しか外出することが出来ません あわてて大学病院にも見せました もう半年はかかると思っていなければならないとのことです
 
二ちゃんが軽い胃カイヨウをやりましたがもう直き癒ることと思います コマゴメのおできの薬もう10日ばかり飲んでいます 
 
看病の暇に本を読むのが唯一のたのしみです 何卒御退屈の時お遊びにおいで下さい。 先は右まで
             怱々    中也
 
 
久々に「山羊の歌」の進行について触れられますが
出版元がまだ決まらないという情報でした。
花園アパ-トを訪れた大岡昇平から得た情報のようでしたが
それは当時安原が勤めはじめた出版社・隆章閣での交渉を指すものだったのか
ほかの出版社への交渉のことか
進捗しない交渉をどこからか耳にした大岡から詩人が聞いて
安原へ「確認」したということでしょうか
安原とも情報を共有しようとしたということでしょうか
 
 
孝子夫人は
この年の春頃から眼病を患っていました。
感染性のものだったのでしょうか
それが直らず、両眼に及んだため急いで大学病院で診察し
直るまでにはさらに半年を見込んでおいたほうがよいと診断されたという報告です。
 
夫人のお腹には新しい生命が宿っていましたが
詩人はそのことについて触れません。
 
 
詩人は
夫人の懐胎を知っていたはずですが
この手紙では
青山二郎が胃潰瘍にかかったことと
自分のおでき(メンチョウ)について語るまでです。
 
 
住まいは新宿ですから
近くに大学病院はあり
医院も幾つかはあったでしょうが
薬一つ薬店一つ、近隣の医療環境は
現在とくらべて立ち遅れ
病人をかかえた家族の苦労は相当なものであったことが想像できます。
 
安原がこの手紙に
 
奥さんは眼を患い、彼は頬に大きなおでき(メンチョウ)を作っていた。この春私の兄嫁の里方の父が背中に大きな癰(はれもの)が出来て死ぬ程の苦しみをしたときに不思議にけろりと癒したと言う駒込の方の家伝薬に彼もせっせと通っていた。
 
――とコメントしているのは
このあたりの事情を的確に語っているものですが
「家伝薬」といって21世紀の現代人に通じるかどうか
 
クロロマイセチン一つなかった時代に
家伝薬とか富山の薬売りとかが
いかに重宝され、生活に浸透していたか
これを実感してもらう術(すべ)はもやはないのかもしれません。
 
中原中也も安原喜弘も
この頃、昭和初期を生きていたのです。
 
 
この時しかし、
やがて第一子が生まれ
その子を文也と命名し
文也を目の中に入れても痛くはないというほどに可愛がり
その愛を受けてすくすくと育っている最中(さなか)に
その子文也が死んでしまうという運命を
詩人は知る由(よし)がありません。
 
 
死んだ直後に詩人が書いた「文也の一生」が
「昭和9年(1934)8月 春よりの孝子の眼病の大体癒ったによって帰省。」
――と書き出されるのは
この時から2年と経っていません。
 

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