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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和7年7月26日ほか

その1
 
小学校の先生向けの単行本であるはずが
辞典と勘違いしている詩人――。
 
ゴッホ伝の解釈にズレが生じているのを
「今更書きなおしもならず、そのままとした。」と安原はコメントしています。
 
「ゴッホ」はやがて玉川文庫26として
「セザンヌ」(同文庫25)とともに安原喜弘の著作として刊行されます。
 
玉川文庫は、玉川学園を創設した小原国芳により
自由教育の一環として出版された廉価本シリーズ。
富永次郎の「ダ・ヴィンチ」は同文庫27にラインアップされていて
執筆者が「白痴群」メンバーと重なる面があるのも目が引かれるところです。
 
 
「手紙41 7月19日(はがき)」に安原が加えたコメントは
「ゴッホ伝」と「山羊の歌」が同時進行していたことを示しているものでもあり
この頃、安原と詩人がいかに近くにあったかを改めて知る材料の一つです。
 
同時にまた、詩人の活動は「ベルレーヌ」にも及んでいたということで
第1詩集となる「山羊の歌」の出版進行中に
「翻訳」への取り組みも「仕事の一つ」という展望を持っていたことを示していて
こちらにも目が開かれます。
 
「ゴッホ」
「ベルレーヌ」
「山羊の歌」。
 
これらがその後どのようになっていくのか――。
安原にならって、時を追うことにしましょう。
 
 
昭和7年の「夏休み」に帰省した詩人が
安原に送った手紙の1番目は、7月26日のものです。
新全集では「101 7月26日 安原喜弘宛 葉書」です。
 
 
「手紙42 7月26日(はがき)」 (山口市 湯田)
 
 先日はありがとうございました。
 こちらも、暑いです ごはん食べたい時食べられるのだけ、仕合せです。
 弟はガンとして学校をいといます。4、5日したら僕同道して、豊前の或るお寺の修道院に入れることに、今母との相談が成立ちました。
 弟を修道院に入れて2、3日しましたら、高森の家に向います、詩集の方のことは大丈夫です、ゴッホやっています。
 
 
同じ日付けで安原宛に封書が送られ
中にベルレーヌの艶笑詩集「女たち」(Femmes)から「序曲」(Ouverture)などの筆写稿が入っていました。
 
 
さらには、同じ7月26日付けで、長谷川泰子宛の手紙が残されました。
創元社版全集の第3巻に収録後に行方不明になり
現在、現物は残っていません。
 
7月26日に山口から
少なくとも3通の手紙が投じられたことになります。
 
泰子宛の手紙を読んでみましょう。
 
 
こっちも暑い。けれども下宿にいるよりは涼しい。茂樹はアセモが出来はせぬやら。
佐々木に会ったらヴィロンのことどうなったかシッカリ聞くことを忘れぬよう。
田舎は静かでほんとにいいよ。飲みすぎる勿れ。引越を知らせるべし。
 
 
「ヴィロン」は、フランソワ・ヴィヨンのことで
詩人は生前に発表した翻訳詩篇「プチ・テスタマン抄」や
未発表の翻訳詩篇を幾つか制作しました。
 
泰子には要点だけを伝える手紙!
「お仙泣かすな、馬肥やせ」を思い出させ
微笑ましくもあります。
 
 
その2
 
昭和7年(1932年)の夏に帰省した詩人が
安原に送った1番目の手紙は7月26日付けの葉書でしたが
この葉書は、実は、7月8日の日付けを印刷した
「山羊の歌」の2回目の予約募集の葉書の余白に書かれたものでした。
 
先に、「99 7月8日 小出直三郎宛 印刷葉書」として読んだのと同じ印刷物で
詩人はこれを何枚か山口に持ち帰ったのです。
印刷されたその文面を斜線で消し
右の余白から左の余白にかけて8行になるペン書きのたよりをしたためました。
 
印刷した官製はがきを利用して
切手代を節約したのでしょうか。
 
 
安原は、ここで、7月8日付けのこの印刷葉書の内容を紹介した上で
次のようにコメントします。
 
 
 初めの予定では6月中に予約をとり、7月中に出版の筈だったのを、周囲の情勢はこれを遂に文面の通り延期するの止むなきに至らしめたのである。そして詩集「山羊の歌」が真に日の目を見たのはこの後更にいろいろな経緯を踏んで昭和9年12月10日のことである。
(※洋数字に変えてあります。編者。)
 
 
6月中の予約、7月中の出版から
7月中の予約、9月発行――と訂正したのがこの通知です。
この予定でも2か月遅れの発行となります。
 
それどころか、「山羊の歌」が発行されるのは
この日から2年余り先のことになるのです。
コメントはその事実を告げるだけでした。
 
そして、帰郷して以後の詩人が
宮崎県東臼杵へ旅し、天草へ旅し
金沢を経て、再び上京するまでに寄こした手紙を
急ぐように読み進めていきます。

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