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生きているうちに読んでおきたい18・「永訣の秋」詩人のわかれ・「蛙声」

その1

「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」は
昭和12年5月14日に作られ
同年の「四季」7月号に発表されました。
「四季」に発表されたとき
末尾に制作日の記載があります。

この頃、「在りし日の歌」の編集は急展開し
詩集タイトルを「在りし日の歌」とすることや
この「蛙声」を最終詩とし
「含羞(はじらい)」を詩集の冒頭詩とすることなど
詩集全体の構成が次々に
ほぼ同時的に決められたようです。
(新全集第1巻・詩Ⅰ解題篇)

「蛙声」は
詩集「在りし日の歌」の完成へ
スプリングボードの役割を果たしたようですが
その役割を果たすためには
内容やメッセージが重要であったことは
「山羊の歌」の最終詩「いのちの声」と同じような事情です。

6月、近衛内閣発足
7月、盧溝橋事件
8月、上海事変
12月、南京陥落
――といった時代でした。

「蛙声」を読む前に
この程度のことを知っておいても害にはならないことでしょう。

中原中也はこの年の4月29日に30歳になります。

詩が

天は地を蓋(おお)い、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。

――とはじめられるは
幾分か時代のニュアンスを込めようとしたものでしょうか。

池が存在するのは
天があり地がありという
大宇宙の作りの中の
その厳然とした存在である地に
たまたま(偶然)一つの池があり
その偶然の存在である池に棲んでいる蛙が
一夜限りの命とばかりに今鳴いている
いったいあれは何を鳴いているのだろう
――と遠撮(遠景)と近撮(近景)の往復の中で
蛙の声をとらえます。

蛙の声そのものがとらえられるのではなく
とらえられても
天や地を背景にし
空から来て
空へ去っていく声としてしか聞こえてきません。

中原中也には
蛙をモチーフにした詩が幾つかありますが
それらは昭和5~8年に使われていた「ノート翻訳詩」に記されたものです。

「蛙声(郊外では)」
(蛙等は月を見ない)
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
(Qu'est-ce que c'est?)
――の4作ですが
これらの詩も蛙そのものがとらえられているのではなく
風景(状況とか背景とか関係とか)の中の蛙です。

当たり前のことのようですが
蛙そのものの姿態などは
これっぽっちも歌われていないのです。

蛙 声
 
天は地を蓋(おお)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜(よ)さ蛙は鳴く……
――あれは、何を鳴いてるのであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )は全集委員会によるものです。

その2

ガマガエルとか青蛙とか痩せた蛙とか――。
中原中也の「蛙声」には
動物としてのカエルのイメージはまったくありません。
それはなぜでしょう。

ここで寄り道になるようですが
「ノート翻訳詩」(昭和5~8年)に書かれた詩
「蛙声(郊外では)」
(蛙等は月を見ない)
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
(Qu'est-ce que c'est?)
――の4作品を一挙に目を通します。
すべて現代かなにしてあります。

蛙 声
 
郊外では、
夜は沼のように見える野原の中に、
蛙が鳴く。

それは残酷な、
消極も積極もない夏の夜の宿命のように、
毎年のことだ。

郊外では、
毎年のことだ今時分になると沼のような野原の中に、
蛙が鳴く。

月のある晩もない晩も、
いちように厳かな儀式のように義務のように、
地平の果にまで、

月の中にまで、
しみこめとばかりに廃墟礼讃の唱歌のように、
蛙が鳴く。

(蛙等は月を見ない)
 
蛙等は月を見ない
恐らく月の存在を知らない
彼等は彼等同志暗い沼の上で
蛙同志いっせいに鳴いている。

月は彼等を知らない
恐らく彼等の存在を想ってみたこともない
月は緞子(どんす)の着物を着て
姿勢を正し、月は長嘯(ちょうしょう)に忙がしい。

月は雲にかくれ、月は雲をわけてあらわれ、
雲と雲とは離れ、雲と雲とは近づくものを、
僕はいる、此処(ここ)にいるのを、蛙等は、
いっせいに、蛙等は蛙同志で鳴いている。
 

(蛙等が、どんなに鳴こうと)
 
蛙等が、どんなに鳴こうと
月が、どんなに空の遊泳術に秀でていようと、
僕はそれらを忘れたいものと思っている
もっと営々と、営々といとなみたいいとなみが
もっとどこかにあるというような気がしている。

月が、どんなに空の遊泳術に秀でていようと、
蛙等がどんなに鳴こうと、
僕は営々と、もっと営々と働きたいと思っている。
それが何の仕事か、どうしてみつけたものか、
僕はいっこうに知らないでいる

僕は蛙を聴き
月を見、月の前を過ぎる雲を見て、
僕は立っている、何時までも立っている。
そして自分にも、何時かは仕事が、
甲斐のある仕事があるだろうというような気持がしている。
 

Qu'est-ce que c'est?
 
蛙が鳴くことも、
月が空を泳ぐことも、
僕がこうして何時まで立っていることも、
黒々と森が彼方(かなた)にあることも、
これはみんな暗がりでとある時出っくわす、
見知越(みしりご)しであるような初見であるような、
あの歯の抜けた妖婆(ようば)のように、
それはのっぴきならぬことでまた
逃れようと思えば何時でも逃れていられる
そういうふうなことなんだ、ああそうだと思って、
坐臥常住の常識観に、
僕はすばらしい籐椅子にでも倚(よ)っかかるように倚っかかり、
とにかくまず羞恥の感を押鎮(おしし)ずめ、
ともかくも和やかに誰彼のへだてなくお辞儀を致すことを覚え、
なに、平和にはやっているが、
蛙の声を聞く時は、
何かを僕はおもい出す。何か、何かを、
おもいだす。

Qu'est-ce que c'est?
 

「永訣の秋」の「蛙声」と
どのような違いが見えるでしょうか。

その3

「ノート翻訳詩」に書かれた
「蛙声(郊外では)」
(蛙等は月を見ない)
(蛙等が、どんなに鳴こうと)
(Qu'est-ce que c'est?)
――は、みんな昭和8年(5月~8月)の制作と推定されていますから
「在りし日の歌」の「蛙声」まで丸4年の歳月が流れたことになります。

両者にどのような違いがあり
どのような共通項があるでしょうか――。

「蛙声(郊外では)」は
遠景で蛙をとらえ
蛙の鳴きっぷりを
宿命のように
沼のような
儀式のように義務のように
唱歌のように
――と直喩(ような)で表わします。

(蛙等は月を見ない)は
月(と雲)を登場させて
蛙と月の関係や違いを明らかにして
僕の存在に言い及びます。

(蛙等が、どんなに鳴こうと)は
僕に接近し接写し
月でも蛙でもない僕の仕事へと目を向け
僕は蛙を聴き、月を見て立っていれば
いつかは甲斐のある仕事があるだろう、と
仕事へフォーカスしてゆきます。

仕事とは
いうまでもなく詩を作ることです。

Qu'est-ce que c'est? は
前作を継いで
何時までも立っていることを
蛙が鳴き月が空を泳ぐことと同列のものに見なすものの
蛙の声を聞くと
何か、やむにやまれぬ気持ちで
思い出すことがあり
何かは分からない何かを思い出す

――といったような詩です。

四つの詩のうち
二つはタイトルが付けられ
二つは「未題」です。

4作は連続して作られたようで
実際に蛙の鳴くシーズンに
鳴き声を聴きながら作ったにしては
動物(生き物)としてのカエルのイメージはさほど鮮明ではなく
夜(暗闇)にシルエットとして浮かんでいる感じです。

蛙(声)は
詩人が何かを託そうとする象徴として登場し
月や雲も自然現象そのものではありません。

その4

昭和8年に蛙(の声)を続けて歌った詩人は
最後4作目のQu'est-ce que c'est? で

蛙の声を聞く時は、
何かを僕はおもい出す。何か、何かを、
おもいだす。

――と、まだ十分に歌い切っていないかのように
何か、何かと言い残しました。

4年後の昭和12年に
また蛙声をモチーフにしたとき
その何かは存分に表白されたのか? という眼差しで「蛙声」を読んでみれば
少しは見えてくるものがあるはずです。

まず目立つのは
僕が詩の中から消えたことですが
僕がいなくても
僕は詩の中にきちんと存在することです。
僕はここへ来て
蛙(声)そのものに成り変ったのです。

次には全体に贅肉(ぜいにく)が落とされ
引き締まった感じがするのは
ソネットにしたり
古語や漢語を使用したりして
格調感を出しているところです。

やや難解な感じがするのは
直喩をやめ暗喩へ変えたり
説明を省略しているからです。

天は地を蓋(おお)い
――は漢籍か
今夜一と夜(よ)さ
――は宮沢賢治か
空より来り
――は文語的だし
よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
――の「よし」も文語です。

総じて言葉を選びに選んだ印象ですが
第3、4連

よし此の地方《くに》が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》われ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走って暗雲に迫る。

――は、この詩の転・結であるばかりでなく
「永訣の秋」の
そして「在りし日の歌」全体の結語として
耳をそばだてるべき最大のポイントといってもよいところでしょう。

そのように読まれてきた例(ためし)をまず見かけないのは
中原中也という詩人へのとんでもない誤解の一つですが
ここにこそ
詩人が蛙声に託した最大のメッセージはあります。

4年前の蛙声とは違って
昭和12年のこの詩では
あれ
その声
蛙声
その声
――と、あくまで第3者的ですが
蛙にエールを送っているというほど客観的なものではなく
蛙声に同化している域に入っているのです。

その声は水面に走って暗雲に迫る。

――の「その声」は
詩(人)の声のことであり
暗雲立ちこめる時局へ「迫る」のは
詩(人)の命(ミッション)であることを告げているものです。

その5

第3、4連を読んでいて

よし此の地方《くに》が、の地方をなぜ「くに」と読ませるのか
くに(地方)が湿潤に過ぎる、とはどういう意味か
疲れたる我等が心、の疲れたる我等とは誰のことか
柱とは何の比喩か
柱が乾く、とはどういう状態か
なぜ、思われでなく、感《おも》われ、か
なぜ、頭は重く、肩は凝る、のか
暗雲に迫る、とは具体的にどんな行為を示しているのか

――などの疑問が湧いてきます。

これらの詩句により
詩人は何を主張しているのでしょうか?

地方《くに》が湿潤過ぎる
柱が乾いている

――というフレーズは
いったい何をいっているのでしょう。

ここが分かれば
一気に全体が分かりそうな見当がついてきます。

「永訣の秋」の最終詩である「蛙声」は
すなわち「在りし日の歌」の掉尾(とうび)を飾る巻末詩ですから
詩人はここになんらかのメッセージを込めたと考えるのが自然でしょう。

その線に沿って読めば
ここには時代や時局・時勢への発言があることを
読み取るのに抵抗はありません。

「蛙声」を制作したのは昭和12年(1937年)5月ですが
前年1936年に2.26事件
同年の11月10日に愛息・文也が死去
翌1937年に中村古峡療養所に入退院
7月に盧溝橋事件
8月に上海事変と
後に15年戦争といわれることになる世界大戦に突入した年でした。
時代はまさしく暗雲が立ち込めていました。

これらの時代背景があって
地方に「くに」のルビは振られたのです。
振ったのは中原中也本人です。

だから、地方とは
詩人がこの詩を作ったときに住んでいた
鎌倉(地方)を指すという解釈はいただけません。
暗雲は鎌倉にだけ立ちこめていたのではありません。

この詩のスケールは
天、地、空といった壮大なものですし
これらの時代背景のもとでの地方ですし
「地」の中の地方だから国(くに)としたのです。

アジアの一地方とか
世界や地球の一部としての地方を
「くに」としたのです。

ズバリ言って
それは日本という地方(くに)=国のことですが
日本と言いたくなかっただけのことでしょう。

その地方(くに)がじめじめしている(湿潤)というのは
いろいろな矛盾とか不満とか不安とかが充満しているという意味で
それが過剰になっていまにも氾濫しそうだからといって
国の柱(政治)がドライ過ぎてよいというものではない、と
思わしくない方向(戦争)へ進む国に注文をつけているものと読めそうです。

詩人が
体調思わしくなかったことは想像できますが
ここで個人的な体調不良が述べられているにしても
その原因までが個人的な事情によるだけのものと述べているのではないでしょう。

詩句の流れから言って
頭は重く、肩は凝る原因は
第3連に述べられた

地方(くに)が湿潤過ぎていたとしても
こんなにくたびれている我らのためには
柱が乾き過ぎていること――にあるのです。

その6

「くに」が湿潤(しつじゅん)に過ぎるといった時に
湿潤は天候のことを述べているのでないことは明白です。
日本海型気候とか瀬戸内型気候などでいう湿潤ではありません。

ではどのようなことを湿潤と言っているかといえば
何にも言っていません。

どうぞ自由勝手に想像してくださいと言っているようなのは
「在りし日の歌」をずーっと読んできた読者に
そんな説明は要らないでしょう
ちゃんと読んで来たのならわかるでしょうと言わんばかりな気配です。

ここをどうしても読み解かねば
この詩は読めませんから
なんとか読んでみますと……。

その「くに」には
「疲れたる我等」が存在して
詩人もその中の一人に違いありませんが
その我等の心に役立つ(ため)には
柱(国の政治とか法律とか)が現状あまりにも乾いている
あまりにもドライな(即物的な)動きを見せている
(ここは暗に軍部や軍隊を批判している!)と感じられるので

頭は重く、肩は凝るのだ。

第3連の末行は

柱は猶、余りに乾いたものと感《おも》はれ、

――と読点「、」で終わり第4連へと続いていきますが
これは定型(ソネット)を維持するためだけの空白のようで
そうではありません。
ここは連を終える必要があったから終えたのです。

ソネットのためにそうしたというより
感《おも》はれ、で連を終えて
ここで時間をおく必要があったので
「、」でぶっつりこの連を切り
第4連へ続けたところで
それがソネットにもなったのでそのままにしたということでしょう。

ここは詩人が熟考した結果です。

「くに」が湿潤であり
柱が乾いたものと感じられ
さらに最終行には
暗雲という言葉が使われます。

日本国の空模様が
暗雲に覆(おお)われていて
その暗雲に迫るのは蛙声です。

その7

昭和初期から昭和10年代の日本という地方(=くに)の空模様は
暗雲にすっぽりと覆(おお)われていても
夜ともなれば蛙は必ず鳴き
その声が水面を走って暗雲に迫るのです。

夜が来ればというのは
条件を意味しているのではなく
夜は毎日必ず訪れるものですから
必ず毎日蛙は鳴くということです。

蛙が鳴く声の日常性を指しているのであって
朝や昼には鳴かないということを言っているものではありませんから
これは詩人の仕事のことでしょう。

ここにおいて蛙(声)に詩(人)そのものが
同化しているといってもよいはずです。
エールを送るというよりも。
仮託するというよりも。

蛙声が暗雲に迫るというのは
詩の命(ミッション)というような意味で
どんな時にでも詩は池の水面を走っては暗雲に迫ることを
命としていると歌ったものなのです。

こうして「永訣の秋」の末尾にこの詩は置かれて
詩の永遠の命を歌った詩として
永遠のわかれを刻(きざ)みました。

くだけて言えば
さよならのあいさつを
作品の形で述べたものです。

さよならのあいさつは
「在りし日の歌」の後記にも
「いよいよ詩生活に沈潜しようと思っている」とか
「さらば東京! おおわが青春!」などと
改めて述べられます。

(「永訣の歌」の項終わり)

 

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