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中原中也の詩に出てくる「人名・地名」 4

こんどは「未発表詩篇」に入ります。
 
角川全集などでははじめに配置されているのが
京都時代に作られたダダイズムの詩です。
 
ダダ詩に「地名」や「人名」は出てくるものでしょうか?
 
<ダダ手帖>
 
「ダダ音楽の歌詞」
 
(それを釈迦(しゃか)が眺めて
それをキリストが感心する)
※「釈迦(しゃか)」「キリスト」
 
<ノート1924>
 
古代土器の印象
 「クリストの降誕(こうたん)した前日までに
カラカネの
歌を歌って旅人が
何人ここを通りましたか」
※「クリスト」「カラカネ」
 
 
初 夏
 
アメリカの国旗とソーダ水とが
恋し始める頃ですね
※「アメリカ」
 
 
(題を附けるのが無理です)
 
トランプの占いで
日が暮れました――
オランダ時計の罪悪です
※「オランダ時計」
 
 
(バルザック)
 
バルザック
バルザック
腹の皮が収縮する
※「バルザック」
 
 
浮浪歌
 
朝鮮料理屋がございます
目契(もっけい)ばかりで夜更(よふけ)まで
虹や夕陽のつもりでて、
※「朝鮮料理屋」
 
 
(かつては私も)
 
偶性(ぐうせい)と半端(はんぱ)と木質(もくしつ)の上に
悲しげにボヘミヤンよろしくと
ゆっくりお世辞笑いも出来る
※「ボヘミアン」
 
 
「ノート1924」の末尾には
ダダを脱皮しつつある詩篇がいくつかあります。
 
「ダダ手帖」は手帖そのものが残存しておらず
2篇の詩が印刷物になっていたおかげで残されたものです。
 
「ノート1924」51篇とあわせて53篇のうち
7篇に「地名・人名」は登場しました。
 
率として
極めて少ないことがわかりました。
 
ダダイズムは
リアリズムを内包するケースがあるにしても
地名や人名という「リアル」で限定されてしまうことを排除したのでしょうか。
 
「リアルな正体」を
中原中也のダダ詩は露出しようとしていません。

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