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「一筆啓上」昭和6年

昭和6年(1931年)が暮れようとしています。
この頃、「手許不如意(てもとふにょい)」の日々にあり
外で飲む酒をひかえて下宿でヒヤ酒をたしなむ詩人でしたが
きっとその酒の瓶は机上にあり
横には原稿用紙の束(たば)が積み上げられていたことでしょう。
 
「この年から翌7年まで詩作はほとんどなし。」と年譜が記すように
年初めに安原喜弘にデディケートした「羊の歌」や
同じく安原に送った幾つかの未発表詩篇などのほかには
創作詩の書かれた数は極めて少ない年でした。
 
 
東京外語でのフランス語の勉強に熱心だったせいもあり
弟・恰三の死の衝撃もあったのでしょうが
しかし、詩人の「核心」にはコトコトと発酵するものがあり
「雌伏」中のこの年、
次第次第に形となってゆきました。
 
詩集の発行計画です。
詩集のために編集を始めるのです。
 
 
昭和7年が明けてすぐに
「山羊の歌」の最終章「羊の歌」に収録されることになる「憔悴」が書かれ
4月頃に詩集のための編集作業が開始されるのですが
年が明ける前のこの時期、
つまり、下宿でおとなしく「ヒヤ酒」を飲んでいた時期は
編集が着手されようとする「前夜」にあたるわけですから
とても重要な時期です。
 
ヒヤ酒を飲む詩人の胸には
詩集の構想が渦巻いていたのかもしれません。
 
 
昭和6年を通して、
読書し、映画を見、講演会に行き、絵画・美術を鑑賞したなどの記述を
手紙からひろっておきます。
 
 
「ドルジェル伯の舞踏会」、読んで感服しました。(2月16日 安原喜弘宛)
 
東京では、近頃浅草金龍館が復活しました。明晩は出掛けて行こうかと思っております。(9月13日 高田博厚宛)
 
18日、朝日講堂でエリ・フォールの講演を聴きました。(9月23日 安原喜弘宛)
 
茲で他人の言葉を二つ、何かのために記すこととします。(同)
(※ミュッセ「世紀児の告白」、ジョゼフ・ケッセル「清き心」序文より、それぞれ引用しています。)
 
昨夜アルキペンコを買ってきました。(10月8日 安原喜弘宛)
 
(略)――と申すは、過日来ブランデスの文学史を読んで、少し頭がゴタゴタしたからのことです。(10月16日 安原喜弘宛)
 
時にかの「月の浜辺」なる曲は、核心のまわりに、多分のエナをつけていて、未進化なものではありますが、そのかわり猶、濃密に核心がこれと分るように見付かります。(同)
 
ル・ミリオンみました。面白くありました。(11月4日 安原喜弘宛)
 
今月の改造、君も読んだでしょう。僕も50銭玉を置いて、久しぶりで雑誌というものを買って来ました。小林の小説は、余り面白くはありません。河上の時評は、分らない箇所がありました。(同)
 
フランシス・カルコ、「追いつめられる男」読みました。一寸面白いです。映画「パリッ子」みました。役者がうまくて面白いです。ドストエフスキー「罪と罰」を読んでいます。ゴルキーの「四十年間」には打たれました。(11月16日 安原喜弘宛)
 
此の頃はネルヴァルの「夢と生」を訳しています。怠けなければ、此の冬君が帰る頃までには、「オーレリア」が訳了せられてある筈です。(同)
 
 

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