「一筆啓上」昭和6年
昭和6年(1931年)が暮れようとしています。
この頃、「手許不如意(てもとふにょい)」の日々にあり
外で飲む酒をひかえて下宿でヒヤ酒をたしなむ詩人でしたが
きっとその酒の瓶は机上にあり
横には原稿用紙の束(たば)が積み上げられていたことでしょう。
「この年から翌7年まで詩作はほとんどなし。」と年譜が記すように
年初めに安原喜弘にデディケートした「羊の歌」や
同じく安原に送った幾つかの未発表詩篇などのほかには
創作詩の書かれた数は極めて少ない年でした。
◇
東京外語でのフランス語の勉強に熱心だったせいもあり
弟・恰三の死の衝撃もあったのでしょうが
しかし、詩人の「核心」にはコトコトと発酵するものがあり
「雌伏」中のこの年、
次第次第に形となってゆきました。
詩集の発行計画です。
詩集のために編集を始めるのです。
◇
昭和7年が明けてすぐに
「山羊の歌」の最終章「羊の歌」に収録されることになる「憔悴」が書かれ
4月頃に詩集のための編集作業が開始されるのですが
年が明ける前のこの時期、
つまり、下宿でおとなしく「ヒヤ酒」を飲んでいた時期は
編集が着手されようとする「前夜」にあたるわけですから
とても重要な時期です。
ヒヤ酒を飲む詩人の胸には
詩集の構想が渦巻いていたのかもしれません。
◇
昭和6年を通して、
読書し、映画を見、講演会に行き、絵画・美術を鑑賞したなどの記述を
手紙からひろっておきます。
◇
「ドルジェル伯の舞踏会」、読んで感服しました。(2月16日 安原喜弘宛)
東京では、近頃浅草金龍館が復活しました。明晩は出掛けて行こうかと思っております。(9月13日 高田博厚宛)
18日、朝日講堂でエリ・フォールの講演を聴きました。(9月23日 安原喜弘宛)
茲で他人の言葉を二つ、何かのために記すこととします。(同)
(※ミュッセ「世紀児の告白」、ジョゼフ・ケッセル「清き心」序文より、それぞれ引用しています。)
昨夜アルキペンコを買ってきました。(10月8日 安原喜弘宛)
(略)――と申すは、過日来ブランデスの文学史を読んで、少し頭がゴタゴタしたからのことです。(10月16日 安原喜弘宛)
時にかの「月の浜辺」なる曲は、核心のまわりに、多分のエナをつけていて、未進化なものではありますが、そのかわり猶、濃密に核心がこれと分るように見付かります。(同)
ル・ミリオンみました。面白くありました。(11月4日 安原喜弘宛)
今月の改造、君も読んだでしょう。僕も50銭玉を置いて、久しぶりで雑誌というものを買って来ました。小林の小説は、余り面白くはありません。河上の時評は、分らない箇所がありました。(同)
フランシス・カルコ、「追いつめられる男」読みました。一寸面白いです。映画「パリッ子」みました。役者がうまくて面白いです。ドストエフスキー「罪と罰」を読んでいます。ゴルキーの「四十年間」には打たれました。(11月16日 安原喜弘宛)
此の頃はネルヴァルの「夢と生」を訳しています。怠けなければ、此の冬君が帰る頃までには、「オーレリア」が訳了せられてある筈です。(同)
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