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ランボー<34>中原中也「芸術論覚え書」を読む・その5

 <承前4>
 
 *芸術論覚え書(現代新聞表記)
 
一、なぜ、わが国の現在は芸術が発展しないか。――何事も最初にプランがあって次にその実施がある。プランは精神的作業で、実施は肉体的作業である。このことは時代としてみても、(比較的の話だが)プランの時代と実施の時代がある。今はいずれかといえば、実施の時代である。実施の時代には、低級な事が跋扈しやすい。つまり、名辞以前の世界が見過ごされがちである。こんな時には、芸術的素質のある者は必要以上に辛いのである。そんな時には芸術が発展しにくい。――今やようやく実施ははばを利かしてきつつある。すなわち前の時代のプランはようやく陳腐なものに感じられつつある。そんな時、人はいわゆる指導原理を欲するようになる。しかし、芸術に指導原理などというものはない! それどころか、芸術は指導原理を気にしないでいられる域に住んでいれば住んでいるほど始められる生命能力である。指導原理だとか何だとかと声を涸らしていることが、みんな空言であったと分かる日がいずれ来るのである。だが振り返って考えてみれば、そういうことが流行している今でも、そういうことを口にしている人は、現実感をもって言っているはずはない。もともと木に竹をつなげるとでも思っていられるほどの馬鹿でなければ、芸術に指導原理だなんてことを言えるものではない。しかも彼らを黙らせるには、たぶん良い作品の誕生が盛んになってくること以外に方法はない。面白いものが現前しはじめれば、ようやく実感は立ち返ってくるものだ。それから彼らだって、まったくの空言は吐かないようなものだ。
 
一、なぜ、わが国に批評精神は発達しないか。――名辞以後の世界が、名辞以前の世界よりもはなはだしく多いからである。万葉以後、わが国は平面的である。名辞以後、名辞と名辞の交渉の範囲にだけ大部分の生活があり、名辞の内包、すなわちやがて新しい名辞となるものが著しく貧弱である。したがって実質よりも名義がいつものさばる。その上、批評精神というものは名義についてではなく、実質について活動するものだから、批評精神というものが発達しようがない。(たまたま批評が盛んなようでも、言ってみればそれは評定根性である)。
 
 つまり、物質的傾向のあるところには批評精神はない。東洋が神秘的だなどというのはあまりに無邪気な言い分に過ぎない。「物質的」に「精神的」は抑えられているので、精神は隙間からちょっぴり呟くから神秘的に見えたりするけれど、もともと東洋で精神は未だ優遇されたことはない。
 
一、生命が豊富であるとは、物事の実現が豊富であるということとむしろ反対であると解釈したほうがよい。なぜなら、実現された事物はもはや物であって生命ではない。生命の豊富とは、これから新規に実現する可能の豊富であり、それはいわば現識のことである。現識の豊富ということがとかく見過ごされがちなところに、日本の世間の希薄性が存在する。いずれにしても現識の豊富なことは、世間ことに日本の世間では鈍重とだけ見られやすい。
 
 安っぽくてピカピカした物の方が通りがよいということは、このようにして、人生が幸福であることではない。価値意識の乏しい所は、混雑が支配することになる。混雑は結局、価値に乏しい人々をも幸福にはしない。
 
一、幸福は事物の中にはない。事物を見たり扱ったりする人の精神の中にある。精神が尊重されないということは、やがて事物も尊重されないことになる。精神の尊重をロマンチックだといって笑う心ほどロマンチックなものはない。これを心理的に見ても、物だけで結構などと言っている時、人は言葉に響きを持っているようなことはない。それは自然法則とともに事実である。
 
一、芸術作品というものは、断じて人と合議の上で出来るものではない。社会と合議の上で出来るものでもない。
 
一、精神的不感症が、歴史だけが面白いのではないか、などと思ってみることがあるものだ。だが歴史とは、個人精神の成果の連続的雰囲気である。個人の精神が面白ければそれは歴史も面白いだろう。しかし、歴史は面白いが個人は面白くないなどということはあり得ない。
 
※「現代新聞表記版」とは、原作の歴史的仮名遣い、歴史的表記を現代の新聞や雑誌の表記基準に拠って書き改めたもので、現代仮名遣い、現代送り仮名、常用漢字の使用、非常用漢字の書き換え、文語の口語化、接続詞や副詞のひらがな化、句読点の適宜追加・削除――などを行い、中学校2年生くらいの言語力で読めるように、平易で分かりやすい文章に整理し直したものです。
 
 
 *
 芸術論覚え書(原作)
 
一、何故我が国現在は芸術が発展しないか。――何事にまれ最初プランがあつて次にその実施がある。プランは精神的作業で、実施は肉体的作業である。このことは時代としてみても(比較的の話だが)プランの時代と実施の時代がある。今は何(いづ)れかと云へば実施の時代である。実施の時代にはえて低級の事が跋扈(ばっこ)する。つまり名辞以前の世界が閑却されがちである。こんな時には芸術的素質の所有者は必要以上に辛(つら)いのである。そんな時には芸術が発展しにくい。――今や漸(やうや)く実施はウダつて来つつある。即ち前代プランが漸く陳腐に感じられつつある。そんな時人は謂ふ所の指導原理もがなといふことになる。然し芸術に指導原理などといふものはない! それどころか芸術に指導原理を気にならない堺(さかひ)に住すれば住する程開始される一つの生命能力である。指導原理だの、何だのと声を涸(か)らしてゐることが、みんな空言であつたと分る日が来るのである。だが振返つて考へてみれば、さういふことを口にしてゐる人は、現実感を以て云つてゐる筈はない。もともと木に竹を接(つ)げると思つてゐられる程の馬鹿でなければ、芸術に指導原理だのといふことを云へるものではない。而も彼等を黙させるに到るものは、多分良い作品の誕生が盛んになつて来ることのほかにはない。面白い物が現前しはじめると、漸く実感は立ち返るものだ。それから彼等だとて全然の空言は吐かぬやうなものだ。
 
一、何故我が国に批評精神は発達しないか。――名辞以後の世界が名辞以前の世界より甚だしく多いからである。万葉以後、我が国は平面的である。名辞以後、名辞と名辞の交渉の範囲にだけ大部分の生活があり、名辞の内包、即ちやがて新しき名辞とならんものが著(いちじる)しく貧弱である。従つて実質よりも名義が何時ものさばる。而(しか)して批評精神というふものは名義に就いてではなく実質に就いて活動するものだから、批評精神といふものが発達しようはない。(偶々批評が盛んなやうでも、少し意地悪く云つてみるならばそれは評定根性である)。
 
 つまり、物質的傾向のある所には批評精神はない。東洋が神秘的だなぞといふのはあまりに無邪気な言辞に過ぎぬ。「物質的」に「精神的」は圧(おさ)へられてゐるので、精神はスキマからチョッピリ呟(つぶや)くから神秘的に見えたりするけれど、もともと東洋で精神は未だ優遇されたことはない。
 
一、生命が豊富であるとは、物事の実現が豊富であるといふことと寧ろ反対であると解する方がよい。何故なら実現された事物はもはや物であつて生命ではない。生命の豊富とはこれから新規に実現する可能の豊富でありそれは謂(い)はば現識の豊富のことである。現識の豊富よいふことがとかく閑却され勝な所に日本の世間の希薄性が存する。とまれ現識の豊富なことは世間では、殊に日本の世間では鈍重とのみ見られ易い。
 
 安ピカ物の方が通りがよいといふことはかにかくに人生が幸福であることではない。価値意識の乏しい所は混雑が支配することとなる。混雑は結局価値乏しい人々をも幸福にはしない。
 
一、幸福は事物の中にはない。事物を観(み)たり扱つたりする人の精神の中にある。精神が尊重されないといふことはやがて事物も尊重されないことになる。精神尊重をロマンチックだとて嗤(わら)う心ほどロマンチックなものはない。之を心理的に見ても、物だけで結構なぞといつてる時人は言葉に響きを持つてゐようことはない。それは自然法則と共に事実である。
 
一、芸術作品といふものは、断じて人と合議の上で出来るものではない。社会と合議の上で出来るものでもない。
 
一、精神的不感症が、歴史だけが面白いのではないかなぞと思つてみることがあるものだ。だが歴史とは個人精神の成果の連続的雰囲気(ふんゐき)である。個人の精神が面白ければそれは歴史も面白かろう。然し、歴史は面白いが個人は恩白くないなぞといふことはあり得ない。
 
(角川書店「新編中原中也全集 第4巻 評論・小説 本文篇」より)
 傍点は省略、一部表記出来ない記号があります。
 「堺」と「境」は同義ですが、原作は両方が使用されています。編者。
 
 
 
 

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