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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和7年8月8日、8月10日ほか

「手紙45」(新全集は「107」)は8月8日付けの絵はがき。
ビロー樹たわわな青島海岸の印刷写真の上に記念スタンプ。
「車中にて」と書かれ
消印は「門司吉松間」とあります。
青島を見学した後、宮崎へ行き
日豊本線の吉松へ向う車中でサラサラと書いて投函したらしい。
 
 
今日 此処に来ました
島を1時間ばかり見て、大急ぎで吉松行に乗りました 今夜吉松に1泊、明日は天草島に渡ります
高森と一緒です
金のない旅行たるや、げに惨憺たるものです。     さよなら
 
海燕の声を、はじめてききましたが、いいですね。
 
 
旅のモード全開。
貧乏旅行で惨憺(さんたん)なようですが
楽しげです。
 
 
次は「46」(新全集では「108」)。
8月10日付け絵はがきです。
「天草、本渡にて」とあります。
 
 
本渡は天草の首府です 人口4千、のんびりした所です、人がみんなにこにこしています。他所から来ている者は殆どない様な風です。酒はいいです。
言葉は、40以上の年配者のは、皆目わかりません。但しこっちのいうことはよく分ります。
 
 
安原のコメントは、「天草百景の絵はがきである。」の1行です。
詩人は旅に慣れ、
安原は東京から10日付けで返信したようです。
 
次の手紙は「47」(新全集は「109」)。
詩人は山口に戻りました。
 
 
 拝復
10日付のお手紙本日落手しました 12日天草より帰ってきました
ゴッホは本名でも又、千駄木八郎でも宜しくお願いします
毎日甲子園を聞いています、退屈です。上京したく、茂ぽっぽにもあいたいですが、23日迄は立てないようです
昨日今日、夜は盆踊りの太鼓が 小さな天地の空に響いています
髪を刈って、イガグリ頭になりました 従って間もなくイガグリ頭で、出現のことと相なります
                        怱々不備
天草はよかったです、路の向うから支那の荷車でもゴロゴロ来そうな、一寸そんな所です
 
 
「ゴッホ伝」が進行しています。
代々木の千駄ヶ谷新田に住んでいる詩人は
その地に因んだペンネームを思いついたのでしょう。
 
「この人物は蓋し彼の比較的永く住んだ土地の名からも幾分由来しているようである。」と安原はコメントします。
 
畳に寝転がってラジオの甲子園野球を聴く詩人。
退屈な時間はこうして過ごし
その頭の中に泰子の子ども・茂樹が現われます。
 
前夜、村の盆踊りに顔を出しましたが
太鼓の音の印象ばかり
「小さな天地の空に響い」ていた――とは
キナ臭い時局へ何かを言いたかった心境でしょうか。
「イガグリ頭」への不満も吐き出されることはありません。
 
 
旅から戻り、
田舎の退屈さも戻り、
さて「仕事」の待つ東京へ、ということになるかと思えば
詩人は金沢へ寄り道しての上京となります。

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