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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和7年3月7日

安原喜弘によると
中原中也が「山羊の歌」の編集作業に着手したのは昭和7年の5月で
フィニッシュしたのが6月ということです。
渋谷・千駄ヶ谷新田に住んでいる時に
編集作業を行ったことになります。
 
「山羊の歌」の編集作業にまもなく着手する時期の手紙を読んでいるのですが
年明けて活動的になった詩人は
3月、帰省の途中で京都に降り立ち
京都帝大を卒業する親友・安原喜弘を訪れます。
 
「86 2月29日 葉書」で「僕の京都通過は7日か8日になるでしょう。」
「87 3月4日 葉書」で「明5日夕刻7時50分頃京都着します」と記し
「88 3月7日 葉書」で「尾道には寄らないで、今朝こちらに着きました。」と書く経過をたどるのですが
「87 3月4日 葉書」に安原が加えた短いコメントは
この間の事情を捉えていて簡潔明快です。
 
 
彼は帰郷の途次2年ぶりで再び京都の私の宿を訪れた。この度は二人はしんみりと酒を飲んだ。彼は是非私にも自分の郷里に来るようにと勧めるのだった。私は月末彼の宅を訪問することを約し、翌日の夜行で彼は発って行った。(講談社文芸文庫版「中原中也の手紙」より)
 
 
京都に1泊した詩人は翌日には車中にあり
そこで一筆したためます。
それが投函されたのは山口です(消印で判明)。
ここでその「88 3月7日 安原喜弘宛 葉書」の全文を読んでおきましょう。
 
 
――尾道には寄らないで、今朝こちらに着きました。尾道を通過したの1時過ぎで、眠っていました。目が覚めたらもう広島でした。降りだしていました。
この葉書をかきながら、窓外をみると、山のてっぺんの、樹と樹とのすき間をとおして雲の流れてゆくのがみえます。(煙は空に身を慌《すさ》び、日陰恰(たの)しく身を嫋《なよ》ぶ)昔の歌。おいでを待ちます。22日迄は高校受験者が二人ばかり来ていますので、23日着かれること好都合ですが、尤も君の都合次第では、何時だって結構です 何卒お待ちします、田舎だってヒト味です。
一緒に山登りしましょう。
 
 
「白痴群」廃刊以来、二人は会うことがなかったのでしょう。
手紙のやり取りで続いていた友情が
再会で温められました。
葉書に書かれた詩は、
「在りし日の歌」に収録される「早春の風」の一部です。
この詩もここで読んでおきましょう。
 
 
春の風
 
  きょう一日(ひとひ)また金の風
 大きい風には銀の鈴
きょう一日また金の風
 
  女王の冠さながらに
 卓(たく)の前には腰を掛け
かびろき窓にむかいます
 
  外(そと)吹く風は金の風
 大きい風には銀の鈴
きょう一日また金の風
 
  枯草(かれくさ)の音のかなしくて
 煙は空に身をすさび
日影たのしく身を嫋(なよ)ぶ
 
  鳶色(とびいろ)の土かおるれば
 物干竿(ものほしざお)は空に往(ゆ)き
登る坂道なごめども
 
  青き女(おみな)の顎(あぎと)かと
 岡に梢(こずえ)のとげとげし
今日一日また金の風……

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