「一筆啓上、中原フク様」昭和6年9月下旬
昭和6年9月下旬(推定)に
母・フクに宛てた封書は東京・千駄ヶ谷からのものと思われますが
発信地は書かれていません。
◇
69 9月下旬(推定) 中原フク宛 封書
10月分受取ました。
恰三の病気また少しわるい由、心配でしょう。此の頃は明け方が寒いから御注意なさい。何分
気候不順なのが不可ないのでしょう。何卒、もともと長い病のことゆえ、一度には癒らないのです
から、あせらずゆっくり養生する様お伝え下さい。
熱があるのですか。腹がはるのですか。お手紙には只少し悪いとだけあって一向に様子がわ
かりません。
僕事毎日登校しています。先日講演を聴くために1時間欠席したほか、無欠席です。
迷わないで食養療法を続けられる様希望します、
皆々御大切に。お祖母さん達によろしく。
怱々
中也
◇
ここで終わったかに見えた手紙は
すぐには投函されなかったのか
追記が加えられます。
◇
母上様
支那とゴタゴタが起りましたね。東京では毎日二三度号外が出ます。地震も可なりありますが、大
したことではありません。
本日有名な易者にみてもらいました、
恰三は今に丈夫になるそうです。こんなに丈夫になったかと驚くことがあるようになるそうです。し
かし来年1月頃まではハッキリしない状態が続くとか。
(※「新かな」「洋数字」に改めてあります。編者。)
◇
「支那とゴタゴタ」は9月18日に勃発した満州事変。
「地震」は、9月21日に起こった西埼玉地震。
関東一帯をマグニチュード7.0が襲いました。
(新全集・第5巻解題篇)
「本日」以下は、小さな字で書かれているそうです。
弟への心配と母への心配が重なります。
……しかし、
恰三は、9月26日、死去します。
« 「一筆啓上、安原喜弘様」昭和6年8月5日 | トップページ | 「一筆啓上、安原喜弘様」昭和6年10月8日、9日 »
「中原中也の手紙から」カテゴリの記事
- 安原喜弘宛の書簡(2014.02.15)
- 「一筆啓上、安原喜弘様」昭和3年〜・出会いの頃(2014.02.06)
- 「一筆啓上、安原喜弘様」昭和10年4月29日(2014.02.06)
- 「一筆啓上、安原喜弘様」昭和10年1月29日、2月16日、3月2日(2014.02.06)
- 「一筆啓上、安原喜弘様」昭和10年1月23日(2014.02.06)