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生きているうちに読んでおきたい14・「永訣の秋」もう一つの女のわかれ・「米子」

その1

「米子」は「よねこ」ですから
なぜまたこんなところに女性の固有名を冠した詩が配置されたのかと
首をひねることになりそうですが
作品内容で見れば
「村の時計」の流れで連続していることが見えてきました。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
肺病やみで、腓《ひ》は細かった。
ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿って、立っていた。

――という書き出しですから
ひっそりと健気(けなげ)そうに生きている女性で
「村の時計」に引けをとらない影のうすい存在感です。

この女性は誰のことを歌っているのか?
――と現実のモデルを探すのは無意味なことでしょう。
そうとは知りながら
あくまで一つの見方ですが
詩人の「永遠の恋人」長谷川泰子とは異なる女性のようだなどと
自然に憶測の羽根が広がります。

しかし、米子(よねこ)は泰子ではなさそうと思った途端に
いや泰子であってもおかしくはないというもう一つの考えが出てきます。

「或る夜の幻想」の「3 彼女」の最終連
  夢の中で、彼女の臍《おへそ》は、
  背中にあった。

――とシュールな表現で
元気のよさそうな女性が長谷川泰子をモデルにしているのなら
「米子(よねこ)」の影のうすいのとは対照的に見えますが
いやここで泰子のもう一つの顔が描かれたとしても変ではないと考え直したらどうなるか。

なかなか捨てがたいアイデアとして
浮かんでくるではありませんか。

そうとなると
「或る夜の幻想」の再構築の際
一度は排除した「彼女」を
別の形でよみがえらせたと考えることができます。

その2

長谷川泰子の勝気なばかりではない側面を
「米子(よねこ)」で描いた――。

そう考えてもよいか
そう考えないほうがよいか。

米子は泰子のことを指しているという考えと
米子は泰子とは異なる女性をモデルにしているが
それが誰であるかは特定できないという考えとが対立しながら存在しますが
「泰子」はもはやこの時点で
実在の泰子以上(以外)の「恋人」になっているともいえますから
どちらでもおかしくはないことを頭に入れてこの詩を読んでみます。

ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿って、立っていた。

――と、米子(よねこ)は
人通りのない歩道に「ポプラ」の木のように立っているのですが
バス待ちなのか人待ちなのか
何かを待っているようで
所在なさそうで影がうすい感じなのが
逆に強烈な存在感を放っているのです。

どうしてそう感じられるかといえば
彼女は「肺病やみ」で「腓(ひ)」=ふくらはぎが細くて
すーっと背の高い姿形(すがたかたち)をしている、というところに
ギョッとさせられるからです。

彼女の名前まで知っており
かぼそい声を聞いたこともあるのですから
知り合いらしいのですが
気安く言葉を交わすほどでもなく
「お嫁にいったら元気になるさ」などと軽口を叩ける間柄でもない。

言い出しにくいわけでもなく
言って彼女の気持ち暗くさせてはまずいと思ったのでもなく
ただ言いそびれ言う機会を失った
――という必然(運命)にあっただけのことを言いたいらしい。

何年か、何十年か経った今、
それゆえに気になって仕方ないのです。
雨上がりの歩道に立つ彼女に
もう一度会ってみたいのです。
もう一度そのかぼそい声を聞きたいのです。

そして今度こそ
わかれの最後の言葉をかけて……。

いまや遠い日のことになったあの時の
あの何ということもない日常の一断面に現われた女性。

彼女が誰であるかという関心は消えていかないものですが
それを詮索(せんさく)しなくても
この詩を味わうことができます。

泰子である、
泰子ではない、
泰子以外の女性で詩人が一時心を動かしたことがある女性――などと
想像しながら読んでもまた楽しからずや、です。

「米子」は
昭和11年12月1日付け発行の「ペン」に初出、
昭和12年4月1日付け発行の「文芸懇話会」に再出、
「在りし日の歌」の「永訣の秋」に
「冬の長門峡」と「正午」に挟まって置かれました。

永遠のわかれのあいさつを
女性にもうひとこと言っておきたいという意図を
この配置から感じ取ることができます。

米 子
 
二十八歳のその処女《むすめ》は、
肺病やみで、腓《ひ》は細かつた。
ポプラのやうに、人も通らぬ
歩道に沿つて、立つてゐた。

処女《むすめ》の名前は、米子と云つた。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであつた。
――かぼそい声をしてをつた。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なお)るかに思はれた。と、そう思いながら
私はたびたび処女《むすめ》をみた……

しかし一度も、さうと口には出さなかつた。
別に、云い出しにくいからといふのでもない
云つて却《かえ》つて、落胆させてはと思つたからでもない、
なぜかしら、云はずじまいであつたのだ。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
歩道に沿つて立つてゐた、
雨あがりの午後、ポプラのやうに。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思ふのだ……

 

 

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