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生きているうちに読んでおきたい名作たち3・「一つのメルヘン」の不可能な風景

その1

叙景ではじまり
起承転結の転が際立つ詩ということで
「春の日の夕暮」を読みましたが
これと似た構造をもつ詩がいくつもあります。

すぐさま浮かぶのが
「一つのメルヘン」です。

一つのメルヘン
 
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

(※新字・新かな表記にしてあります。編者。)

( )で示したルビは
角川版全集編集委員会によるもので
詩人は1か所もこの詩にルビを振っていません。
それほど平易な語句を使って作られた詩です。

秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
――という詩のはじまりや

第3連の
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
――という「転」という構造が
よく読むと「春の日の夕暮」と似ているというだけの理由で
この詩をビギナーの目でじっくりと読んでみます。

というわけで、
まずはこの詩を通しで読んだあとに
辞書を引くとすれば
ルビのある「彼方」と「硅石」くらいでしょうか。
この2語は、ルビがあり読み方が分かるのですから
辞書を使うのは意味を調べるためだけのことですね。

「彼方」は、あっちの方、遠くの方向。
「硅石」は、珪素が化合してできた鉱物。結晶したものが水晶や石英などですから、この詩では水晶みたいなものと考えれば分かりやすいでしょう。

「非常な個体の粉末」がややむずかしく感じられますが
個体は固体と混同されているなどと考えるよりも
「非常な個体の粉末」をひとかたまりの語句として感じ取ったほうが無難でしょう。

平易な言葉使いのうえに
ありました
のでした
――の「ですます調」がやさしい響きを伝えますし、
4行―4行―3行―3行のソネットが
定型であることによる格調感を生み出します。

さらさらとというオノマトペ(擬音語・擬態語)とそのルフラン(英語ではリフレーン)が
心地よく耳をくすぐります。
音感を直撃する詩であることは
一度で体が覚えちゃうほどの親しみを持たせます。

その2

さて、この詩「一つのメルヘン」のはじまりの4行

秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

――の不思議な感覚はなんなのかとじっくり読んでみれば
まずは、夜でありながら陽が射している風景からくることに気づきます。

この不思議な風景、ありえない風景の中に
いきなり迷い込むのですが
迷ったことを意識させない滑らかさがあるために
すらすらとすらすらと読めてしまう詩なのです。

夜なのに陽が射すというのは
まるで舞台にスポットライトが投じられている風景みたいなもののようですから
そのように見なせば自然な景色ですし
メルヘンなのだから
非論理の幻想風景があってもよいだろうなどと考えて
ひっかかることもなく先を読み進めます。

第2連は「承」。
陽といっても、と第1連の陽を説明するのです。

太陽光線でありながら
まるで硅石(けいせき)かなにかのような
非常に硬い個体たとえば水晶の粉末のようなもので
だから、さらさらと、かすかに聞える音を出しているのでした……。

ここでオノマトペ(=さらさら)を介して
陽は光であることから
小さな音を出す物質に変化しますが
言葉の流れが滑らかで心地よいリズムになっているために
じっくり読まないと変化に気がつきませんし
気がついても、メルヘンの世界なのだからと受容する姿勢になっています。
そして第3連の「転」へ進みます。

ここで、一つの蝶々の出現。
無機質な水無しの河原に突如、生き物が現われます。
まるで蝶だけにカラーがついている映画のシーンみたいに。

さらさらと陽が射し
さらさらとかすかな音を立てていた河原に
こんどは一つの蝶が舞い降りたのです。
一匹の蝶ではなく一つの蝶というところが
切り紙細工の作り物のような
それでいて生命のある小さな動物を思わせて幻想的です。

淡くて、しかし、くっきりとした影を
蝶は小石の上に落としました。

だからどうしたのか――。
その疑問が出る前に
きっかりと答えが出ます。

 

それまでひからびていた水無し川が流れ出したのです。
さらさらとさらさらと流れ出したのです。

その3

蝶は神の使いだったのでしょうか?
そのようなことを感じさせておかしくはない
トリックかマジックか。

さらさらとさらさらと
今度は、水が流れているのでありました。

さらさらと、陽がさしている
さらさらと、音を立てている
さらさらと、水が流れている

いろはにこんぺいとう
こんぺいとうはあまい
あまいはさとう
さとうはしろい
しろいはうさぎ
うさぎははねる
はねるはばった
ばったはみどり
みどりははっぱ
はっぱはゆれる
ゆれるはおばけ
おばけはきえる
きえるはでんき
でんきはひかる
ひかるはおやじのはげあたま

昔、こんな歌を歌った記憶がありませんか?
主語と述語の述語を主語に変えて
しりとりのように歌いついでいく子どもたちの遊び――。

中原中也の「一つのメルヘン」は
この述語にあたる部分を
オノマトペ(さらさら)に固定し
ここへ戻っては新たに生まれるイメージを繋いで作られている。
そう考えると分かりやすいかもしれません。

こうして
オノマトペの繰り返しが基調になって
安定したリズムとメロディーとハーモニーを生みます。
さらさらとするものの主体が変化するために
単調さは少しもなく
かえってスリルとサスペンスが保たれます。

さらさらとの使い方も

さらさらと、と単独のもの

さらさらと、
さらさらと、と改行をはさんで2行に分けたもの

さらさらと、さらさらと、と1行の中に繰り返すものの3種類あります。
この使い分けによって
絶妙なリズムをとっているのです。

詩人は、これらの風景を
遠くでもなく近くでもない
ほどよい距離から眺め
ナレーターの役割をも演じています。

「でしたいました」のやさしい口調が
静かな秋の夜を語ります。

そして今、川の水は流れに流れ
次第に水かさを増してゆく感じですが
コンコンともしないで
さらさらと、さらさらとと静かに流れ続けます。

その4

さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

――という、何の変哲もないような1行が
この詩の最終行におかれました。
よく見れば、「……」があり
水がずっと流れ続けることを示しています。

それまで干上がっていた川床に
一つの蝶が舞い降りたことから
水が流れ出すという物語の枠組みだけが語られ
この詩は終わります。
物語の内容は語られず
死んだような川原が生気を取り戻したことだけが告げられる詩ですが
この詩の歯車であり心臓でもあるような役割を
「さらさらと」の一語が負っています。

このオノマトペは
歯車のようでありながら
詩の音数律をきざみ
詩全体のリズム感をも生んでいる心臓部でもあるのです。

「さらさらと」が含まれる行だけの音節数を見ると

第1連は
5―5 それに陽は/さらさらと
5―7―5 さらさらと/射しているので/ありました。

第2連は
5―5 さればこそ/さらさらと
7―4―6 かすかな音を/立てても/いるのでした。

第4連は
5―5―8―5 さらさらと/さらさらと/流れているので/ありました……
――というようになっています。

破調がありながら
5音7音が基調音になっていることがわかるでしょうか。

「さらさらと」というオノマトペが駆使されて
意味やイメージの連鎖が生まれ
57音による流麗なリズムが作り出されました。

「一つのメルヘン」のこの流麗な口調は
第2詩集「在りし日の歌」の「永訣の秋」で
次に配置された「幻影」に
「でした・でした」のナレーションとなって連続し
さらさらと、さらさらと流れるメルヘン世界の川原に
あたかも月光が射し
そこにいつしか一人のピエロが立っていると錯覚するかの風景につながっていきます――。

 

さらには、まったく信じがたいことに
「さらさらと流れているのでありました……」は
「水は流れてありにけり」と
「冬の長門峡」を流れる水の風景につながっていくかのようで驚かされます。

 


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