ツイッター

  • 中原中也(bot)
    (詩の全文が読めるリンク付)
  • 「中原中也」に関するツイート

末黒野

中原中也全詩集

  • おすすめ本

広告

中原中也詩集

  • おすすめ本

« 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・1「月」 | トップページ | 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・3「都会の夏の夜」 »

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・2「春の夜」

その1
 
「月」につづいて
「山羊の歌」中の超・難解詩を読みましょう。
 
 
春の夜
 
燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
  一枝の花、桃色の花。
 
月光うけて失神し
  庭の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。
 
ああこともなしこともなし
  樹々よはにかみ立ちまわれ。
 
このすずろなる物の音(ね)に
  希望はあらず、さてはまた、懺悔(ざんげ)もあらず。
 
山虔(やまつつま)しき木工(こだくみ)のみ、
  夢の裡(うち)なる隊商のその足竝(あしなみ)もほのみゆれ。
 
窓の中(うち)にはさわやかの、おぼろかの
  砂の色せる絹衣(きぬごろも)。
 
かびろき胸のピアノ鳴り
  祖先はあらず、親も消(け)ぬ。
 
埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、
  蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいずる
      春の夜や。
 
 
一つひとつの行をていねい読んで
一つの連を読み終えたら
次の連の行へと進みまた次の行へ
そして、その連を読み終えると次の連へ
 
行から行へ、連から連へ
イメージをつなぎ合わせようとしても
つながらない時があり
こういう時に詩は難解なものになります。
 
「月」のようには整然としていない
「春の夜」が難解なのは
行と行、連と連が連続していないと受け取られて
「物語」を読み取れなかったり
詩を歌っている視点の移動が把握できなかったり
詩自体がピカソの絵のように
複数の視点で描(書)かれていると見られたりするからです。
 
 
その上
一つひとつの詩行が
なぜそこに書かれたか
理由がつかみにくいものがあったり
書かれたことの意味がつかみにくいものであったりもするから
全体をとらえにくいからです。
 
 
第1連第1行の「窓枠」と
第6連第1行の「窓」は
同じ窓なのか、とか、
 
第2連の「失神し」の主体(主語)は何か、
「失神」はどのようなことを喩(たと)えているか、とか
 
第3連の
樹々(きぎ)よはにかみ立ちまわれ。
――の意味は何か、とか、
 
第4連第1行の
「このすずろなる物の音に」の
「この」とは何を指しているのか、とか、
「すずろなる物の音」とは何か、
第7連の「ピアノ」のことか、とか、
 
第5連の
 
山虔(やまつつま)しき木工のみ、
  夢の裡(うち)なる隊商(たいしょう)のその足竝(あしなみ)もほのみゆれ。
 
――は、丸ごと意味が通じない、
なぜ突如、木工や隊商が登場するのか、とか、
 
第7連の
祖先や親とは、誰のことか、とか、
 
……
 
モヤモヤしたものが残ります。
 
 
しかし、難解な詩行はあるにしても
難解な語句はないのが
「春の夜」の特徴といえば特徴です。
 
冒頭連の
 
燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
  一枝(ひとえだ)の花、桃色の花。
 
――は、
銀フレームの窓枠の中に「なごやかに」
1本の花(=女性)があり、
桃色の衣裳を着ている、というような「描写」でしょう。
 
「描写」といっても
写実ではなく
「暗喩(メタファー)」や「象徴化(シンボライゼーション)」などの技を通していますから
情景をイメージするのに少し手間取りますが
この詩のセッティングはおおよそ把握できます。
 
女性がなごやかな状態で窓の中に見える
「春の夜」の情景の歌い出しです。
 
 
ゆらゆらする感じや
クラクラする感覚がありますが
詩のはじまりはすんなりと
詩の中へ入り込んでいけます。
 
 
その2
 
向うに見える窓枠は
この詩の歌い手の右か左かの上方(2階あたり)か
1階の、今歌い手がいる庭に地続きとなった1階の部屋なのか
 
いったん詩の世界に入り込むと
舞台背景(装置)の位置関係が気になりはじめます。
 
女性がなごやかな時を過ごしているのを
窓越しに見上げているのか
もっと近くに親密な距離で女性が見えているのか
 
 
(わたしのいる)庭の地面は月光を受けて「身もそぞろ(失神し)」
まだら状の付け黒子になっている。
 
――という第2連は、
ほの暗い場所の描写ですから
女性のいる部屋からは距離をおいている
歌い手の眼前に庭は広がり
木立ちは庭を取り巻いている……
 
こちらの地上も
「こともなしに」なごやかな時が流れているのだから
木々よ! 揺らすな、風を立てるな
はにかみ立ち回れよ
 
あの部屋から流れるこのすずろな音楽を聞いて
希望が湧くでもなく、かといって、深い悔いの気持ちが生まれるものでもない
 
 
どうやら歌い手は一所にいて
そこからは女性のいる窓も庭の土も木々も見える、という一定の位置から歌ったか
女性のいる部屋から庭へ下りて、という動きを歌ったか
そのどちらかを歌ったと読んでよいことがわかります。
 
「2次元の世界」を歌っているのです。
シュルレアリズムの詩ではありません。
だからそれほど難解ではないような気がしてきます。
 
 
第5連は、長考の末……。
 
つましい暮らしをする木工だけが
夢の中に現われる駱駝(らくだ)のキャラバンの足並みを見るだろう
――と読みました。
 
希望もなく、悔いもなく
「こともない」「春の夜」は
それだけで、この上もこの下もない「充足した時」ですが
なお「隊商のその足竝(あしなみ)」を夢の中で見ることが出来るとすれば
つつましい木工の暮らしに習いなさい、
――と自らに言い聞かせるのです。
 
「隊商の足竝(あしなみ)」は
自由で豊かで安定して勢いのある生活の象徴にほかなりません。
 
ややモラリッシュな詩行の観がありますが
ここはこの詩が単に風景描写の詩に止まらないことを示します。
 
この連を経て
また女性のいる部屋に視線は誘われます。
 
窓の中(うち)にはさわやかの、おぼろかの
  砂の色せる絹衣(きぬごろも)。
 
こんど「花」は「絹衣」になって姿を現わしますが
その絹衣は「砂の色」です。
より艶(なま)めかしくなりますが
エロチックというほどではありません。
 
 
その3
 
「春の夜」に流れている「すずろなる物の音(ね)」(第4連)は
第7連にきて
「かびろき胸のピアノ」という正体を現わします。
 
このピアノを弾くのは
「一枝の花、桃色の花」(第1連)の女性でしょうか?
「砂の色せる絹衣(きぬごろも)」の女性でしょうか?
これらの女性は同一人物でしょうか?
 
それとも窓の中には
ほかにピアノの演奏者がいるのでしょうか?
その演奏者は女性でないこともあるでしょうか?
 
 
かびろき胸のピアノ鳴り
  祖先はあらず、親も消(け)ぬ。
 
――という第7連にやってきて
これらの疑問に答えを出さなくては
詩を読みきれないというような
見極めの段階に入ります。
 
この詩のヒロインが
一人か否かかは
この詩の命に関わることです。
 
そのことを読み取らねばならないところにさしかかっています。
判断する時期です。
 
 
最終連
埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、
  蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいずる
      春の夜や。
 
――とともに第7連は
この詩の「結び」(エンディング)なので
まさに「読む」ことを求められています。
 
ああも考えられる
こうも考えられる、という「判断停止(留保)」を脱し
詩の核心に触れるのです。
 
 
ピアノを弾く女性のいでたちが
意外(?)に
胸幅(むなはば)があるというイメージは
7オクターブもある鍵盤の左から右、右から左と
鍵をなぞって往復する奏者の「逞(たくま)しさ」を表わすのでしょうか。
 
ピアノを弾く姿に孤独の影があるのは
祖先や親や……係累を感じさせない「強さ」があるからです。
彼女は一人でなければなりません。
 
 
最終連の
「埋みし犬」の意味が
このようにして導き出されていきます。
 
祖先、親……
埋葬した愛犬……
すべての過去……
 
次々に立ち昇ってくる!
サフラン色に
わーっと湧いてくる!
 
春の夜――。
 
 
詩を読み終えようとする時に
歌い手である詩人は
孤影ただよう女性その人に重なっています。
 
詩人は女性と同化しています。

« 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・1「月」 | トップページ | 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・3「都会の夏の夜」 »

スポンサードリンク

「山羊の歌」〜羊の歌

未発表詩篇〜ダダ手帖(1923年〜1924年)

おすすめ本

中原中也の手紙から

中原中也の手紙

ランボー詩集

  • おすすめ本

中原中也が訳したランボー(はじめに)

ランボー詩集〜附録

ランボー詩集〜後記

ランボー〜ノート翻訳詩

ランボー〜翻訳草稿詩篇

ランボー