中原中也の詩に出てくる「人名・地名」 5
未発表詩篇に現われる「地名・人名」を見ていますが、次には
「草稿詩篇(1925年―1928年)」20篇
「ノート小年時(1928年―1930年)」16篇
「早大ノート(1930年―1937年)」42篇
「草稿詩篇(1931年―1932年)」13篇が控えています。
これらの詩に出てくる「地名・人名」を一気にピックアップします。
<草稿詩篇(1925年―1928年)>
夜寒の都会
ガリラヤの湖にしたりながら、
天子は自分の胯(また)を裂いて、
ずたずたに甘えてすべてを呪った。
※「ガリラヤ」
◇
地極の天使
マグデブルグの半球よ、おおレトルトよ! 汝等祝福されてあるべきなり、其(そ)の他はすべて分解しければ。
マグデブルグの半球よ、おおレトルトよ! われ星に甘え、われ太陽に傲岸ならん時、汝等ぞ、讃(たた)うべきわが従者!
※「マグデブルグ」
◇
詩人の嘆き
マダガスカルで出来たという、
このまあ紙は夏の空、
綺麗に笑ってそのあとで、
ちっともこちらを見ないもの。
※「マダガスカル」
<ノート小年時(1928年―1930年)>
ここに「地名・人名」は現われません。
<早大ノート(1930年―1937年)>
干 物
外苑の舗道しろじろ、うちつづき、
千駄ヶ谷、森の梢のちろちろと
空を透かせて、われわれを
視守(みまも)る 如(ごと)し。
※「外苑」「千駄ヶ谷」
さまざまな人
打返した綿のようになごやかな男、
ミレーの絵をみて、涎(よだれ)を垂らしていました。
※「ミレー」
◇
(支那というのは、吊鐘の中に這入っている蛇のようなもの)
支那というのは、吊鐘(つりがね)の中に這入(はい)っている蛇のようなもの。
日本というのは、竹馬に乗った漢文句調、
いや、舌ッ足らずの英国さ。
※「支那」
◇
(ポロリ、ポロリと死んでゆく)
俺の全身(ごたい)よ、雨に濡れ、
富士の裾野(すその)に倒れたれ
読人不詳
※「富士の裾野(すその)」
◇
マルレネ・ディートリッヒ
※「マルレネ・ディートリッヒ」
◇
(ナイヤガラの上には、月が出て)
ナイヤガラの上には、月が出て、
雲も だいぶん集っていた。
波頭(はとう)に月は千々に砕(くだ)けて、
どこかの茂みでは、ギタアを弾(かな)でていた。
ナイアガラの上には、月が出て、
僕は中世の恋愛を夢みていた。
僕は発動機船に乗って、
奈落の果まで行くことを願っていた。
※「ナイアガラ」
◇
(僕達の記臆力は鈍いから)
僕達の記臆力は鈍いから、
僕達は、その人の鬚(ひげ)くらいしか覚えておらぬ
嘗(かつ)てその人がシガレットケースをパンと開いて、
エジプト煙草を取り出したことももう忘れている。
※「エジプト煙草」
◇
(宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて)
三富朽葉(くちば)よ、いまいずこ、
明治時代よ、人力も
今はすたれて瓦斯燈(ガスとう)は
記憶の彼方(かなた)に明滅す。
※「三富朽葉(くちば)」
<草稿詩篇(1931年―1932年)>
三毛猫の主の歌える
青山二郎に
※「青山二郎」
◇
Tableau Triste
A・O・に。
私の心の、『過去』の画面の、右の端には、
女の額(ひたい)の、大きい額のプロフィルがみえ、
それは、野兎色(のうさぎいろ)のランプの光に仄照(ほのて)らされて、
嘲弄的(ちょうろうてき)な、その生え際(ぎわ)に隈取(くまど)られている。
※「A・O・」
◇
青木三造
※「青木三造」
◇
脱毛の秋 Etudes
瀝青(チャン)色の空があった。
一と手切(ちぎ)りの煙があった。
電車の音はドレスデン製の磁器を想わせた。
私は歩いていた、私の膝は櫟材(くぬぎざい)だった。
とある六月の夕(ゆうべ)、
石橋の上で岩に漂う夕陽を眺め、
橋の袂(たもと)の薬屋の壁に、
松井須磨子のビラが翻(ひるがえ)るのをみた。
私は親も兄弟もしらないといった
ナポレオンの気持がよく分る
ナポレオンは泣いたのだ
泣いても泣いても泣ききれなかったから
なんでもいい泣かないことにしたんだろう
※「ドレスデン製の磁器」「松井須磨子」「ナポレオン」
◇
幻 想
ブルターニュの町で、
秋のとある日、
窓硝子(まどガラス)はみんな割れた。
石畳(いしだたみ)は、乙女の目の底に
忘れた過去を偲(しの)んでいた、
ブルターニュの町に辞書はなかった。
※「ブルターニュ」
◇
お会式の夜
十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、
太鼓の音の、絶えないその夜を。
※「池上の本門寺」
◇
「草稿詩篇(1925年―1928年)」20篇中、3篇。
「ノート小年時(1928年―1930年)」16篇中にはゼロ。
「早大ノート(1930年―1937年)」42篇中、7篇。
「草稿詩篇(1931年―1932年)」13篇中、6篇。
比率を見ても無意味でしょうか。
いづれにしても、多くはないけれど
「歴史」を飛び交い
「世界」を飛び回り
「行きつけの場所」「フェーバリットな町」に触れ
「親友」へ捧(ささ)げ
「文学者」「俳優」へオマージュし……
自在に引っ張っている感じです。
◇
「地名・人名」だけを記すと、
「ガリラヤ」
「マグデブルグ」
「マダガスカル」
「外苑」
「千駄ヶ谷」
「ミレー」
「支那」
「富士の裾野(すその)」
「マルレネ・ディートリッヒ」
「ナイアガラ」
「エジプト煙草」
「三富朽葉(くちば)」
「青山二郎」
「青木三造」
「ドレスデン製の磁器」
「松井須磨子」
「ナポレオン」
「ブルターニュ」
「池上の本門寺」
――となります。
これらは
「知識」「教養」というものではなく
「詩」の血であり肉であり骨です。
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