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中原中也の詩に出てくる「人名・地名」 5

未発表詩篇に現われる「地名・人名」を見ていますが、次には
「草稿詩篇(1925年―1928年)」20篇
「ノート小年時(1928年―1930年)」16篇
「早大ノート(1930年―1937年)」42篇
「草稿詩篇(1931年―1932年)」13篇が控えています。
 
これらの詩に出てくる「地名・人名」を一気にピックアップします。
 
 
<草稿詩篇(1925年―1928年)>
 
夜寒の都会
 
ガリラヤの湖にしたりながら、
天子は自分の胯(また)を裂いて、
ずたずたに甘えてすべてを呪った。
※「ガリラヤ」
 
 
地極の天使
 
 マグデブルグの半球よ、おおレトルトよ! 汝等祝福されてあるべきなり、其(そ)の他はすべて分解しければ。
 マグデブルグの半球よ、おおレトルトよ! われ星に甘え、われ太陽に傲岸ならん時、汝等ぞ、讃(たた)うべきわが従者!
※「マグデブルグ」
 
 
詩人の嘆き
 
マダガスカルで出来たという、
このまあ紙は夏の空、
綺麗に笑ってそのあとで、
ちっともこちらを見ないもの。
※「マダガスカル」
 
<ノート小年時(1928年―1930年)>
 
ここに「地名・人名」は現われません。
 
<早大ノート(1930年―1937年)>
 
干 物
 
外苑の舗道しろじろ、うちつづき、
千駄ヶ谷、森の梢のちろちろと
空を透かせて、われわれを
視守(みまも)る 如(ごと)し。
※「外苑」「千駄ヶ谷」
 
さまざまな人
 
打返した綿のようになごやかな男、
ミレーの絵をみて、涎(よだれ)を垂らしていました。
※「ミレー」
 
 
(支那というのは、吊鐘の中に這入っている蛇のようなもの)
 
支那というのは、吊鐘(つりがね)の中に這入(はい)っている蛇のようなもの。
日本というのは、竹馬に乗った漢文句調、
いや、舌ッ足らずの英国さ。
※「支那」
 
 
(ポロリ、ポロリと死んでゆく)
           俺の全身(ごたい)よ、雨に濡れ、
           富士の裾野(すその)に倒れたれ
                       読人不詳
※「富士の裾野(すその)」
 
 
マルレネ・ディートリッヒ
※「マルレネ・ディートリッヒ」
 
 
(ナイヤガラの上には、月が出て)
 
ナイヤガラの上には、月が出て、
雲も だいぶん集っていた。
波頭(はとう)に月は千々に砕(くだ)けて、
どこかの茂みでは、ギタアを弾(かな)でていた。
 
ナイアガラの上には、月が出て、
僕は中世の恋愛を夢みていた。
僕は発動機船に乗って、
奈落の果まで行くことを願っていた。
※「ナイアガラ」
 
 
(僕達の記臆力は鈍いから)
 
僕達の記臆力は鈍いから、
僕達は、その人の鬚(ひげ)くらいしか覚えておらぬ
嘗(かつ)てその人がシガレットケースをパンと開いて、
エジプト煙草を取り出したことももう忘れている。
※「エジプト煙草」
 
 
(宵に寝て、秋の夜中に目が覚めて)
 
  三富朽葉(くちば)よ、いまいずこ、
  明治時代よ、人力も
  今はすたれて瓦斯燈(ガスとう)は
  記憶の彼方(かなた)に明滅す。
※「三富朽葉(くちば)」
 
<草稿詩篇(1931年―1932年)>
 
三毛猫の主の歌える
       青山二郎に
※「青山二郎」
 
 
Tableau Triste
          A・O・に。
 
私の心の、『過去』の画面の、右の端には、
女の額(ひたい)の、大きい額のプロフィルがみえ、
それは、野兎色(のうさぎいろ)のランプの光に仄照(ほのて)らされて、
嘲弄的(ちょうろうてき)な、その生え際(ぎわ)に隈取(くまど)られている。
※「A・O・」
 
 
青木三造
※「青木三造」
 
 
脱毛の秋 Etudes
 
瀝青(チャン)色の空があった。
一と手切(ちぎ)りの煙があった。
電車の音はドレスデン製の磁器を想わせた。
私は歩いていた、私の膝は櫟材(くぬぎざい)だった。
 
とある六月の夕(ゆうべ)、
石橋の上で岩に漂う夕陽を眺め、
橋の袂(たもと)の薬屋の壁に、
松井須磨子のビラが翻(ひるがえ)るのをみた。
 
私は親も兄弟もしらないといった
ナポレオンの気持がよく分る
 
ナポレオンは泣いたのだ
泣いても泣いても泣ききれなかったから
なんでもいい泣かないことにしたんだろう
※「ドレスデン製の磁器」「松井須磨子」「ナポレオン」
 
 
幻 想
 
ブルターニュの町で、
秋のとある日、
窓硝子(まどガラス)はみんな割れた。
石畳(いしだたみ)は、乙女の目の底に
忘れた過去を偲(しの)んでいた、
ブルターニュの町に辞書はなかった。
※「ブルターニュ」
 
 
お会式の夜
 
十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、
太鼓の音の、絶えないその夜を。
※「池上の本門寺」
 
 
「草稿詩篇(1925年―1928年)」20篇中、3篇。
「ノート小年時(1928年―1930年)」16篇中にはゼロ。
「早大ノート(1930年―1937年)」42篇中、7篇。
「草稿詩篇(1931年―1932年)」13篇中、6篇。
 
比率を見ても無意味でしょうか。
いづれにしても、多くはないけれど
「歴史」を飛び交い
「世界」を飛び回り
「行きつけの場所」「フェーバリットな町」に触れ
「親友」へ捧(ささ)げ
「文学者」「俳優」へオマージュし……
自在に引っ張っている感じです。
 
 
「地名・人名」だけを記すと、
「ガリラヤ」
「マグデブルグ」
「マダガスカル」
「外苑」
「千駄ヶ谷」
「ミレー」
「支那」
「富士の裾野(すその)」
「マルレネ・ディートリッヒ」
「ナイアガラ」
「エジプト煙草」
「三富朽葉(くちば)」
「青山二郎」
「青木三造」
「ドレスデン製の磁器」
「松井須磨子」
「ナポレオン」
「ブルターニュ」
「池上の本門寺」
 
――となります。
 
これらは
「知識」「教養」というものではなく
「詩」の血であり肉であり骨です。

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