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中原中也の詩に出てくる「人名・地名」14

中原中也の詩に現われる「地名・人名」を見ていますが
「山羊の歌」に出てきたものと同じに
「在りし日の歌」や「生前発表詩篇」に出てくる「人名」も馴染み深いものが多くあり
感じ方は人によってさまざまではありましょうが
「未発表詩篇」になってだんだん馴染みが薄くなっていくような印象があります。
 
 
「山羊の歌」で【ボードレール】【ソロモン】【バッハ】【モツアルト】を飛ばしましたが【ソロモン】だけ少しコメントを加えておきます。
 
【ソロモン】
中原中也の第1詩集「山羊の歌」の最終詩「いのちの声」のエピグラフに「もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。――ソロモン」とあるのは、旧約聖書の「ソロモンの箴言」からのものらしいのですが、ぴたり一致するものは見つかりません。そのため、中原中也によってアレンジされていると推定されています。その元になったのは、「伝道の書」第1章14節「我日の下に作すところの諸の行為(わざ)を見たり嗚呼皆空にして風を捕ふるがごとし」または、同書第2章20節「我身をめぐらし日の下にわが労して為したる諸の動作のために望を失へり」です。紀元前3世紀にパレスチナで成立したといわれている「伝道の書」別名「コーヘレト書」に、詩人は思いを馳せて、「いのちの声」を歌ったのでしょうか。「引照旧新約全書」という聖書を詩人は所有していましたし、読んだであろうことがわかっています(「新全集・第1巻・詩Ⅰ解題篇」より)。
 
 
「外国の人名」だけを見ると「在りし日の歌」には
【ヴェルレーヌ】
【ヴェル氏】
【コボルト】
【ジュピター神】 
【ジオゲネス】
【ベートーヴェン】
【シューバート】
【シュバちゃん】
【ベトちゃん】
【チルシス】
【アマント】
 
「生前発表詩篇」には
【ピチベ】
【クリンベルト】
【アブラハム・リンカン氏】
【リンカンさん】
【「リンカン氏】
【キリスト】
 
「未発表詩篇」には
【釈迦】(しゃか)
【キリスト】
【クリスト】
【バルザック】
【ボヘミアン】
【ミレー】
【マルレネ・ディートリッヒ】
【ナポレオン】
【ランボオ】
――が登場します。
 
 
まず「在りし日の歌」の人名をじっと眺めていると
 
【ヴェルレーヌ】
【ヴェル氏】
【ベートーヴェン】
【シューバート】
【シュバちゃん】
【ベトちゃん】
――という詩人・音楽家のグループ。
【コボルト】
【ジュピター神】 
【チルシス】
【アマント】
――という神話・伝説のグループ。
【ジオゲネス】
――古代ギリシア哲学者で実在した人物。というように分類できます。
 
【ヴェルレーヌ】【ヴェル氏】は、中原中也がもっともその詩を評価した詩人で、ランボーの「発見者」であり「友人」であり「恋人」でもありました。
※別の機会に詳細を述べることにします。
 
やや聞きなれないのが【コボルト】【ジュピター神】【チルシス】【アマント】
 
【ジュピター神】
ローマ神話のジュピターのことで、ギリシア神話ではゼウスです。
 
【コボルト】
ドイツ民間伝承に出てくる妖精。ときに邪悪な精霊として登場します。グリム童話にも「奇妙な小人」として登場したり、英語圏ではゴブリンとして出てきます。
 
【チルシス】【アマント】
元をたどると、古代ギリシアの詩人テオクリストスの「牧歌」に出てくる牧人の男性の名「チュルシス」「アミュンタス」。古代ローマの詩人ウェルギリウスの「詩選」にも引用され、16世紀、イタリアの詩人タッソの牧歌劇「アミンタ」へと受け継がれました。イタリア名「ティルシ」「アミンタ」。――などと、新全集で解説されています。「チルシス」「アミント」はフランス語です。
 
 
【ジオゲネス】は、まずそれが現われる詩「秋日狂乱」を読んでおきましょう。
 
秋日狂乱
 
僕にはもはや何もないのだ
僕は空手空拳(くうしゅくうけん)だ
おまけにそれを嘆(なげ)きもしない
僕はいよいよの無一物(むいちもつ)だ
 
それにしても今日は好いお天気で
さっきから沢山の飛行機が飛んでいる
――欧羅巴(ヨーロッパ)は戦争を起(おこ)すのか起さないのか
誰がそんなこと分るものか
 
今日はほんとに好いお天気で
空の青も涙にうるんでいる
ポプラがヒラヒラヒラヒラしていて
子供等(こどもら)は先刻(せんこく)昇天した
 
もはや地上には日向(ひなた)ぼっこをしている
月給取の妻君(さいくん)とデーデー屋さん以外にいない
デーデー屋さんの叩(たた)く鼓(つづみ)の音が
明るい廃墟を唯(ただ)独りで讃美(さんび)し廻(まわ)っている
 
ああ、誰か来て僕を助けて呉れ
ジオゲネスの頃には小鳥くらい啼(な)いたろうが
きょうびは雀(すずめ)も啼いてはおらぬ
地上に落ちた物影でさえ、はや余(あま)りに淡(あわ)い!
 
――さるにても田舎(いなか)のお嬢さんは何処(どこ)に去(い)ったか
その紫の押花(おしばな)はもうにじまないのか
草の上には陽は照らぬのか
昇天(しょうてん)の幻想だにもはやないのか?
 
僕は何を云(い)っているのか
如何(いか)なる錯乱(さくらん)に掠(かす)められているのか
蝶々はどっちへとんでいったか
今は春でなくて、秋であったか
 
ではああ、濃いシロップでも飲もう
冷たくして、太いストローで飲もう
とろとろと、脇見もしないで飲もう
何にも、何にも、求めまい!……
 
 
第5連に「ジオゲネスの頃には小鳥くらい啼(な)いたろうが」とあり
古代ギリシアの哲人が生きていた時代の「春」でさえ小鳥くらいは鳴いていたろうが
今日は雀一羽もないていないもの静かな秋の日だ――と歌うための導入として「ジオゲネス」は登場します。
 
「ジオゲネス」は、ディオゲネス、ヂオゲネなどとも表記します。ソクラテスの孫弟子(まごでし)にあたります。犬儒派(けんじゅは)、キュニコス派という哲学の流れに属しています。「樽の哲人」というニックネームで知られるように、粗末な家に住んでいましたが、アレキサンダーが評判を聞きつけて訪れた時、ひなたぼっこをしていたジオゲネスが陰になり、「そこをどいてくれたまえ。陽がかげってしまう」とアレクサンダーに言ったことが伝わっています。「秋日狂乱」は、このエピソードが頭の片隅にあって書かれたことは間違いないことでしょう。

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