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生きているうちに読んでおきたい名作たち8・「永訣の秋」の街へのわかれ・「正午」

その1

「月の光」は
お庭の隅にも芝生にも
月光が満遍(まんべん)なく降り注(そそ)いで
真昼のような「影のない世界」を歌います。

死んだ子が隠れている草叢でさへ
月の光が照っていては丸見えで
その子どもに「影がない」感じが
妙に生々しい非現実感――こんなことってあるのか!――を漂わせます。

太陽が南中し
モノの影が極小になる時刻=正午と
月光が影のない世界をつくりだす「月の光」の詩世界との連続を
中原中也が意識していたとは断言できませんが
「正午 丸ビル風景」は
「春日狂想」の前にあって
「永訣の秋」の最終詩「蛙声」へ続く位置に配置されている口語詩です。

「在りし日の歌」の末尾から3番目にあり
「月の光 その二」から4作おいて
この詩が現われます。

詩集「在りし日の歌」に
「在りし日の歌」と「永訣の秋」の章が立てられたからには
「永訣の秋」の章に格別の思いが込められたことを想像できますが
それはどのようなことだったでしょう――。

「永訣の秋」の「秋」は「秋=あき」ではなく「秋=とき」であろう

季節としての秋というより
「わかれのその時」の「とき」のニュアンスだろう

ならば
「正午 丸ビル風景」も
「わかれのとき」を刻印した詩であろう

――と、もう一度読み返してみたくなる名作の一つです。

「永訣の秋」の冒頭には
「ゆきてかへらぬ」という
「街へのわかれ」の詩がすでにあり
そこでは「京都へのわかれ」が歌われました。

「東京へのわかれ」が
この詩「正午 丸ビル風景」であるだろう

――という眼(まなざし)に沿って読んでみましょう。

(つづく)

正 午
       丸ビル風景
  
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな
 
※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

その2

さらば東京、と記すのは
「在りし日の歌」の後記ですが
「正午 丸ビル風景」に表(おもて)立っていなくても
そこに東京へのわかれが刻まれていることは
「在りし日の歌」中の「永訣の秋」に収められていることで
知ることができます。
それ以外に知る手掛かりはありません。

読みようによっては
ほかの読み方もできるこの詩を
「街へのわかれ」という眼(まなざし)で読んでみたいのは
こういう理由です。

声に出してみればよくわかるのですが
この詩も
ルフランと57、55、77のリズムでグイグイと押し
使われる言葉もほぼ日常語です。

おや、と思える言葉遣いは
第8行の

なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな

――で、これは、
酒なくてなんのおのれが桜かな、という狂句か川柳みたいなのを流用しているところ。

小唄・端唄、川柳、ことわざなどの慣用表現に
新しい空気を吹き込む詩法は
中原中也の得意技です。

風化し手垢にまみれたような言葉を意識的に使い
言葉をよみがえらせてしまうマジックは
単に慣用表現ばかりでなく
日常語全般に向けられました。

この詩の他の行に使われている言葉も
ほとんどが日常語です。

よく読めば
最終行

空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

――の下句だけが古語(文語)です。

ルフランも

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口

――とあり、
これを数えれば、全12行のうち8行もあります。

この中でも

サイレンだ、サイレンだサイレンだ
出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
桜かな、桜かな桜かな
サイレンだ、サイレンだサイレンだ
出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

――と上句の末尾を受けて下句で繰り返されるルフランが6行あります。

上句にも

ぞろぞろぞろぞろ
あとからあとから
ぞろぞろぞろぞろ

――とオノマトペを含んだルフランが現われ、

ほかの行にも、

ぷらりぷらり、薄曇り、薄曇り、響き響きて

――と繰り返しが見られます。

これらのルフランは
調子を取り、語呂を合わせるだけに用いられているようでありながら
そう考えるのはとんでもない間違いで
これを無くしてしまったら
詩は生命を落すようなことになってしまう重要な役割をもっています。

「一つのメルヘン」の「さらさら」と同じように
血であり肉であり心臓でもあるようなパーツになっているのです。

その3

かつて救急車や消防車の警笛は手動で
目的地へ向かってウーウーウーという音を出しながら走るのが
東京の町でも見られたものです。
防水頭巾を被った消防士が
腕を旋回させて警笛の音を出す姿が車上にありました。

小学校や中学校などの正午を告げるサイレンと
それらの音色は同じものだった記憶があります。

中原中也が
東京駅にやって来たときの行き帰りに
丸の内のビルを眺めたことは何度かあったことでしょうが
ビルの屋上あたりから発するサイレンを聞いたのは
そう多くあったことではないでしょう。

手紙を頻繁に書く習慣があった詩人のことですから
中央郵便局をしばしば利用したことが想像できますから
「正午」のサイレンは
東京駅を降りたところのどこかで聞いたものかなどと
想像の羽根は広がっていきます。

大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立っている
ひょんな眼付で見上げても、眼を落としても……

――の3行からは
やや遠目でビルを眺めている角度が感じられますから
東京駅に向かう道での振り向きざまの光景なのか。

見上げた空は広々としていて
桜は満開をとうに越えている時期。

もう見ることはないかもしれない風景……。

ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

――と、なぜ、ああ、なのか?
ああ、と感動詞を使うほどサイレンの音になぜ感動しなければならないか?

大正14年に上京して以来10有余年。
街そのものを嫌いになったわけではない詩人の眼に
丸の内のビルから吐き出されるかのように出てくるサラリーマンの姿は
嫌悪の対象として映ったのではなく
懐かしくも愛(いと)おしいものであったのではないか。

やっと職務を解放された勢いで
プラーリプラーリ手を振っちゃって
お天気の具合を見上げる眼つきといい
目を落して地面の具合を見やる物腰といい

ああ! と感動せずにいられようか!

酒がなくて
どうして桜花を愛(め)でられようか!

詩人は
二度と訪れることのないかもしれない丸ビルのサラリーマンたちに
ほとんどシンクロしちゃって、
サイレンの音色にもシンクロしちゃって、
風に乗って消えて行っちゃいそうになっています。

影ひとつない正午です。

その4

「正午」の第8行

なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな

――は、まるで詩人が見ている月給取りの呟(つぶや)きであるかのようです。

この行に来て
月給取りと詩人はオーバーラップし
心理的にもシンクロし
桜かな、桜かな、と唱和しているかのようです。

詩人のこの視線をどこかで見た覚えがあって
それはなにかと辿(たど)ってみれば

その脣(くちびる)は胠(ひら)ききって
その心は何か悲しい。
頭が暗い土塊(つちくれ)になって、
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。

――という「都会の夏の夜」の一節でした。

この詩にある「何か悲しい」に似て
「正午」の詩人は
ビルからゾロゾロゾロゾロ出てくる月給取りたちを
「愛しい=かなしい」眼で見ていると感じられてなりません。

正午のサイレンを聞くサラリーマンは
解放された小鳥さながら
ぷらーりぷらーりと脱力した腕を振って
空を見上げたり地面を見たり
この世の春を楽しんでいるかのようでさえあります。

その心を詩人は
この「とき」になって理解したのです!

この「とき」、月給取りたちが
なんのおのれが桜かなと歌うのが聞えてきました。

では、詩人にもサイレンは
解放を告げる音色として聞こえていたのでしょうか?

一面、そういう音色でもあったはずですが
一面、その反対でもあったはずです。

「わかれ」は
悲喜こもごも。

危急を告げる音色でもあり
胸を締めつける音色でもあり
肩の荷が下りる音色でもあった

しかし、いま
万感の思いはサイレンの音色とともに
丸の内ビルディングの空の彼方(かなた)へ
木霊(こだま)しつつ消えていきます。

 

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