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末黒野

中原中也全詩集

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1 Ver erat

春であった、オルビリュスは羅馬で病いに苦しんでいた
彼は身動きも出来なかった、無情な教師、彼の剣術は中止されていた
その打合いの音(ね)は、我が耳を聾さなかった
木刀は、打続く痛みを以って我が四肢をいためることをやめていた。
機(おり)もよし、私は和やかな田園に赴(はし)った
全てを忘(ばう)じ……転地と懸念のなさとで
柔らかい欣びは研究に倦んじた我が精神を休めるのであった。
云うべからざる満足に充たされ、我が心は無味乾燥の学校を忘れ、彼、教師の魅力なき学課を忘れ、私ははるかな野面(のづら)を見遣り、春の大地のおもしろき、幻術を観るに余念なかった。
子供の私は、かの田園の逍遥なぞと、洒落(しゃれ)ることこそなかったけれど
小さな我が心臓は、いと気高(けだか)き渇望に膨らんでいた
如何なる聖霊が我が昂(たか)ぶれる五感にまで
翼を与えたか私は知らぬが、押黙った歎賞を以て
我が眼は諸々の光景を打眺め、我が胸の裡(うち)に
やさしき田園への愛惜は忍び入るのであった。マニェジイの磁石が或る見えざる力に因って、音もなく
ありともわかぬ鉤(かぎ)もて寄する、かの鉄環の如くであった。

それにしても私の四肢(てあし)は、我が浮浪の幾歳月(としつき)に衰えていたので、
私は緑色なす川の岸辺に身をば横たえ、
たをやけきそが呟きのまにまにまどろみ、怠惰のかぎりに
鳥らの楽音、風神(ふうしん)の息吹(いぶ)きに揺られていた。
さて雌鳩らは谷間の空に飛びかよい
そが白き群は、シイプルの園に、ヴィーナスが摘みし
薫れりし花の冠を咬(くわ)えていた。
雌鳩らは、静かに飛んで、我が寝そべっている

芝生の方までやって来て、私のまわりに羽搏いて
私の頭(こうべ)を取囲み、我が双の手を
草花の鎖で以て縛(いまし)めた。又、顳顬(こめかみ)を
薫り佳き桃金嬢もて飾り付け、さて軽々(かろがろ)と私を空に連れ去った
彼女らは雲々の間(あいだ)を抜けて、薔薇の葉に
仮睡(まどろ)みいたりし私を運び、風神は、
そが息吹(いぶ)きもてゆるやかに、我がささやかな寝台(とこ)をあやした。

鳩ら生れの棲家に到るや
即ち迅き飛翔もて、高山(たかやま)に懸かるそが宮殿に入るとみるや、
彼女ら私を打棄てて、目覚めた私を置きざりにした。
おお、小鳥らのやさしい塒(ねぐら)!……目を射る光は
我が肩のめぐりにひろごり、我が総身はそが聖い光で以て纏われた。
その光というのは、影をまじへ、我らが瞳を曇らする
そのような光とは凡(おおよ)そ異(ちが)い、
その清冽な原質は此の世のものではなかったのだ。
天界の、それがなにかはしらないが或る神明(しんめい)が、
私の胸に充ちて来て大浪のようにただようた。

やがて鳩らはまたやって来た、嘴々(くちぐち)に
調べ佳き合唱を、指(および)もて指揮するを喜んだ
アポロンのそれに似た、月桂樹編んで造れる冠携(たずさ)え。
さて鳩らそを我が額(ぬか)に被(かづ)けるとみるや
空は展(ひら)かれ、めくるめく我が眼(め)には、
フェビュス親しく雲の上、黄金の雲の上、飛び翔けり舞うが見られた。
ビュスは我が上にそが神聖な腕を伸べ、
又頭の上には、天上の炎もて
《汝(なんじ)詩人たるべし!》と記(しる)した。すると我が四肢に
異常の温暖は昇り来り、そが清澄もて光り耀く
清らの泉は太陽の光に炎え立った。
扨も鳩ら先刻(さき)にせる姿を改め、
美神(ヴィーナス)等合唱隊(コーラス)を作(な)し優しき声もて歌を唱えば
鳩らそが腕に私を抱きとり、空の方へと連れ去った
三度(みたび)《汝、詩人たるべし!》と呼び、三度(みたび)我が額(ぬか)を月桂樹もて装(よそお)うて、空の方へと連れ去った。

     千八百六十八年十一月六日
       シャルルヴィル公立中学通学生
         ランボー・アルチュール
           シャルルヴィルにて、千八百五十四年十月二十日生


ひとくちメモ その1

春であった、オルビリュスはローマで病いに苦しんでいた
彼は身動きも出来なかった、無情な教師、彼の剣術は中止されていた
その打ち合いの音は、我が耳を聾さなかった
木刀は、打ち続く痛みをもって我が四肢をいためることをやめていた。
機(おり)もよし、私は和やかな田園に赴(はし)った
全てを忘じ……転地と懸念のなさとで
柔らかい欣(よろこ)びは研究に倦んじた我が精神を休めるのであった。

(これは「Ver erat」という詩のはじまりの部分です。
「ランボオ詩集《学校時代の詩》」の
巻頭にあります。
中原中也訳の原作を
単純に現代表記化してみますと
このような「逐語訳」が浮きあがってきます。
ラテン語からの重訳であることを
中原中也は意識して
故意に逐語訳を試みているのでしょうか。
もう少し現代表記化を続けてみます。)

言うべからざる満足に充たされ、我が心は無味乾燥の学校を忘れ、彼、教師の魅力なき学課を忘れ、
私ははるかな野面(のづら)を見遣り、春の大地のおもしろき、幻術を観るに余念なかった。
子供の私は、かの田園の逍遥なぞと、洒落(しゃれ)ることこそなかったけれど
小さな我が心臓は、いと気高(けだか)き渇望に膨らんでいた
如何なる聖霊が我が昂ぶれる五感にまで
翼を与えたか私は知らぬが、押し黙った歎賞を以て
我が眼は諸々の光景を打ち眺め、我が胸の裡(うち)に
やさしき田園への愛惜は忍び入るのであった。マニェジイの磁石が或る見えざる力に因って、音もなく
ありともわかぬ鉤(かぎ)もて寄する、かの鉄環の如くであった。

(このあたりまで来ると
歴史的表記を現代表記に改変しただけでは
読むのがつらくなってきますから
漢字をひらがなにしたり
用字の書き換えをしたり
語句・句読点の追加削除や改行なども加えて
「意訳」してみます)

言うに言われぬ満足感に充たされ
わたしの心は、無味乾燥な学校を忘れ
彼、つまり教師の魅力のない授業を忘れ
わたしは遙かな野原を見やり
春の大地の、
面白くて面白くてたまらないマジックを見るのに心を奪われていた。

子どものわたしは、田園逍遥などと洒落るつもりはなかったけれど
小さなわたしの心臓は、とても気高い渇望に膨らんでいた

どんな聖霊がわたしの高揚する五感にまで
翼を与えたかわたしは知らないが
言葉にならない感動で
わたしの眼は色々な光景を眺め
わたしの胸の内に
やさしい田園への愛惜の気持ちは忍び込んでいるのだった。

それは、マニェジイの磁石のようなもので
ある見えない力によって
音もなく
あるともわからない鉤で吸い寄せる
あの鉄の輪のようなものだった。

 

(ここまでで3分の1ほどです。
「Ver erat」とはラテン語で
「春であった」の意味で
詩の書き出しの一語がそのまま詩題にされています。
「オルビリュス」は、古代ローマの文人、
「マニェジイ」は磁石の産地として知られる小アジアの都市。
「角川新全集第3巻 翻訳」語註より)

ひとくちメモ その2

(中原中也訳の「Ver erat」を読み進めますが
歴史的表記を現代表記に改変した上に
難漢字を書き換えたり
漢字をひらがなにしたり
文語を口語に変えたり
語句・句読点の追加削除や改行なども加えたりして
「意訳」を試みます。

これまでに
3節に分かれている詩の
1節目を読み終えました。)

それにしてもわたしの身体は
浮浪の長い歳月のために衰えが進んでいたので
わたしは緑色の川の岸辺に身を横たえて
たおやかなその呟きに聞き入りながらまどろみ
怠惰のかぎり
鳥のさえずりを聞き、
風の吹くのに身を任せて揺られていた。

そうしていると雌鳩らが谷間の空を飛び交い
その白い群れは、
キプロスの園に、ビーナスが摘んだ
薫り高い花の冠を咥(くわ)えていた。
雌鳩らは、静かに飛んで、わたしが寝そべっている
芝生のところにやってきて
わたしの周りで羽ばたいて
わたしの頭を取り囲み、わたしの両手を
草花の鎖で縛りつけたのだ。
また、こめかみを薫りよい桃金嬢で飾りつけ、
そうして軽々とわたしを空に連れ去った。

(※「桃金嬢」は、「ぎんばいか(銀梅花)」という常緑高木の植物で地中海原産。ドイツ語でMyrteミルテ。古代、葉を利用して、冠を編み、栄光のシンボルとした。現在も、花や葉を結婚式の飾りに使う。)

彼女らは雲の間を抜けて、
バラの葉の中でまどろんでいたわたしを運び、
風はその呼吸でゆるやかに、
わたしのささやかなベッドを丁寧に丁寧に整えた。

鳩らの生まれた住処に来れば
いきなりスピードをあげて飛び、
高山にあるその宮殿のような住処に入ったかと思うと
彼女らはわたしを打ち捨てて、
目を覚ましたわたしを置き去りにしてしまった。

おお! 小鳥らのやさしい塒(ねぐら)! 
……目を射る光は
わたしの肩の周りに広がり、
わたしの全身はその清らかな光でまとわれた。
その光には、影が混ざり、
わたしらの瞳を曇らせる光とはおよそ異なっていて
その清冽な素材はこの世のものではなかったのである。

天界の、それがなにかはわからないが、
ある神明というようなものが
わたしの胸に充ちてきて
大波のように漂うようであった。

やがて鳩らはまたやって来た
口々に調べのよい合唱を
こちらが指で指揮するのを喜んだ
アポロンの被っているのに似た、月桂樹の冠を携えて。

それから鳩らはその冠をわたしの額にかぶせるとすぐに
空が大きく開かれ、
めまいのするようなわたしの眼には
フェビュスが間近に雲の上、黄金色の雲の上に
飛翔し舞うのが見られた。

フェビュスはわたしの上にその神聖な腕を差し伸べ
また頭の上には、天上の炎で
「汝、詩人であれ!」と記したのだ。
するとわたしの身体に
異常な暖かさが昇ってきて、
その清澄に光り輝く
清い泉は太陽の光に燃え立った。

そうして鳩らは先ほどの姿を変身し
ビーナスらの合唱隊をつくり
優しい声で歌を歌えば
鳩らはその腕にわたしを抱きとって
空の方へと連れ去った。

3度、「汝、詩人であれ!」と呼んで、
3度わたしの額を月桂樹で装って
空の方へと連れ去った。

        1868年11月6日
          シャルルヴィル公立中学通学生
            アルチュル・ランボオ
      シャルルヴィルにて、1854年10月20日生

(※「シイプル」はキプロス島、「ヴェニュス」は、ビーナス、「フヱビュス」はアポロン神の別称、美神(ヹニュス)は、ミューズ。「角川新全集第3巻 翻訳」の巻末語註より)

 *
 1 Ver  erat

春であつた、オルビリュスは羅馬で病ひに苦しんでゐた
彼は身動きも出来なかつた、無情な教師、彼の剣術は中止されてゐた
その打合ひの音(ね)は、我が耳を聾さなかつた
木刀は、打続く痛みを以つて我が四肢をいためることをやめてゐた。
機(をり)もよし、私は和やかな田園に赴(はし)つた
全てを忘(ばう)じ……転地と懸念のなさとで
柔らかい欣びは研究に倦んじた我が精神を休めるのであつた。
云ふべからざる満足に充たされ、我が心は無味乾燥の学校を忘れ、彼、教師の魅力なき学課を忘れ、私ははるかな野面(のづら)を見遣り、春の大地のおもしろき、幻術を観るに余念なかつた。
子供の私は、かの田園の逍遥なぞと、洒落(しやれ)ることこそなかつたけれど
小さな我が心臓は、いと気高(けだか)き渇望に膨らむでゐた
如何なる聖霊が我が昂(たか)ぶれる五感にまで
翼を与へたか私は知らぬが、押黙つた歎賞を以て
我が眼は諸々の光景を打眺め、我が胸の裡(うち)に
やさしき田園への愛惜は忍び入るのであつた。マニェジイの磁石が或る見えざる力に因つて、音もなくありともわかぬ鉤(かぎ)もて寄する、かの鉄環の如くであつた。

それにしても私の四肢(てあし)は、我が浮浪の幾歳月(としつき)に衰へてゐたので、
私は緑色なす川の岸辺に身をば横たへ、
たをやけきそが呟きのまにまにまどろみ、怠惰のかぎりに
鳥らの楽音、風神(ふうしん)の息吹(いぶ)きに揺られてゐた。
さて雌鳩らは谷間の空に飛びかよひ
そが白き群は、シイプルの園に、ヴェニュスが摘みし
薫れりし花の冠を咬(くは)へてゐた。
雌鳩らは、静かに飛んで、我が寝そべつてゐる
芝生の方までやつて来て、私のまはりに羽搏《(はばた)》いて
私の頭(かうべ)を取囲み、我が双の手を
草花の鎖で以て縛(いまし)めた。又、顳顬(こめかみ)を
薫り佳き桃金嬢もて飾り付け、さて軽々(かろがろ)と私を空に連れ去つた
彼女らは雲々の間(あひだ)を抜けて、薔薇の葉に
仮睡(まどろ)みゐたりし私を運び、風神は、
そが息吹(いぶ)きもてゆるやかに、我がささやかな寝台《とこ》をあやした。

鳩ら生れの棲家に到るや
即ち迅き飛翔もて、高山(たかやま)に懸かるそが宮殿に入るとみるや、
彼女ら私を打棄てて、目覚めた私を置きざりにした。
おお、小鳥らのやさしい塒(ねぐら)!……目を射る光は
我が肩のめぐりにひろごり、我が総身はそが聖い光で以て纏はれた。
その光といふのは、影をまじへ、我らが瞳を曇らする
そのやうな光とは凡(おほよ)》そ異(ちが)ひ、
その清冽な原質は此の世のものではなかつたのだ。
天界の、それがなにかはしらないが或る神明(しんめい)が、
私の胸に充ちて来て大浪のやうにただようた。

やがて鳩らはまたやつて来た、嘴々(くちぐち)に
調べ佳き合唱を、指(および)もて指揮するを喜んだ
アポロンのそれに似た、月桂樹編んで造れる冠携(たづさ)へ。
さて鳩らそを我が額(ぬか)に被(かづ)けるとみるや
空は展(ひら)かれ、めくるめく我が眼(め)には、
フヱビュス親しく雲の上、黄金の雲の上、飛び翔けり舞ふが見られた。
フヱビュスは我が上にそが神聖な腕を伸べ、
又頭の上には、天上の炎もて
《汝(なんぢ)詩人たるべし!》と記(しる)した。すると我が四肢に
異常の温暖は昇り来り、そが清澄もて光り耀く
清らの泉は太陽の光に炎え立つた。
扨も鳩ら先刻(さき)にせる姿を改め、
美神(ヹニュス)等合唱隊(コーラス)を作(な)し優しき声もて歌を唱へば
鳩らそが腕に私を抱きとり、空の方へと連れ去つた
三度(みたび)《汝、詩人たるべし!》と呼び、三度(みたび)我が額(ぬか)を月桂樹もて装(よそほ)うて、
空の方へと連れ去つた。

     千八百六十八年十一月六日
       シャルルヴィル公立中学通学生
           ランボオ・アルチュル
    シャルルヴィルにて、千八百五十四年十月二十日生

 

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、二重パーレンは《 》に代えました。また、フヱビュスの「ヱ」は原作では小文字です。編者。


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