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「白痴群」前後・幻の詩集1「春と恋人」

 
昭和2〜3年頃に計画された第1詩集は
実現されなかったものの
13篇が「第1詩集用清書原稿群」とされています。
 
この機会に
この原稿群の詩に目を通しておきましょう。
 
 
昭和2〜3年は
「白痴群」以前であり
「京都以後」(上京後)にあたる時期です。
この間、泰子が小林秀雄の元へと去っていったという大事件があります。
 
13篇のうち「深夜の思い」は「山羊の歌」に、
「春」は「在りし日の歌」に収録された「発表詩篇」ですが
それ以外は「未発表詩篇」です。
「新編中原中也全集」では
「深夜の思い」も「春」も「未発表詩篇」に収録されますから
この二つの詩は異次形態の詩として「重複して」掲載されています。
 
 
13篇は
「草稿詩篇(1925年―1928年)」の項にほとんどが分類されていますが
「春と恋人」だけは「草稿詩篇(1937年)」に分類されます。
この詩の草稿が2種類現存し
全集に収録するにあたって「底本」としたのが1937年(昭和12年)制作の草稿だからです。
 
もうひとつの草稿は
昭和2―3年制作(推定)または大正15年春制作(推定)とされていますが
こちらが「新全集」第2巻・解題篇に掲載されていますので
まずこの詩に目を通します。
 
 
春と恋人
 
美しい扉の親しみに
私が室(へや)で遊んでいると、
私にかまわず実ってた
新しい桃があったのだ……
 
街の中から見える丘、
丘に建ってたオベリスク、
春には私に桂水くれた
丘に建ってたオベリスク……
 
蜆(しじみ)や鰯(いわし)を商(あきな)う路次の
びしょ濡れの土が歌っている時、
かの女は何処(どこ)かで笑っていたのだ
 
港の春の朝の空で
私がかの女の肩を揺ったら、
真鍮(しんちゅう)の、盥(たらい)のようであったのだ……
 
以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……
 
*オベリスクは、古代エジプト神殿などに建てられた尖塔。モニュメント(記念碑)の役割があった。
*桂水は、香りのある水。香辛料として有名な月桂樹の「桂」。
 
 
草稿では
終連に「居留地の中には」が書かれた後に消され
「はでな処」と訂正されています。
これは横浜・山下町にあった有名な横浜居留地のことです。
 
詩人は
母堂フクが生まれ育った土地である横浜に
特別の親しみを抱いており
泰子に逃げられた直後にも
この地に遊び
別離のショックを癒しました。
 
 
この詩も横浜を題材にした詩です。
「横浜もの」といわれる詩群の一つです。
 
昭和2―3年の詩か
昭和12年の詩か。
 
制作年の想定によって
「読み」の姿勢がブレるのを禁じえません。
 
横浜を歌った詩が
昭和12年に作られたのなら
遠い日の「思い出」を歌い
昭和2―3年の制作なら
横浜は「現在」なのですから。
 
 
終連
 
以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……
 
――が、全く違って見えてきます。
 
遠い日の思い出を昭和12年(晩年)に思い出したのならば
横浜は「今」詩人の中にありますが
昭和2―3年の制作であっても
この詩に現れる「かの女」は泰子に違いなく
彼女への複雑な思いは
微妙な温度差(違い)を見せはじめます。
 
 
いつのまにか「中原中也の手紙」を離れていることに気づきます。
「一筆啓上」は、いったん止めて
「白痴群」前後にスポットを当てていきます。
 
 

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